祖国とは(3)
民族学校から日本の学校への転校の計画は、誰にも言わなかった。
なぜなら、学校の先生にバレたら確実に阻まれるから。
日本学校に転校する事は、朝鮮を棄てる事に等しい。つまり、非国民扱いにされる。そこに、生徒の意思を尊重するという文化は存在せず、ただ弾圧である。転校の意思がバレたら、特別室に呼び出されて、ビンタされげんこつされる事がわかっている。強く阻まれて、弾圧に屈したら、医者になれない。だから、決してバレないようにした。
同じ時期に、サッカー部を退部した。転校の準備をしなければならない。
朝鮮学校の教科書は、日本語以外はすべて朝鮮語。地理は朝鮮地理である。朝鮮半島の山脈や工業地帯について学べても、日本については全く学べない。歴史は朝鮮歴史。まあこれはこれで楽しい科目だったが、日本の歴史は全く学べない。こんな状態で日本学校に行っても困るに決まっているだろうから、日本の地理歴史を勉強するために問題集を解いていた。
同級生にも悟られないようにして、中学1年生3学期の修了式の日に、民族学校を後にした。自転車で、一人で涙を流し、正門を出た。これでみんなとは最後になる。非国民だから、もう二度と会えないかも知れない。でも、日本学校に行くんだという気持ちが強かった。
日本学校に転校する前に、転校先の先生と面談はできていた。
歴史を担当している先生だった。そこで、名前を本名で通うのか、日本名(通名)で通うのかが話題になった。先生は本名を勧めてくれたが、私は敵国に一人で乗り込んでいくくらいの気持ちでいたので、その中に本名で入り込んでいく勇気はなかった。
中学2年生になる4月。私は日本学校(地元の公立中学)に転校生になっていた。民族学校からは、電話はかかってくるし、先生(ソンセンニム)も家にやってきた。
さて、日本学校に通い始めた私。あの時の事を思い返す機会は今回が久しぶりだが、今ぱっと思い浮かんだことは、金日成元帥と金正日同志の肖像画が無かった事。そして、感激したのは、クラス代表を決めるために、選挙や投票が制度としてあった事である。民族学校では、先生からの指名制であるが、日本の公立学校では選挙。多数決で物事を決める、中学2年生ながら民主主義を実感した瞬間でした。そして、そこで初めて声をかけてくれたクラスメイトが、T君。彼は聡明で雰囲気を和ませるセンスに長けていた。いつでも戦う「ハンサンジュンビ」のつもりでいた私の緊張が、少し解けた瞬間だった。