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なぜ「それ」を言ってはいけないのか


私のビジネスのメンターである松田豊さんの教えの中に「言葉遣い」に関するものがあります


それは相手がたとえ年下であっても、又どんな立場の人であっても丁寧な物言いをしなければならないというものです


私自身も、言葉遣いは決して悪い方ではありませんし、松田さんのおっしゃることも当然のように感じます


けれど、そんな松田さんがおっしゃるNGワード中に一つだけ(どうして?)と思う言葉があったんです


その言葉とは・・・



「やばい」はNG


その言葉とは「やばい」です


「やばい」は、私の教室に通う子供たちも頻繁に使う言葉

「テストの結果、どうだったの?」

「ヤバかった」


こんなやり取りが日常的に行われています


又最近では「やばい」が肯定的な意味合いで使われる場面も出てきました


「凄くいい」と言う時に「やば〜い!」と発言する若者がいますよね

「美味しい」にも使われるかな?


あんまり頻繁に聞くので、私自身さすがに人前で使わないまでも、独り言ではつい発してしまっていました


なので、メンターが「やばい、と言うのもダメ」と言うのを聞いた時、文字通り(やばい)と思ってしまったんです


では何故メンターは「やばい」をNGワードにしたのでしょう



言葉に宿る波動


全ての人や物に波動があるように、言葉にももちろん波動があります


そして私たちが何か言葉を発する時、その言葉に込めた思いによって、私たちから発せられる波動も変わります


なので、初め私は「やばい」と発する時のネガティブな精神状態が私たちの波動を下げるので、松田さんが駄目出ししているのかと思いました


けれど「ヤバい」をポジティブなニュアンスで使う場合もありますから、そう考えると辻褄が合いません


色々考えているうちに、もしかしたら私たちの精神状態とは関係のない言葉そのものの持つネガティブなエネルギーにその原因があるのでは?と思い当たりました


そこでNGワード「やばい」の由来を調べてみることにしました


「やばい」の由来、それには諸説あるようですが、その中で最も有力なのは、[江戸時代の矢場(射的場)では隠れて売春が行われており、そのため下手に居合わせて役人に目をつけられたら危ないというところから、危険な状況を示す言葉として「ヤバい」と言われるようになった]というものです


他の説も、犯罪と結びつくようなネガティブなものだったので、ちょっと驚きました


その時、(そう言えば)とふと思い出したことがありました


それは20年ほど前に話題になった水の氷結結晶写真集のことでした



水が教えてくれること


20年前に話題になった写真集


ご存知の方も多いと思いますが、それは、ボトルに「ありがとう」「ばかやろう」と書いた紙を貼った水を凍らせ、その結晶を撮影するといったもの


撮影の結果、「ありがとう」の方は大変美しい形、対して「ばかやろう」の方は崩れた形の結晶が出来る、そんな内容でした


それで何となく懐かしくなって、江本勝著「水はことばの鏡」という写真集を買ってみました



写真集を開いてまず目に飛び込んでくるのは、まるでスワロフスキーが散りばめられたかのようにキラキラと輝く結晶の美しさです


しかもどれも個性的!


6角形の結晶どれ一つとっても、同じものはありません


様々なワードの放つ波動に反応し、それに相応しい表情を見せる水の氷結結晶


その様子は、まるで水が意志を持った生き物のようでした


中でも「愛 感謝」と書かれたボトルの結晶は、最も均整が取れ、ゴージャスで美しいガラス細工のよう


反対に、ネガティブな言葉の中で最も醜い形だったのは「ムカつく 殺す」

これは、なんだか水に油を落とした時のようなドロドロした気味の悪い、結晶とも言えないものでした


また「疲れた」という言葉では、美しい結晶がひしゃげて痩せ細っていたり


「ダメ」とか「無理」といったネガティブなものは全て崩れていました


また、この写真集では言葉ばかりでなく、水に音楽を聴かせた時の結晶写真も載っていて興味深かったです


モーツァルトの楽曲は、繊細で見事なレース編みを思わせる結晶


また「君が代」の結晶も大変美しく、日本人として誇らしい思いがしました


とにかく世に名曲と謳われるものは、どれも美しい姿でした



また私が最も心を打たれたのは、「天照大神」の結晶です

他の結晶とは一線を画す、いかにも神そのものといったその荘厳な姿は、結晶と言えども畏怖の念を抱かずにはいられないものでした


面白かったのは「出雲大社」

6角形のシンプルな結晶のてっぺんは社(やしろ)の形、その中央にはしめ縄が現れているんです


「象」も象の鼻らしきものが、結晶の中央にあったりと、物の造形がそのまま形として現れることの不思議さに驚きを隠せませんでした


他に「恋」の結晶は、いかにも壊れやすそうな風情


「インスタント食品」では、結晶が6角形にすらならない等


言葉や物の名前には、確かにそれに相応しい波動がある、そのことを改めて思い知らされました



私たちの身体の60%〜65%を占める水分


そんな水そのもののような私たちが、これら言葉の持つ波動の影響を受けないで済むとは考えられません


特にネガティブな言葉が与える影響は、計り知れないものがあるように思います


つまりこれから先、私たちが心穏やかで幸せな人生を送ることを願うなら、日頃発する言葉、耳にする音楽を良質なものにしていくこと、そのことが何よりも大切なのではないでしょうか


そしてメンター松田豊さんの教えとは、私たちが幸せな人生を送るために欠かせぬ「人生の羅針盤」、そう言えるのだと思いました



それにしても、「ヤバい」は、どんな結晶だったのかな?



読んでいただき、ありがとうございました 

                  きみどり











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