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人生という旅の途中

まずは、数ある記事からこちらの記事を選んでいただき誠にありがとうございます。

私は現在、経営者の参謀役として活動しています。

参謀役とは何か。
簡単にいうと、経営者の目標・目的を達成するために支えている存在です。

【商売をする目的】
経営者の力を最大限に引き出し、その会社の従業員の方と共により良い社会をつくり豊かな社会をつくるためにビジネス活動を通して社会へ貢献すること。
【商売の目標】
社会へ貢献し1兆円の経済圏を築く
【個人的な目的】
自分自身に制限をかけず、自己表現をし知らない世界を自分の目で見て体験することです。その世界を共有できる生涯の友をつくること。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
上記が私の価値観です。
自分には合わないな。と思った方はこれ以上読むことをおすすめしません。

【小学時代】
小学2年生の時に、友達に誘われてサッカーを始めた。
これは人生の転機だったのではないか。
と今では思っています。
ボールは友達と言わんばかりに毎日のように練習をしました。
寝るギリギリまで練習をしていました。

小学5・6年生の時に、父親から言われた人ことで人生の大きな変化がありました。
「怒った時に顔にだすな」
これは親の立場になるとわかるのですが、恐らく怒った顔をしていると相手を不愉快にさせたり、私自身が損をしてしまうので父親なりの愛だったのでしょう。

しかし小学生でそんなことはできなかったので当時とった選択は無表情・無関心という行動をとることでした。
それと同時にサッカーのキャプテンをしていて
『優勝したい。勝ちたい。』という思いで自分でチームの練習メニューを考えてやっていましたが、うまくいかず
やることなすこと否定されました。

そこから【自己表現をする】【自分の意見をいう】
ことをやめました。

【中学生時代】
サッカーはとてもなく、楽しくかったです。
しかし、中学時代でも自分の意見をいうことはありませんでした。

中学1年生の夏頃には、親元を離れて
サッカーをしたい。という思いが芽生えてきました。
では、どうすれば家を出ることができるのか考えました。

家を出るということはその分お金がかかってしまうので・・・

そこで私は特待生を取りサッカー推薦だけではなく勉強でも認められる必要がある。と思い「文武両道」ということを意識しました。

しかし、ここでも軽い言葉のイジメにあい
自分を表現できなくなりました。

写真を撮り時はいつもぶっきらぼう。
笑顔の写真はとても少ないです。
憂鬱、笑顔の写真を大事そうに母親がもっていたことを今でも覚えています。

【高校時代】
無事、特待生になることができ入学。
家をでることができ、寮生活でのサッカー三昧の日々でした。
目標であった全国大会出場という夢を叶えることはできませんでしたが、とてもら楽しい高校生活を過ごすことができました。

誰よりも練習をしました。
気づけば5時間以上連続でリフティングをしていたこともありました。
全国大会に出る夢は叶えることはできませんでしたが、後悔は全くないです。

【大学時代】
週6サッカー
週6バイト

という生活をしていて、大学生らしい生活をしていた記憶はほとんどありません。たまーに夜中にボーリングにいくくらい。笑

大学4年生、最後の年はBチームのキャプテン兼監督をしました。
ここではとてもいい経験をすることができました。
上手いとか下手で選手を選ぶのではなく
「一生懸命日々練習に取り組む人を試合に出す」

これを念頭におきチームをつくってきました。
ここでも優勝をすることはできませんでした。結果は2位。
しかし、チームのみんなから
「最高の一年でした」
「あなたが監督でよかった」
などとても嬉しい声をもらうことができました。

しかし、小学校時代の
「無関心」「無表情」は学生期間中やめることはしませんでした。
小学5年生から大学4年生まで。

その結果
【笑顔ができない。うまく笑うことできないようになりました。】
いまとなってはネタです。笑

社会人での3年間

【社会人1年目】
広告代理店に就職をして、野心に満ち溢れていました。
しかし、入社して2ヶ月後
大学の先輩でとある業界2位のところで仕事をしている方と会う機会がありました。
なぜ、会うことになったのか。
「どうすれば、大手に入ることができのか」
聞きたくて。
当時の私は、経営者になるなんて1ミリもイメージしてなかったんです。

