じいちゃんの小さな博物記③ 飲むに飲まれぬジジババ花茶/シュンラン
『草木とみた夢 牧野富太郎ものがたり』(出版ワークス)、『週末ナチュラリストのすすめ 』(岩波科学ライブラリー)などたくさんの著書をお持ちのプチ生物研究家・谷本雄治さん。
「なかなか遠出できない今だけれど、ご近所の自然には不思議や驚きがいっぱいあります。自然はいろいろなことを教えてくれますよ」とのこと。
谷本雄治さんからの「小さな博物記」第3回をお届けします。
わが家の一番鶏ならぬ一番花は、庭のふきのとうだ。細かく刻んでふきみそにするのが、ぼくの春のしごとのひとつになっている。
「じいちゃん、ありがとう。ぼく、大好き」
「小学生なのに、苦くないのか?」
そんな会話を初めてしたのは、孫が2年生のころだった。
庭のフキとはいうが、知らないうちに勝手に生えてきたものだ。同じように、どうやって庭に入り込んだのか覚えていないシュンランも毎年、3月ごろから律儀に花を咲かせてくれる。
ランというと、カトレアやコチョウランのように派手な花を思い描く人が多い。それらに比べると国内に自生するシュンランは地味だが、れっきとした東洋ランの一種である。
黄緑色の花びらが6枚。そのうち本当の花びらは内側の3枚で、外側はがくだという。
まんなかにある唇弁には、粋な赤紫の斑点がちょんちょんと付く。そんな様子を見たあとで花言葉が「控えめな美」だと知れば、否定するせりふは出てこない。
シュンランにはまた、「春のビーナス」という美しい呼び名もある。春を感じると地際から立ち上がるようにして花茎を伸ばし、その先にうつむきかげんの花を咲かせる。その姿に、愛と美の女神であるビーナスを思う人もまた素敵だと思う。
ロマンチックな気分にひたっていると、いやいやじつは……とお節介にも教えてくれる本の記述に出くわした。「ジジババ」「ジイトンバ」「ジンジンバ」という名である。しかもそれは、花が咲く前のシュンランに贈られたものだそうな。
そんなのを考えるのは、野遊びの天才である子どもたちに決まっている。春を強く待ち望む雪国の子らはとくに、観察力に磨きがかかる。
開花前の緑色の花びらを押し開き、横からながめる。すると、おしべとめしべがひとつになったずい柱と、それにくっつく唇弁が見える。そのずい柱を腰が曲がったじいさま、唇弁をばあさまに見立て、こうはやすのだ。
「やーいやい。じいさんとばあさんが抱きあってる」
いやはや、ませた子どもたちだ。
そんなシュンランがいまや庭の一員となり、しかもけっこうな大株になってきた。
「へへへ。シュンランの花茶が飲めるぞ。酢の物もいいなあ」
5輪ほど咲いた年、そんなことを企てた。
野山でシュンランの花に出会うことはあるが、摘むのは気がひける。自宅なら、花も許してくれるだろう。自分の舌で味わいながら、そうした文化・習慣を次代につなぐのも年配者の務めだ。花茎を包む〝はかま〟を外して塩漬けにした花に湯を注げば、めでたい席の花茶になる。酢の物なら、塩でゆでて甘酢で食べる。
「さあて、まずは花を摘んで……」
じいちゃんにも縁のあるシュンランだ。いよいよ今年こそ、あこがれの花茶に挑戦するぞー。
「でもなあ、ジジババの花を切るとあくる日は雨だというし……」
妻の実家は傘屋さん。雨を喜ぶべきかどうか。それがぼくの新たな悩みだ。