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【前編】官民一体で高める、「芸術文化のまち」の価値~立川市・轟誠悟さん、立川市地域文化振興財団・岡崎未侑さん、ファーレ倶楽部・松坂幸江さん~

今回のインタビューで訪れたのは東京都立川市。本企画では連載6回目にして初めての都内自治体への取材となりました。
テーマは立川駅からほど近い市街地エリア、「ファーレ立川」を軸に行われているアートのまちづくり。1994年に整備されたこのエリアには、世界各地のアーティストによる109点ものパブリックアートが設置されており、立川市の文化的な風土を高める中心地となっています。
インタビューを受けていただいたのはお三方。行政側からは市地域文化課長の轟誠悟さん、イベント企画などの実働を担う公益財団法人立川市地域文化振興財団の岡崎未侑さん、市民代表としてアートガイドボランティア団体「ファーレ倶楽部」会長の松坂幸江さんです。
数多くのアート作品はそれだけで地域資源になりますが、その価値を守り高めるために重要だったのは、官民連携でソフト面の充実を重ねることでした。

東京都立川市
【概要】

人口: 18万5,680人(2023年5月1日現在)
面積: 24.36平方キロメートル
産業:商業、農業(野菜、植木など)
交通:東京駅から快速鉄道で約40分
【取り組み】
・1994年、米軍基地跡地(5.9ヘクタール)の市街地再開発として「ファー   レ立川」を整備。立川駅北側にあるエリア内には世界各国のアーティストが手掛けたパブリックアート109点を設置。
・アートプランニングのコンセプトは、「世界を映す街」「機能(ファンクション)を芸術(フィクション)に」「驚きと発見の街」。
・ワークショップなどの各種イベントと作品の維持管理を官民連携体制のもと継続。
・2008年度からは、市内全19小学校の5年生を対象に、市民ガイドボランティアによるアート鑑賞教室をカリキュラム化。

まちのイメージを刷新する芸術の潤い

たましんRISURUホールで、(左から)轟さん、松坂さん、岡崎さんと

千葉 先ほど、ファーレ立川を巡ってきました。商業・ビジネス街のムードにパブリックアートが溶け込んだ景観からは、基地跡地だった頃が想像できませんが、どのような経緯でエリアが整備されたのですか?

轟 1977年に米軍基地が全面返還された後、跡地利用として昭和記念公園などが整備されたのはご存じかと思います。一方で立川駅に近い区域については、東京都と市が、UR都市機構の前身である住宅・都市整備公団に再開発を委託し、10年ほどかけて市街地としての都市計画が練られました。その時にテーマとなったのが、アートによるまちづくりだったんです。

松坂 この時期の立川については、国も業務核都市の一つとする構想を描いていましたし、都としても23区外の発展を図るモデルにしたい考えだったようですね。

千葉 なるほど。バブル期には都市にパブリックアートを設置しようという流れが盛り上がりを見せていましたが、バブル崩壊により財政が厳しくなったはずの1990年代前半に、行政がアートという分野に予算を割くことができたのは、国や都も後押しした計画がそれ以前から走り出していたからなんですね。

岡崎 アートがまちづくりの中心になったのは、おっしゃるような時代背景も影響しているでしょうが、「基地のまち」というイメージを刷新したい考えが行政にも市民にも大きかったためでもあると思います。私自身も、古くから立川に住まわれている方々とお話すると、「基地のまち」としての歴史に負の印象を持たれているのを感じることがあります。

千葉 確かに心の豊かさを象徴する芸術・文化は、軍事とは相反するものといえますからね。アートにまちを変える力を見出したのもうなずけます。そうした考えのもと、アートの設置に関する具体的なプランニングはどのようになされたんですか?