しかし、ある話を聞いて人生を真剣に考えだしました。

ここで教えてもらったこと。

人生の目的は人それぞれ違う。
人生の目的とは何か。仕事をすることではない。
仕事はあくまで、目的地に着くための手段であり、目的ではない。
しかし、ほとんどの人が人よりもいい会社・人よりも高い給料。
手段ばかりに選び、人生のゴールを決めていない。理想の状態を決めていない。だから、目的地に辿りつくことができない。

私も22歳の時は、どうすれば高い給料がもらえるのか。
どうすれば人よりも・・・
って、人を基準にして色んな物事を選んでいました。

経営者も同じ。
・人よりも年商を高い会社をつくるにはどうしたいいのか。
・みんなから羨ましいと思われる生活をする。
例)欲しいものではなく、有名なものを買うことにステータスを感じたり
たまたま好きなものが有名なものなら良いと思います。

人と比較をしていく人生は、心が満たされることはないです。
いい車を買い、いい家に住みとても素敵なことです。
しかし、それは本当にあなたが欲しかったものですか。
自問自答してみてください。

先輩から仕事は目的ではなく、手段だ。
と教えてもらい。そこから自分の人生どうしたのか。
を初めて真剣に考えました。

私は中田英寿が大好きで、あんな生き方したい。
と思いました。
では何を手段に。どんな仕事をしたらいいのか。
選択はしたのは「経営者」という道でした。

そこから1年間で200人の経営者にインタビューしました。
「どうしたらお金を稼げるのか。」
ほとんどの人が自分にしっくりくる答えをくれる人はおらず。
そんな中でも3人の資産家に会うことできました。

その1人に言われたこと

資産家「君はお金持ちになりたい?幸せなお金持ちになりたい?」
私「幸せなお金持ちになりたいです。」
  心の中では、そんなの当然だろ。とおもってた。

資産家「じゃあ、まずはお金を稼ぐのをやめなさい」
私「・・・?えっ?」

資産家「お金を稼ごうとせず、人からありがとうを集めなさい。これが商売の基本だから。」

私の心の声「この人なにを言っているんだ。わけわからん。笑」

資産家「商売の本質は、人・社会に喜んでもらうこと。課題解決をしてあげること。その対価としてお金がもらえるし、もっというとその人たちが農家だったら君は野菜をもらえる。食べ物には困ることなくなる。
家が欲しい。と思ったとき君が不動産屋オーナーに貢献していたらもしかしたら家をくれるかもしれない。
じゃあもうお金は必要なくなる。
必ず商売、その先には「人がいる」ことを忘れてはいけないよ。
いつも助けてくれるもは「人だよ」

「なんのためにするのか。社会に貢献するのか。」
それを考えながら商売をしなさい。

けど、まずは君は笑顔の練習からだね。ハハハ。笑
※以下、資産家ーIさんとさせていただきます。

・教え1 毎日割り箸30秒くらえて笑顔の練習
(学生生活、無関心・無表情をしていたのでは笑えない人間・表情筋が動かない人間になっていました。笑)

