【前編】変化を続ける大人たちが、希望あふれるまちをつくる~新潟県三条市長・滝沢亮さん、市教育委員会特別指導主事・中村義則さん、マルト長谷川工作所社長・長谷川直哉さん~
連載8回目の今回、お話をうかがいに訪れたのは新潟県三条市。
江戸時代に発祥を持つ金物加工を中心に、世界に高い技術を届ける「ものづくりのまち」であり、隣接する燕市とともに「燕三条」というエリア名でも知られています。
このまちは、ものづくりを行う各工場の観光資源化などを通して、注目度が年々高まりを見せるとともに、地場産業と紐づいた各種の教育活動も盛んに行っています。
三条市の行政、教育、産業についてお話をうかがうためお集まりいただいたのは、市長の滝沢亮さんと、市教育委員会教育センター特別指導主事の中村義則さん、ニッパーなどの工具や爪切りをはじめとする理美容品を主力商品に持つ、マルト長谷川工作所の長谷川直哉さん。
まずは、ものづくりという地域の基幹産業が、どのように変化を重ねてきたのかという点からお聞きしていきました。
肌で感じる「ものづくりのまち」らしさ
千葉 今回のインタビューでは、工場という空間がどんどん外向きに開かれていった過程を把握することが、三条市ならではの学びの在りようを知ることにもつながると考えています。そこでまずは、皆さんの子ども時代の思い出の中に、工場がどのようなイメージで残っているのかをお聞かせください。
中村 私は農業地帯の出身なので、工場は決して身近ではなかったのですが、高校に進むと工場の跡取りと知り合うわけです。その友達の家に遊びに行って工場を見る中で、次第に「三条はものづくりのまちなんだ」と実感していきましたね。
千葉 長谷川さんは中村さんよりも下の世代になりますが、「工場の跡取り」の立場として、どのようにお感じになっていましたか。
長谷川 工場特有の音やにおいといったものに愛着は抱いていましたし、中村さんと同じように友達との思い出もありますが、では良いイメージばかりを持っていたのかといえば、決してそうでもなかった(笑)。特に高校時代はバブル景気と重なっていましたから。「3K」ともいわれた製造業より、東京に行って都会的なサービス業なんかをしてみたいと思っていたのが正直なところです。
千葉 プロフィールを拝見すると、長谷川さんは東京どころかイギリスで会社を経営されていたとか。
長谷川 はい。学生時代の留学中に貿易会社を立ち上げて、そのまま長らく滞在していました。ふるさとと距離を置いてこそ見えてくることや考えることもあるものでして、帰国後の2011年に家業を継ぎました。
千葉 イギリスからというのは、壮大なUターンですね。一方で滝沢市長は現在37歳と、長谷川さんよりもさらに一回りほど下の世代になりますが、工場にまつわる思い出にはどのようなものがありますか?
滝沢 私が子ども時代を過ごしたのは、平成の大合併で三条市に併合される前の旧村なのですが、小学校のころに学校の社会科見学で工場へ行ったのを覚えていますね。また、溶接業などの小さな工場は私の住んでいた地域にもいくつか営まれていて、そういったところで親が働いてもいましたので、ものづくりに親近感はありました。
千葉 工場地帯のご出身ではない滝沢市長も中村さんも、子ども時代には実際の製造現場や、そこで働く人と接することで、「ものづくりのまち三条」を肌で感じていらっしゃったということですね。
長谷川 ただ、私の生まれた1970年代には、すでに工場は郊外へ集積されていましたから、かつての三条と比べれば、ものづくり産業と市民との接点は減少していたのは間違いありません。
まちへの注目度が、職人たちの意識を底上げする
千葉 積極的に工場見学を受け入れる「オープンファクトリー」をはじめ、現在の三条市で行われているさまざまな取り組みは、ものづくりとの接点を地域内外の人たちにどんどん提供していこうというものですが、そのような動きが生じ始めたのはどのようなタイミングなのでしょうか。
滝沢 ハード面で象徴的なのが、鍛冶職人の指導員によるものづくり体験ができる「三条鍛冶道場」だと思います。市が設置し、運営を鍛冶職人の団体に委託している施設なのですが、2005年にこれができるまで、体験で産業を学べる拠点というのはありませんでしたから。
長谷川 その時期は、工場側にもイベントとして産業を発信していこうという機運が芽生えたタイミングと重なります。2004年の新潟・福島豪雨の被害に対して、全国から寄せられた支援に恩返しができないかと、商工会の若手メンバーが中心となってイベントを立ち上げ、2013年にスタートした「燕三条 工場の祭典」にまで流れが続いています。「燕三条 工場の祭典」は、各企業が集まってワークショップなどを出展するのではなく、それぞれの工場に人を招き入れて空間そのものを見てもらおうとした点が、大きな発想の転換でした。
滝沢 各企業には、「工場はあえて外に見せるようなものではない」という考え方も根強かった中で、その真逆を行くイベントですからね。
千葉 そして、その成功があってこそ、各工場のオープンファクトリー化も促されていったわけですね。長谷川さんの会社でも、2019年から取り組みを始められていますが、その後の工場の変化はいかが感じられていますか?
