祖国とは(1)
日本に住んでいる日本人が、祖国というものを意識する事はあるのだろうか?
祖国について特別な意識しなくても暮らせている事は、平和である証なのかも知れない。
私は在日韓国人3世。祖父母の出身は韓国の慶尚南道。
私の戸籍も大韓民国である。
中学校までは総連系の民族学校に通っていた。
総連系は北(朝鮮民主主義人民共和国)系、民団系は南(大韓民国)系である。
韓国人なのになぜ総連系の学校に通っていたのかというと、私が幼い頃は民族教育(言葉、文化)を受けられる学校は総連系が多かったから。
もちろん、両親の意向で。両親は、母国語を学ばせたかった。ただそれだけだったようだ。
ところが、思想教育がカリキュラムに含まれており、反日反米反韓思想が当たり前のような環境であった。学校の門を出たら日本、門の中は北朝鮮である。
音楽の教科書には北朝鮮の思想や指導者を称える歌詞が多く、国語(朝鮮語)の教科書にも北朝鮮の思想や指導者を称える文章が多かった。「金日成元帥の幼少期」が科目としてあり、金日成がいかに偉大なのか、そして金日成に導かれる北朝鮮が素晴らしく幸せな国である事を、徹底的に教育される。「それは変でしょう?」「嘘でしょ?」のような意見を述べると、特別指導を受けた。
私も小学生の時期はその教育を真に受けて、すべての日本人を敵と捉えていた。日本人は朝鮮を侵略した憎むべき国である。その国に暮らす日本人も憎むべき対象となる。小学生低学年で、そんな気持ちを抱いていた。
運動会の障害物競走では、障害物に日本兵やアメリカ兵が描かれている。それに対して違和感も感じない小学生児童だった。
高学年になると、少年団に入団する。
赤いネクタイを配られ、金日成と金正日の肖像画に向かい、敬礼をするようになる。その時の掛け声は「ハンサン チュンビ!」。日本語で「常に備えよ!」である。何に備えるのかなんて教えられないし、疑問も感じなかった。言われたように教えられたように、上級生のお兄ちゃんお姉ちゃんがやっているから、自分もただ同じ事をする。旗を持ってキビキビと行進する。なんかカッコいい。ただそれだけだった。
今となっては、「備える」事はおそらく日本やアメリカや韓国との戦闘に備えるという意味なんだろうと思うのですが、当時は何も考えなかった。
戸籍が大韓民国にあるなんて、当時は知らないし意識もしない。
だって、そもそもの前提が朝鮮戦争で南北に分断する前の統一状態の「朝鮮」だから。
ただ、祖国が38度線で分断している事は紛れもない事実なので、その事については教えられる。しかし、朝鮮半島はそもそも一つであり、それは全朝鮮民族の願いであり、その統一は金日成将軍率いる豊かな北朝鮮によってこそ為されるべきである。哀れな南朝鮮の人々を、統一によってアメリカから救ってあげなければならない。というような、徹底的な教育を受けた。
ほとんどが朝鮮半島の38度線よりも南の地域から日本に来た人々の子孫であるにも関わらず、周りには「韓国人」という人はほとんどいなかった。その理由は、先祖が朝鮮を発った時代は、分断前だったという点が大きい。朝鮮人として日本に来て、その後、朝鮮戦争が起きてしまって祖国がむちゃくちゃになってしまい38度線で南北に分断されてしまった。祖国では38度線よりも北に住むから朝鮮人(北朝鮮)、南に住んでいるから韓国人と戸籍の登録をせざるを得なかったのだろうが、朝鮮戦争以前に日本に渡っている在日朝鮮人にとっては受け入れが難しかったのではないかと考える。そのため、38度線以南地域出身者は、韓国人にはならず、朝鮮人で有り続けた。朝鮮人だからといって北朝鮮人になりたいというある訳ではない。日本に渡った時には祖国は一つだったから、そのままで有り続けたいという願いに基づくものだったと、私は思う。
それなのに、どうして「祖国分断前の朝鮮人=北朝鮮人」と捉えられるようになったのか。「祖国分断前の朝鮮人=韓国人(南朝鮮人)」でも良いはずなのに。
私には、朝鮮総連と朝鮮学校がその要因のように思える。
朝鮮学校が、文字通りに分断前の全朝鮮半島の文化や言葉を教えるための学校であれば、学生たちには思想教育は行うべきではないし、北についても南についても同じ祖国として平等に教えるべきであった。実際は前述の通りであり、「朝鮮学校=北系の学校」であった。故に、朝鮮という言葉を見ると、大半の方が北朝鮮を想起してしまうのだろうと思う。