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和銅採掘露天堀跡

所在地:埼玉県秩父市黒谷
アクセス:秩父鉄道和銅黒谷駅徒歩10分
指定:昭和36年9月1日 埼玉県指定旧跡 個人蔵
訪問日:2024年6月1日

慶雲5年(708)、国家の形態が定まりつつあったヤマト朝廷に、武蔵国秩父郡から銅が献上されました。
朝廷はこれを「瑞宝」と喜び、元号を「和銅」に改めます。

『続日本紀』元明天皇の条に、

「景雲5年(708)春正月11日 武蔵国秩父郡に熟銅が出たと奏上して献上してきた。この物は天におられる神と地におられる神とが、ともに政治をめでられ祝福されたことによって、現れ出でた宝である。そこで天地の神が現された瑞宝によって御代の年号を新しく換えると仰せられた。そのため景雲5年を改めて和銅元年として御代の年号と定める。」

とあります。
そして年内に「和同開珎」が発行。
早すぎ(・o・)
どうやら朝廷は、数年前から官銭を作りたくてうずうずしていたらしい。

白村江の戦いで敗れてからというもの、プライドを回復するのが悲願だったヤマト朝廷。
国威を国内外に発揚させたい。
貨幣は国の信用があってこそ流通するものですから、貨幣を流通させることは、その第一歩だったでしょう。


そんな「和銅」が採掘された跡へ行ってきました。

筆者撮影

緑が深い。


斜面の削られているところがそうらしい。
ずっとせせらぎの方を覗き込んでいました。


せせらぎ。
「どうやって銅をみつけたんだろう、どうだろう」
と夫がギャグを連発していました。


和銅とは精錬を要しない自然銅のことで、「ニギアカガネ(熟銅)」と呼ばれています。

自然銅
出典:和銅保勝会
https://wadohosyoukai.com/iseki/jinjya/


元号は「和銅」、銭貨名は「和同」なんですね、注意したことなかった。


 奈良時代の初め、和同開珎1枚で1升(約1.5キロ)のお米が買えたといいます。また成人の1日の労働賃金に相当するそうです。

 しかし当時は物々交換が基本だったので、貨幣にはなかなかなじめませんでした。
そこで朝廷は和銅4年(711年)に蓄銭叙位令をを発布します。
「お金をいっぱい貯めてね、貯めたら官位をあげるよ」という令です。
ん? 
貯めたら流通しなくない?
またいくら厳しく禁止しても(首謀者は死刑)、私鋳銭(にせ金)が大量に出回り、和同開珎の価値は下降の一途。
そんなわけで800年に廃止されますが、こんなあたふたした中で、92年間も続いたことのほうが驚き。
使ったことがない貨幣を(唐の)見様見真似で使ってみようとする、ご先祖様たちの獅子奮迅ぶりがちょっと愛おしい。

以後、朝廷は12種類の貨幣を発行し、これを皇朝十二銭と言うのは教科書で習ったとおり。
和同開珎のあとに発行された「万年通宝」は、和同開珎10枚分の価値でした。
すごいインフレですね。


さて、我々昭和生まれは日本最古のお金は「和同開珎」だと習いましたが、現在の教科書には「富本銭」と書かれているそうです。

1999年。飛鳥池工房遺跡から「富本」と記された銅銭と鋳型・鋳棹が発見されたことは、当時ニュースになりました。「富本銭」は江戸時代の書物の中にもその名前があり※、昭和40年代から1枚また1枚と出土していましたが、少数だっため、流通していたとは考えられず、最古の貨幣は和同開珎という認識だったのです。
しかし飛鳥池工房遺跡から、鋳型や鋳棹が出土し、富本銭が鋳造されていたことが判明し、流通していた可能性が高くなり、教科書にもそう書かれるようになったそうです。

※1694年『和漢古今寶泉図鑑』および1798年『和漢古今泉貨鑑』

富本銭の大きさは現在使われている5円玉よりやや大きめ。
鋳棹は、1つずつではなく、房のようになった鋳型のことです。

出典:日本銀行ホームページ
https://www/boj.or.jp>education>data


『日本書紀』の天武紀12年(683)条には、

詔して曰く、「今より以後必ず銅銭を用ゐよ。銀銭を持ちゐること莫れ」

と書かれていて、ここに記した銅銭が富本銭だと考えられています。
とすると、その前に銀銭があったのですね。
富本銭よりもっと古い銀銭とは、どんなものでしょう。

無文銀銭。
「無文」と言う通り、文がありません。
現在のところ近畿地方を中心に18遺跡から出土しています。

出典:京都国立博物館
https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/home/dictio/kouko/58mumon/

これらは形が不揃いで、鋳造されたのではなく、銀板を叩いて成形したのでしょう。
三角や長方形の板が貼り付けられているのは、重さをそろえようとしたとか。

どう利用されていたはわかっていません。
流通していたのか、おまじないなのか、権威を示すものだったのか。



聖神社

所在地:埼玉県秩父市黒谷
アクセス:秩父鉄道和銅黒谷駅徒歩10分
指定:昭和40年1月25日 市指定有形文化財
訪問日:2024年6月1日

和同開珎ゆかりの神社があるというので、行ってみました。

暑かったので、水が気持ちいい。

暑かったので、足袋を脱いでしまいました。
素足に下駄。
浴衣でもないのに?
いいの、そんな細かいことを気にしていたら、着物生活はできません。


和銅ゆかりの神社だけに、金銭面でご利益があるそうです。
どんなゆかりかと言いますと…。
よくわからないのですが、発掘の場所が近かったから?
ゆかりというより、あやかった?

社伝によると、御神体は「和銅」だそうです。

出典:和銅保勝会
https://wadohosyoukai.com/iseki/jinjya/

和同開珎の形をした絵馬もあり、願い事は「宝くじがあたりますように」が多かったです。
「一生に一度でいいので宝くじにあたりますように」というのもありました。
うん、一生に一度でいいと思う。


<カバー写真>
文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/563912

<参考資料>
秩父市和銅保勝会公式webページ
https://wadohosyoukai.com/

秩父ジオパークwebサイト
https://www.chichibu-geo.com/



popo地蔵に、おそろいの生地(ハギレ)で浴衣を作りました。
(私が着ている着物は私の手縫いではありません)



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