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失明得暗──新たな「ユニバーサル」論の構築に向けて ③〈最終回〉──広瀬浩二郎

「濃厚に触れ合うことによって人間は文化を作り、歴史を歩んできた」と語る広瀬浩二郎さんは、全盲の文化人類学者。国立民族学博物館准教授で「誰もが楽しめる博物館」の実践的研究にも取り組んでいらっしゃいます。
2021年秋に国立民族学博物館で開催された「ユニバーサル・ミュージアム──さわる!“触”の大博覧会」を成功に導いた広瀬さん。
「誰もが楽しめる」とはどういうこと? この連載では、わたしたちがこれからの本づくりをする上でもヒントが満載の「新たな『ユニバーサル』論」を広瀬さんに3回にわたって書いていただきました。今回はいよいよ最終回です。
連載タイトルにある「失明得暗」。広瀬さんの造語であるこの言葉は、わたしたちがわたしたちの手で未来のユニバーサル社会を築くための生き方/行き方の指針にもなるものです。最後までどうぞお楽しみください。
(第1回記事は→
こちら、第2回記事は→こちらからお読みください)

広瀬浩二郎(ひろせ・こうじろう)
1967年、東京都生まれ。日本宗教史・民俗学・触文化論を専門的に研究する文化人類学者、国立民族学博物館准教授。自称「座頭市流フィールドワーカー」。
13歳の時に失明。筑波大学附属盲学校から京都大学に進学し、2000年、同大学院にて文学博士号取得。「誰もが楽しめる博物館」の実践的研究に取り組み、“さわる”をテーマにしたイベントを全国で企画・実施している。
おもな著書に、『万人のための点字力入門』(編著、生活書院)、『目に見えない世界を歩く』(平凡社)、『さわって楽しむ博物館』(編著、青弓社)、『知のスイッチ』(共編著、岩波書店)、『それでも僕たちは「濃厚接触」を続ける!』(小さ子社)、『てんじつきさわるえほん 音にさわる』(絵:日比野尚子、偕成社)など多数。

■ルイ・ブライユの功罪

 2024年は、ルイ・ブライユによる点字の考案から200周年となる記念の年である。おそらく、点字の母国であるフランスをはじめ、世界各国で祝賀行事が企画・実施されるだろう。
 近現代における視覚障害者の歩みを振り返ると、点字の登場によって彼らの自立と社会参加が促進されたことがよくわかる。点字は単なる文字というレベルにとどまらず、点字受験・点字投票などの例が示すように、視覚障害者の人権とも不可分に結び付いている。点字の普及と社会的認知が、視覚障害者の市民権拡充と密接に関わっていることをあらためて強調しておきたい。僕自身も学校教育、就労体験の要所要所で点字の恩恵に浴してきたので、ルイ・ブライユに対する感謝の気持ちは人一倍強い。

(写真左)木製の点字盤。ユーザーが減って生産中止となったが、
選挙の投票所などでは今でも使われている。
(写真右)携帯用の点字器。近年では一般校での点字学習を意識して、
カラフルで簡単に持ち運びできるものが販売されている。
点字の電子手帳。21世紀に入ったころから「紙を使わない点字」が普及し、
現在では多くの点字ユーザーがメモ、スケジュール管理、読書などに
電子機器を用いている。

 点字考案200周年の記念イベントでも、世界中の視覚障害関係者、当事者からルイ・ブライユへの賛辞が贈られるに違いない。そして、「点字=視覚障害者文化」の継承がさまざまな形で宣言されるだろう。そのこと自体に異論を呈するつもりはない。しかし、それだけでいいのだろうかという疑問が僕の心の中に芽生えているのも事実である。
 
 ルイ・ブライユは「光の使徒」と称される。彼は19世紀前半のフランスにおいて、文字を使えない視覚障害者に、自力で読み書きできる点字を与えた。点字発明の背後に、近代化の流れの中で不自由を強いられる当事者たちの文字に対する渇望があったことは看過できない。ルイ・ブライユの功績を僕流に要約すると、失明者に「明」を与え、「健常者と同じことができる」可能性を提示したとなるだろうか。
 
 点字考案以前、盲人たちは文字を使わない世界に生きていた。その代表が日本の琵琶法師・瞽女(ごぜ)・イタコである。彼らは得暗者とも呼べる存在だった。つまり、点字が発明されるまで、盲人は失明者と得暗者の両側面を保持していた。当事者コミュニティが点字の有用性を認め、「光の使徒」への称賛が広がる過程で、失明者の側面がクローズアップされ、得暗者の側面は忘れ去られてしまう。