・教え2 人からありがとうを集めること

社会人2年目23歳の時

教えをいただき、毎日笑顔の練習をしてやっとお金の稼ぎ方を教えてもらった。

Iさん
「前よりも笑顔が素敵になったね。じゃあお金を実際に稼いできて。」

私「何をしたらいいですか」

Iさん「何ができるかが考えてみて」

私「・・・んーーーーー、わかりません」

Iさん「じゃあ路上で歩いている人にバナナ1本100円で売ってきて1ヶ月で100本」

私「・・・・えっ?」
心の中ではこの人は正気か?何をいっているんだ。
と思いますたが、なにか意味があるんでしょ

と思い、やることにしました。

バナナをスーパーで仕入れ、いざ。
しかし、売れない。そもそも話をかけることすらできない。

当然です。
歩いていて路上で急に「バナナ買ってください」
と言われても買いますか?
買うわけないです。笑

どうすれば売ることできるのか。
バナナが欲しい人いるのか。売り始めたのは19時頃、広島の繁華街。
なんなら、みんな今からご飯を食べにきている

初日今でも覚えていますが、結果は0本
そこからどうやって売ればいいか、思考錯誤しながらも少しずすつ売ることができてきました。

売れたお金で300円分売れたら牛丼食べる、1000円分売れたらステーキなど自分の中でゲームをしながら売っていました。

では、なぜ売ることができてきたのか。
それは

「なぜ」を伝えることにしたからです。

なぜ、バナナを売るのか。
なぜ、これをやっているのか。
なんのために、バナナ売りをしているのか。

【夢】【ビジョン】を人は買ってくれていたんです。

100本を達成して、次は3万円分路上で稼ぐことを言われて


ハンドメイドのピアス販売


くつ磨きをしてみたり

しかし、中々お金をいただけることはできませんでした。

月3万円稼いできて。
というミッション・・・
この時すでに半月が過ぎていました。

しかし売上は数千円
間に合わないと思い、「数」にシフトしました。

そこで思いついたのが
ジャンケンをして勝つことができたら【ケツバット】していいですよ
という身体を張った、張りまくったゲーム笑

とても反響で、あっという間に達成することができました。
ここでも「なぜやっているのか」
を伝えることを忘れず。

学んだことは

人は楽しい・面白いにお金を払ってくれるということ

Iさんに報告をしにいきました。

「なんとか達成しました。次は何をしたらいいですか」

Iさん
「次は、訪問販売をしよう」

私は、またしんどそうなことを・・・
と正直思いましたが・・・笑

平日は仕事が終わり19時からピンポンをして
土日も朝から晩までピンポンをして1ヶ月で約1900ピンポンしました。

しかし、結果は0円

そこから、何がいけなかったのか。
何を改善したらよかったのか。

とりあえず、人と対面しないと話ならない。
どうやったら人がドアからでてきてくれるのか。
試行錯誤し、次の月には7/10くらいの確率で人と会うことができていまいした。

そこからは
「なぜこの仕事をしているのか」
「変えることでお客さんにメリットがあるのか・どんな未来が手に入るのか」を伝えていき、3ヶ月後には売上40万円ほどになっていました。

学んだこと

やり方ではなく、在り方

そこから独立の準備をし、社会人ちょうど3年間を経験し起業しました。
初めは、紹介で雇われ社長をしましたがここでも問題発生・・・

・給料未払い
・前任者の引き継ぎで裁判をするしないの話

などなど
結局3ヶ月しかそこの会社にはいませんでしたが、ここでかなり成長することができました。

そこからは、営業代行として
会社組織を築いていきました。
1年半くらいで160人くらいの組織になり、周りからはすごいねー
と言われ、売上も上がっていきましたが
どこか心が満たされず。これが本当にしたいことなにか。

そもそも
「なんで起業したんだ。目的なんだった?」

と自問自答を繰り返しました。
そこから
・サロン(半年で撤退)
・物販(1年続けたが売上はぼちぼち)
・インターネットビジネス(やっていて全く楽しくなかった笑)
・金融(いろんなことがありました。しかし、かなり学びがありました。)

など
手段を変えていきましたが、全て上手くいきませんでした。
というより、「なんか違う・・・」
がありました。

カンボジアに学校を建設したり。


いろんな海外にもいきました。


気づけば10年が経ち、その期間でも
・自問自答を繰り返したり
・自己分析をしたり
・算命学でみてもらったり

とにかく、自分が何を求めているのか。
自分のことをとにかく知る。
ことをやってきました。

そのおかげで、自分が今どう在りたいのか。
どうなりたいのか。を明確にすることができ、その手段として
【経営者の参謀役】
として複数社の相談役・経営戦略に関わらせていただいています。

人々が挑戦でき、自分らしく生きれる社会・自己表現できる社会を共に築き
日本が、世界がこれからもっと発展するために、今からできることからやっていきます。

感謝を忘れず、人に支えられて今がある。
謙虚に。共に挑戦・成長しましょう。

ここまで私のストーリーを読んでいただきありがとうございました。

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