ドクダミ茶は臭くてたまらん?~じいちゃんの小さな博物記⑦
庭にはびこるドクダミ。花は白くてきれいだけど、抜いてもプチ、プチ、プチッと切れるばかり。しかも臭い。ならば、野草茶にしよう!とお茶づくりをはじめた谷本さん。「白い追憶」という美しい花言葉をもつドクダミ茶の味は?
『草木とみた夢 牧野富太郎ものがたり』(出版ワークス)、『週末ナチュラリストのすすめ 』(岩波科学ライブラリー)などの著者、谷本雄治さんの「小さな博物記」第7回をお届けします。
ドクダミが庭のあちこちに領土を広げ、さらに拡大しようとしている。そのうち乗っ取られそうな雲行きである。
ところがなんとも悔しいことに、その花が純白で美しいのだ。ほんとうは花ではなく総苞で、花びらは総苞片と呼ぶのが正しいのだが、そんなことはどうでもいい。ここらで手を打たないと、大変なことになる。
若いころは毎日、「十薬」とも呼ばれるドクダミ茶を飲んだっけ。利尿・抗菌など10種類の作用があるらしいが、ぼくは健康茶の一種だと思っていた。
勧めてくれたのは、明治生まれの義祖母だ。長年飲んでいて体調がいいというので、そのやり方に従い、小さなやかんをドクダミ茶専用にした。
葉をひとつかみ入れ、30分ほど弱火にかけて煎じる。薬草の一種である「十薬」はそうやって煮出すことで、薬効成分が抽出できる。それを湯のみ茶わんに注ぐとなんとも香ばしく、飲めば爽快感をおぼえる……とはならないものの、薬だからと渋い顔で飲む味ではない。
野遊び的なことが好きなので、火であぶったクマザサの葉を登山時の即席の笹茶にしたり、タンポポの根やどんぐりのコーヒー、アマチャヅルのお茶を作って飲んだりすることが多かった。だから十薬というものはまあ、こんな味だろうと納得したものである。
やかんの内部はいつしか、薬草エキスでつるつるになった。薬効はわからないが、おかげさまで元気なじいちゃんにはなっている。
――そうだ。ドクダミ茶にしよう!
わがもの顔のドクダミどもに、一矢報いてやろうではないか。
「ドクダミ茶を作るからな」
「あんな臭い葉っぱがお茶になるの?」
孫の疑問ももっともだ。だが、臭いのは揮発性成分のしわざだから、水分が抜けるにつれて気にならなくなる。
折あしく「水無月」6月、梅雨のさなか。空をにらみながら庭に出て、花もろとも株元でカットする。
刈り取った生葉を洗って束ね、物干し竿に引っかけて軽く乾かした。
次にそれをざっくりと刻み、干したり室内に入れたりして、約1週間。これでどうにか、準備完了だ。
今回は、緑茶のようにして飲む。煎じようにもかつての専用やかんはなく、電気ポットに代わっている。ドクダミ茶葉を急須に入れ、5分ほど蒸らした。
色は薄い茶、麦茶の色だ。濃くしたければ葉の量を増やすか、蒸らす時間を長くすればいい。好みは人それぞれである。
ごくり。のどごしは悪くない。複数の植物を混合したペットボトル入りの健康茶の味に似ている。これなら孫でも飲めそうだ。
ドクダミの花言葉は「白い追憶」。庭を占領しつつあったドクダミはぼくに、野草茶の懐かしい思い出をもたらした。
孫たちにとってこのドクダミ茶はさて、どんな思い出になるのだろう。
じいちゃんの小さな博物記⑦