 得暗=「目が見えなくなる」という現象には、「明を失う」と「暗を得る」の両面がある。「失明・得暗」は表裏一体のはずなのに、近代以降、「得暗」の価値が忘れられてしまった。明と暗は単純に二分できるものではなく、ゆるやかにつながっているのではないか。そんな問いかけをするのが本連載の趣旨である。

 誤解を恐れずに言うなら、点字の発明は、盲人を視覚障害者化したのである。僕は「盲人」「視覚障害者」を以下のように定義している。

・盲人: 目が見える人とは別世界の存在として生きた前近代の目が見えない人。琵琶法師・瞽女・イタコたちの盲人文化は独自性を持つが、排他的な側面も有していた。
・視覚障害者: 近代以降の目が見えない・見えにくい人。目が見えないことはマイナスであり、克服すべき「障害」と意識される。近代の視覚障害者史は「見えなくてもできること」を増やす苦労と工夫の歴史といえる。盲人は目が見えない人のみを指すが、視覚障害者には弱視者(目が見えにくい人)も包含されていることにも注意したい。

 僕は2024年、点字考案200周年を得暗の復権の契機にしたいと考えている。得暗の再評価とは、「視覚障害者を盲人化する」試みでもある。もちろん、これは単純な前近代礼賛、懐古趣味ではない。20世紀の「完全参加と平等」を指向する障害者運動の成果を継承しつつ、前近代の盲人文化の精神を復活させる。そのために、まずは「失明=得暗」の本義を再確認しなければならない。具体的には、失明の克服という観点ではなく、得暗の復権という切り口で点字にアプローチしてみたい。本稿の締め括りとして、脱近代的な「点字=ユニバーサルな触文化」論を提示しよう。

「真鶴町・石の彫刻祭」にて。(2022年3月撮影)

■ユニバーサル社会の実現をめざして

 国立民族学博物館に着任した2001年以降、僕は「ユニバーサル・ミュージアム」(誰もが楽しめる博物館)の実践的研究に取り組んでいる。近年では、博物館で蓄積してきた実践事例を観光・まちづくりなどの他分野に応用することにも意識を向けるようになった。世間一般では、「障害者・高齢者・外国人など、社会的弱者への配慮・支援を充実させることがユニバーサルである」と考える人が多い。これに対し、マイノリティへの個別対応を積み上げるだけではユニバーサルにならないというのが僕の意見である。

「誰もが楽しめる博物館」の集大成として、
2021年秋に国立民族学博物館で開催された
「ユニバーサル・ミュージアム さわる!“触”の大博覧会」。

 たしかに、各地の博物館を訪ねた際、点字パンフレットや音声ガイドがあれば、僕たち視覚障害者は嬉しい。だが、バリアフリー的な障害者サービスとユニバーサルは異なる。社会の多数派である健常者と博物館の関係をどうやって、どこまで変えていけるのか。視覚障害者対応を起点として、視覚優位・視覚偏重の博物館のあり方、従来の展示方法や教育プログラムの内容に改変を迫る。これがユニバーサル・ミュージアムの要諦である。

 2021年3月、観光庁が主催する「ユニバーサルツーリズム」のシンポジウムに参加した。ここでも車いす使用者・視覚障害者・聴覚障害者、あるいは高齢者に配慮した「人に優しい観光ツアー」の事例が数多く取り上げられていた。障害者対応に関心を持つ旅行社が増えるのはありがたいが、それだけでユニバーサルツーリズムを推進することができるのだろうか。ユニバーサルと同じようなニュアンスで用いられる言葉に「インクルーシブ」「アクセシブル」がある。たとえば既存の観光ツアーのメニューがあり、そこにどうやって、どこまで障害者が入っていけるのかを検討する。これはインクルーシブであり、アクセシブルだといえよう。
 
 一方、既存の枠組みそのものを変えるのがユニバーサルである。視覚障害者対応の一環で、さわる鑑賞を取り入れるという発想ではなく、普段は視覚に頼って暮らしている健常者の鑑賞を「見る」から「さわる」へ変化させる。こんな狙いの下、僕は「無視覚流鑑賞」の展示、ワークショップを行なってきた。マイノリティの「生き方=行き方」を導入することで、新たな「ユニバーサル=普遍的」博物館、ツーリズムを構築できると、僕は確信している。今後も、ユニバーサルの意義を万人が実感できるような展覧会、観光ツアーを提案していきたい。
 