長谷川 当社の場合、見学の出発点にもなる自社製品ショールームを工場敷地内に開設したのに合わせて、オープンファクトリーと銘打つようになったのですが、以前とは訪れる人たちが変わったことで、社員たちの意識も目に見えて変わっていきました。よく「芸能人は見られるほどに垢抜ける」などといわれますが、それと同じようなことが企業にも起きるのだなと感じましたし、新たな人材の確保にもつながっています。
千葉 見られることで働く人の意識も変わった上に、新たな人材との出会いの場になったということですね。
長谷川 そうなんです。もともとは自社製品と燕三条エリア全体のブランディングのために始めた取り組みが、思っていた以上の効果を生んでくれたんです。工場にとっての投資は、品質や生産性を向上させるためのモノに充てるのが主なので、実際のところオープンファクトリー化への投資は悩みもしましたが、結果としてものづくりにとって最も重要な人材という資源の充実も果たされたわけですから。
自然体で形成される強固な官民連携
千葉 三条市では、昨年度のふるさと納税の寄付額が前年度比3倍の50億円を突破したということが、ニュースとして報じられていました。オープンファクトリーなどによるまちの魅力づくりが、きちんと外部に届いていることを感じます。
滝沢 ふるさと納税については昨年度、全体の統括者を民間から任用し、市役所内にプロジェクトチームを置く体制に移行させました。寄付額の大台越えは、新体制がうまく働いた成果でありますが、返礼品である三条市の製品に魅力があることが、大前提の要因だと思います。
千葉 なるほど。たとえばほかに、移住者が増加したなど、知名度向上による波及効果はありますか?
滝沢 実際に移り住む人が大幅に増えているということはありませんが、市の移住促進サイトのアクセス数を見ると、関心が高まっていることは確実です。おすすめの移住先としてメディアで紹介されることも増えてきていて、やはりそこでも、ものづくりの現場という働く環境があるということがポイントとして打ち出されています。市としても高まっている関心を実績につなげるため、移住支援制度のメニューを本年度から新設・拡大したところです。
千葉 ものづくり産業を中心とした三条市の取り組みは、いずれも主体性のある民間と、それをサポートする行政とのしっかりとした連携が必要だと思うのですが、官民の一体感を高めるためのシステムが構築されているのですか?
滝沢 いえ、特別な仕組みというものはなく、官民が連帯しているのは地域性のような部分が大きいんです。私見なのですが、要因のひとつは都心へのアクセスの良さかなと。一度東京で見識を広げてからUターンしてくる人も多く、定期的に人の循環が図られることもあって、閉鎖的な関係性に凝り固まることがないのではと考えています。
長谷川 それに、産業界も特定の一社が強い影響力を持つような構造ではなく、各社が横並びの関係性にあるということも要因といえます。ほかの自治体の話を聞いても三条市の官民の距離感の近さは特別だと思いますし、だからこそ私たちから市へは無理難題ばかりを投げかけてしまうのですが(笑)。
滝沢 いえいえ、皆さんに負けないようにと、こちらの意識を押し上げてもらっています。それに、企業の税収がなければ市民のための行政運営ができないわけで、官民が産業活性に向けて視線をそろえようというのは、とてもシンプルな考え方だと思っています。
千葉 確かにそうですよね。伝統的な地域性はほかの自治体が真似できるものではありませんが、市長が今おっしゃった考え方は行政が心にとめるべき理念だと感じます。
地域づくりに取り組む大人は子どもの手本
千葉 官民連携の風土が根付く中で、昨年度には経済活性を図るための産学官組織を立ち上げられたそうですね。
滝沢 「三条市未来経済協創タスクフォース」という名称で、メンバーには長谷川さんも加わっていただいています。昨年度はメンバーの皆さんに、まちの将来像や課題解決の戦略を話し合っていただいた上で、6か年計画の「経済ビジョン」を策定しました。それを具体的な政策に反映させていくのが、本年度からの私の仕事になります。
千葉 施策のなかには、子どもたちの教育に関わる部分も含まれてくるのでしょうか?
滝沢 乗り越えるべき大きな課題のひとつには、人材の確保がありますから、学校と連携した取り組みは必要だと認識しています。
千葉 これは私が常々考えていることなのですが、子どもたちに生き方の選択肢を増やしてあげたり、具体的に将来をイメージさせるためには、ロールモデルとなる大人とのふれあいが重要だと思うんです。
長谷川 そういう大人は大事ですよね。私自身は少し後になってからの気づきでしたが、地元産業界の先輩たちの存在は、経営者としての価値観を引き上げてくれたと思っています。
中村 学校教育の中では、子どもたちが職人技に触れる機会を設けていまして、それを見る目はやはりとても輝いています。ものづくりに携わる人材を育てるには、こうした経験を段階的に提供していくことが大切だと考えています。
滝沢 アプローチはさまざまな形が考えられるでしょうが、課題が山積している中でも、より良く変わろうとする大人や、実際に変わっていく大人がいるということが重要な事実。この三条市をもっと素晴らしいまちにしていこうとする大人たちの姿は、未来を担う子どもたちに必ず伝わっているはずなんです。
千葉 絶対にそうだと思います。ポジティブなまちのムードというものは、形があるものではないために、狙い通りにつくり出せるものではありませんが、三条市では「ものづくりのまち」という旗印のもとで、地域中に一体感を広げているのですね。そして、そのムードがあってこそ、子どもたちが地域の魅力を知識として学ぶ時にも、大きな納得感が生まれるのだと思います。
(後編につづく)