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家事業の「社長」


前々から一度書きたいと思っていたのですが、こちらの記事に触発されて、このタイミングに便乗します。
https://note.com/rich_cosmos956/n/n6d5080579506

結婚したのは30代半ばとやや遅めでした。
結婚には特にあこがれもなく、仕事は大好きだけど家事は苦手。ただずっと自分だけのために生きるのはちょっとさみしいかもというタイミングだった。
仕事は続ける、家事というか身の回りことができること、多くを女性に期待しないことが大前提でした。男女平等。現実はまだそうではなかったとしても、理想としては。
夫、今は成人した子どもも、それぞれ家事の能力はある程度身につけていて、私に突然の入院や死亡があっても直ちに困ることはない。
結果的に、現在の私の家事分担は一番多いけれど、それは私が自営業者で家にいる時間が一番長いから 頼めないからと思い込んでいました。
ところが、コロナ禍で在宅ワークなるものが会社員には与えられ、家族二人が家にいる時間が増えました。
私は「家事の分担をしてくれる人手が増えた」と思ったのですが、二人にしては「家でゆっくりできる時間が増えた」と。普段自分がやらずに済んでいることを家にいるから分担が増えるとは全く思っていない。その認識の違いに愕然としました。
夫の在宅ワークの日に「じゃあ今日の晩御飯担当やってもらえない?」と聞いたところ、「休みと違うから。5時まで仕事やで」。
いや、私は、休みじゃない日に家から離れた職場で6時まで仕事して、帰りに足りない買い物して、7時半くらいまでにおかずを用意しているんですけど…(白飯は早めに帰る子どもが炊飯してくれてます。)
そこで気づいたのは、家事の大変さの多くは段取りだということ。晩御飯が一番だけれど、メニューを決め、食材を用意し、調理時間計算し、 というのを仕事の前か、休憩中、仕事中か、最悪自転車で帰宅中に考えて…という訓練を日々しておかないと、単に炒め物やカレーなど何がしかの料理ができるだけでは、すぐに食事当番はできないのね。段取りのほぼいらない洗濯くらいはできても。
他の家族は家事業の「バイト」「プレーヤー」で、私が「社長」「監督」だったんだと改めて気が付きました。
人がいないから自分でやっていたけど、人がいても具体的に指示しないと、気が付かないし、動かないのね。それは過度の期待なんだ。
本当に赤字経営というか、人件費もまったく出ないのに仕事は減らない、高度の段取りと果てなき単調な繰り返しが多い「超ブラック企業」なんですけど。
といいつつ、朝ご飯はもう各自で好きに だし、夕飯も週に2日程度は「自由食ディ」というイベントを用意し、できる限り手抜きする「社長」でありました。

手伝わされるとか、ほめてもらえないとか。その気持ちも少しはわかりますよ。
私も子どもの頃、母は手伝ってもほぼほめてくれなかったから。もっとうまくほめて使ってくれたらよかったのだけど、文句ばかり言われて、お手伝いや家事は嫌いになった。
でも、世の男性は「社長」をほめてます?
ありがとう おいしかったよ きれいになったね えらいね がんばっているね たすかってるよ とか。
家事やってもらって、当たり前と思ってないですか。家事仕事をしたくないなら、せめて「ほめて」ほしい。少なくても関心はもってほしい。
それだけでは、ごまかされるもんか と思いながらも、まぁしゃあないかな程度に気分が上がります。
熟年離婚まっしぐらとなる前に、どうぞお気を付けください。
(我が家の例なので、それぞれ考え方は違うと思います。)


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