轟 エリア全域に多数の作品を設置するという構想に基づき、公団は全体をディレクションする事業者を公募しました。そして1992年に委託先に決定したのが、今や日本を代表するアートディレクターとなった、北川フラムさんが代表を務める事務所だったんです。

千葉 北川さんというと、新潟県の「大地の芸術祭」、岡山と香川にまたがる「瀬戸内国際芸術祭」など、地域とアートを結びつけた大型イベントのディレクションで知られていますね。

松坂 はい。北川さんがそうした芸術祭を手掛けていく起点となったのが、ファーレ立川というわけなんです。

五感を通じて発見する楽しみを仕掛ける

千葉 ファーレ立川を見て回っていて印象的だったのが、作品がベンチとして実際に使えたり、駐輪場を示す看板になっていたりと、まちのなかのさまざまな機能を担っている点でした。これも北川さんの発案なのでしょうか?

松坂 おっしゃる通り、「機能(ファンクション)を芸術(フィクション)に」というのがファーレ立川アートの重要な考え方の一つで、ほかにも車止めや送水管、換気口などさまざまなものが作品になっています。

左側の階段がアート作品。地下の機械室の空気を逃がす排気口としての役割を持つ。
(『無題』/リチャード・ウィルソン/英)
著名な作家が手掛けた作品も、実際に使えるベンチとして生活に溶け込む。
(『会話』/ニキ・ド・サンファル/仏)

千葉 そうした試みは、まちの整備とアートプランニングを一体で進めたからこそ実現できたのでしょうね。

轟 それが実は、北川さんがプランニングを開始した段階では、ビルの建設計画などは一通り完了していたため、モニュメントを設置するための十分なスペースを確保することができなかったそうです。そこで、まちのデッドスペースや機能を持つものと作品を一体にした。「機能を芸術に」はむしろ、制限を逆手に取って生まれた発想というわけです。

岡崎 それに、「機能を芸術に」という考え方はスペースの課題を解消するだけではなく、エリアを「妖精の棲む森」に見立てる構想にも適っていました。

千葉「妖精の棲む森」ですか? どういった考え方なのでしょう。

岡崎 森の中で五感を敏感にすると、さまざまなことが感じられますよね。それと同じように、ファーレ立川で目を凝らすと、妖精――つまり作品が姿を見せ、アーティストが込めたメッセージが伝わってくる。そんなイメージがプランニングの出発点になっているんです。

千葉 そういえば、ファーレ立川にはアートを解説する案内板も設置されていませんし、気を付けなければ通り過ぎてしまいそうな作品がたくさんありました。

松坂 だからこそ、何度訪れても発見がありますし、アートを見つけた時には喜びがありますよね。そんな「驚きと発見の街」も、コンセプトの一つなんです。

千葉 私は、子どもたちの豊かな学びに大切なことの一つとして、自然体験を挙げているのですが、それというのも、五感をフルに使ってさまざまなことを発見する経験が感受性を育むと考えているからなんです。ファーレ立川という「森」に込められた思いとぴったり重なりますね。

轟 作品を鑑賞した子どもたちからも、作品の存在に気付くこと自体を面白がる声が聞かれます。子どもたちにアートと親しんでもらう上では、頭で作品を理解するよりも、鑑賞を楽しい体験にすることが大事なのかもしれませんね。

パブリックアートは、地域の手によって活かされる

千葉 一般的に現代アートはなかなか分かりにくいものですよね。実は私自身も長年かけて、ようやく面白さが理解できるようになってきたところなんです。その点、ファーレ立川では「分かりにくいもの」がエリア内に100個以上も出現するわけで。プロジェクトが始まった当時、市民の方々はどのように受け止めたのでしょう?

