和銅採掘露天堀跡
慶雲5年(708)、国家の形態が定まりつつあったヤマト朝廷に、武蔵国秩父郡から銅が献上されました。
朝廷はこれを「瑞宝」と喜び、元号を「和銅」に改めます。
『続日本紀』元明天皇の条に、
とあります。
そして年内に「和同開珎」が発行。
早すぎ(・o・)
どうやら朝廷は、数年前から官銭を作りたくてうずうずしていたらしい。
白村江の戦いで敗れてからというもの、プライドを回復するのが悲願だったヤマト朝廷。
国威を国内外に発揚させたい。
貨幣は国の信用があってこそ流通するものですから、貨幣を流通させることは、その第一歩だったでしょう。
そんな「和銅」が採掘された跡へ行ってきました。
緑が深い。
斜面の削られているところがそうらしい。
ずっとせせらぎの方を覗き込んでいました。
せせらぎ。
「どうやって銅をみつけたんだろう、どうだろう」
と夫がギャグを連発していました。
和銅とは精錬を要しない自然銅のことで、「ニギアカガネ(熟銅)」と呼ばれています。
元号は「和銅」、銭貨名は「和同」なんですね、注意したことなかった。
奈良時代の初め、和同開珎1枚で1升(約1.5キロ)のお米が買えたといいます。また成人の1日の労働賃金に相当するそうです。
しかし当時は物々交換が基本だったので、貨幣にはなかなかなじめませんでした。
そこで朝廷は和銅4年(711年)に蓄銭叙位令をを発布します。
「お金をいっぱい貯めてね、貯めたら官位をあげるよ」という令です。
ん?
貯めたら流通しなくない?
またいくら厳しく禁止しても(首謀者は死刑)、私鋳銭(にせ金)が大量に出回り、和同開珎の価値は下降の一途。
そんなわけで800年に廃止されますが、こんなあたふたした中で、92年間も続いたことのほうが驚き。
使ったことがない貨幣を(唐の)見様見真似で使ってみようとする、ご先祖様たちの獅子奮迅ぶりがちょっと愛おしい。
以後、朝廷は12種類の貨幣を発行し、これを皇朝十二銭と言うのは教科書で習ったとおり。
和同開珎のあとに発行された「万年通宝」は、和同開珎10枚分の価値でした。
すごいインフレですね。
さて、我々昭和生まれは日本最古のお金は「和同開珎」だと習いましたが、現在の教科書には「富本銭」と書かれているそうです。
1999年。飛鳥池工房遺跡から「富本」と記された銅銭と鋳型・鋳棹が発見されたことは、当時ニュースになりました。「富本銭」は江戸時代の書物の中にもその名前があり※、昭和40年代から1枚また1枚と出土していましたが、少数だっため、流通していたとは考えられず、最古の貨幣は和同開珎という認識だったのです。
しかし飛鳥池工房遺跡から、鋳型や鋳棹が出土し、富本銭が鋳造されていたことが判明し、流通していた可能性が高くなり、教科書にもそう書かれるようになったそうです。
※1694年『和漢古今寶泉図鑑』および1798年『和漢古今泉貨鑑』
富本銭の大きさは現在使われている5円玉よりやや大きめ。
鋳棹は、1つずつではなく、房のようになった鋳型のことです。
『日本書紀』の天武紀12年(683)条には、
と書かれていて、ここに記した銅銭が富本銭だと考えられています。
とすると、その前に銀銭があったのですね。
富本銭よりもっと古い銀銭とは、どんなものでしょう。
無文銀銭。
「無文」と言う通り、文がありません。
現在のところ近畿地方を中心に18遺跡から出土しています。
これらは形が不揃いで、鋳造されたのではなく、銀板を叩いて成形したのでしょう。
三角や長方形の板が貼り付けられているのは、重さをそろえようとしたとか。
どう利用されていたはわかっていません。
流通していたのか、おまじないなのか、権威を示すものだったのか。
聖神社
和同開珎ゆかりの神社があるというので、行ってみました。
暑かったので、水が気持ちいい。
暑かったので、足袋を脱いでしまいました。
素足に下駄。
浴衣でもないのに?
いいの、そんな細かいことを気にしていたら、着物生活はできません。
和銅ゆかりの神社だけに、金銭面でご利益があるそうです。
どんなゆかりかと言いますと…。
よくわからないのですが、発掘の場所が近かったから?
ゆかりというより、あやかった?
社伝によると、御神体は「和銅」だそうです。
和同開珎の形をした絵馬もあり、願い事は「宝くじがあたりますように」が多かったです。
「一生に一度でいいので宝くじにあたりますように」というのもありました。
うん、一生に一度でいいと思う。
<カバー写真>
文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/563912
<参考資料>
秩父市和銅保勝会公式webページ
https://wadohosyoukai.com/
秩父ジオパークwebサイト
https://www.chichibu-geo.com/
popo地蔵に、おそろいの生地(ハギレ)で浴衣を作りました。
(私が着ている着物は私の手縫いではありません)