松坂 作品を奇異の目で見る人はやっぱり多かったですよ。「なんだろう、これは」というふうに。一部には「無駄なお金をかけて……」なんていう声すらありました。

岡崎 パブリックアートが設置されたまま、住民に受け入れられずに埋もれる事例はほかの自治体でも見られていたことなので、北川さんは地域の手でアートを活かし続けられるようにと、自らガイド養成講座を行いました。そして、講座の修了者が集まって1997年に結成されたのが、ボランティアガイド団体の「ファーレ倶楽部」です。

千葉 その設立メンバーの一人が松坂さんというわけですね。当時はどのような経緯で参加されたんですか。

松坂 私はもともと美大出身なのですが、卒業後は専業主婦をしていたんです。そんな時に、友人から「面白い場所ができたみたいだから行ってみよう」と誘われるまま養成講座にも参加しました。

千葉 というと、決してガイドになるつもりはなかった?

松坂 はい。北川さんに会えるから、という軽い気持ちで受講したんです。でも、北川さんから「パブリックアートは神輿だから、担ぎ手が絶対に必要なんです」と言われて、やってみようかなと。

千葉 ソフト面の大切さを言い表す面白い言葉ですね。ガイドは市外の方に向けた側面も強いと思うのですが、市民の皆さんに対してはどのような取り組みをされているんですか?

松坂「ぴかぴかアートプログラム」という作品の清掃活動を、市民参加型の行事として年に2回主催しています。アーティストを招いたワークショップをセットで開催するので、子どもたちもたくさん参加してくれますね。

岡崎 今は新型コロナの影響で、ワークショップは休止していますが、以前は応募が定員を超えることも少なくなかったんですよ。今後は、またにぎやかになると思います。

千葉 それはいいですね。ファーレ倶楽部や参加者の方々、アーティストといった多様な大人と子どもたちがふれあう機会になりますから。そうした取り組みを通して、徐々にアートが市民の皆さんにとって身近なものになっていったんですね。

岡崎 立川の近くには美大が立地していて、学生や卒業生ら芸術・文化に関心の高い人が住んで活動を行っていましたので、アートを受け入れる風土はあったのかも知れません。でも皆さんの地道な取り組みがなければ、今のようには浸透はしなかったはずです。

市民のエネルギーと行政の理解がまちづくりの両輪

千葉 清掃活動はファーレ倶楽部の主催とのことでしたが、そのほかのアート関連イベントの企画運営や、作品の維持管理などはどのような体制をとられているのでしょう。

轟 まず作品の所有者は、たとえば商業施設の敷地内にあるものはその施設のオーナー、公道にあるものは市となっています。管理運営は、エリア内のビル所有者でつくる協議会と、市、ファーレ倶楽部さんを主な構成団体とする管理委員会が官民協働で行っています。

岡崎 管理委員会はさらに、作品の修繕などハード面を担う管理部会と、イベントなどのソフト面を担う事業部会に分かれています。そして管理部会は㈱立川都市センターが、事業部会は私たち地域文化振興財団が、それぞれ市とともに協働事務局を務めています。事業部会では、ファーレ立川エリア全体を会場にした春秋の「アートミュージアム・デー」などのイベントを実施しています。

千葉 行政と市民がしっかりと連携しているからこそ、30年間にわたりアートのまちづくりが維持されてきたんですね。

轟 それはその通りです。行政が芸術・文化に理解を持って推進することは重要ですが、それだけではまちぐるみの取り組みには至りません。民間の力が不可欠ですし、あくまで私たち行政はそれを最大限に活かすようサポートする立場だと考えています。

千葉 先ほど、「アートという神輿は担ぎ手がいなくてはならない」という北川さんの言葉がありましたが、そこに込められたソフトの大切さを、行政が理解し続けていることは素晴らしいと思います。

轟 ありがとうございます。でも市民の皆さんがファーレ立川で目に見える活動を継続されているからこそ、市としてもそれを後押しすべく、仕組みを徐々につくってこられたんです。

千葉 人と人をつなげ、官民の一体感を高める。お話を聞いていると、ファーレ立川のアートは、ただ単に人目に触れる場所に置かれているということではなく、本当の意味でパブリック(公共)なのだと感じます。パブリックアートを考えることは、まちづくりを考えることにつながるのだと気付かされました。

後編へつづく)