 ユニバーサルの真意を子どもたちにわかりやすく伝える手段として、点字はきわめて有効である。現在、小学校の国語教科書で「点字」が取り上げられている。小学生は3年生~5年生の単元で、点字の歴史やルイ・ブライユについて学習する。今やルイ・ブライユは「子どもはみんな知っている有名人」である。10歳前後の成長期に、子どもたちが短時間でも点字について学ぶ意義は大きい。
 
 しかし、小学校教育の現場では「点字=失明の苦難を克服する希望の光、バリアフリー社会の象徴」という理解でとどまっているのが実情である。「世の中には点字という特殊な文字を使う目の不自由な人がいます」「あなたたちは目が見えるのだから、視覚障害者には優しくしましょう」。小学校教員のこんな発言を耳にすることがよくある。やや厳しいコメントになるが、現状の「点字」学習は、「障害者/健常者」の二項対立を拡大・再生産する危うさを内包している。

広瀬さんの文章「さわっておどろく」は、
小学校4年生の国語教科書に掲載されている。
下の写真は、その文章の後ろにある点字のページ。
浮き出し印刷で子どもたちがさわって点字を学び親しむことができる。
(学校図書『みんなと学ぶ 小学校 国語 4年下』より)

 僕は、点字とは「触文化への気づき、触文化からの築きを促すユニバーサルなツール」だと考える。この持論を実証するために、小学校での「点字」学習の新展開に向けて、以下の二つを提言したい。

①点字は日本語を書き表す「別の方法」であることを宣揚する
点字は福祉的な位置付けではなく、ローマ字と同じように、文字、日本語表記法の一つとして習得すべきだろう。点字は表音文字で、発音どおりに書くという合理性を有している。漢字仮名交じり文のみが日本語の表記法ではないことを具体例に即して示し、多様な文字文化、それらを用いる多様な人々の存在を伝える。
②実際に点字にさわって、触覚文字の特徴を指先で確かめる
視覚を使わずに、凸点の数や配置を探るゲームのような感覚で、気楽に点字に触れてもらいたい。視覚依存型の生活の中で、子どもたちが他の感覚の潜在力を発見するきっかけを与えるのが点字である。自己の内部に眠る「感覚の多様性」への目覚めは、全身の触角を鍛える第一歩にもなるだろう。

 インクルーシブ、アクセシブルの発想では、失明の克服はできても、得暗の復権は難しい。近い将来、「失明得暗」という四字熟語が小学校の国語教科書に掲載されることを夢想しつつ、僕はユニバーサル社会の実現に向けて、各方面で「点字力」を巻き起こす活動に邁進しよう。

~連載を終えるにあたって~

 3回の連載記事をお読みいただき、ありがとうございます。昨秋の特別展「ユニバーサル・ミュージアム」は僕の人生の山場、おそらく最大のイベントでした。もう、あんなに大規模な(疲れる?)展示を企画・実施することはないでしょう。コロナ禍の厳しい状況下で「さわる展示」を開くことになったのは、来館者数という面では、明らかな逆風でした。でも、各方面で「非接触」が強調される社会の中で、あえて「触」の大切さを訴えることができたのは、僕のライフワークの意義を際立たせる結果をもたらしたともいえます。

 大イベントを終えて、「さて、これから何をめざそうか」と思案している時に、本連載の機会をいただきました。記事を書き進める過程で、自身の後半生の目標が明確になった気がしています。まず、目前の課題(?)として、本連載をより多くの方に読んでいただき、コメント、ご意見をお聞きしたいです。ふと気づくと、「目標」も「目前」も、目に関連していますね。これからも「目から鱗」の発見を読者にもたらすような文章を書いていきたいものです。

 なお、本連載記事も含んだ新著『世界はさわらないとわからない──「ユニバーサル・ミュージアム」とは何か』を7月に平凡社新書として出版します。「さわらないとわからない」はシンプルかつストレートな表現で、もう少し工夫できないのかとも感じますが、これが昨秋の特別展を通じて、僕が実感した素直な思いです。平凡社新書での拙著刊行は、『目に見えない世界を歩く』(2017年)に続き2冊目となります。2冊を読み比べ、5年間の僕の成長、普遍的(ユニバーサル)な主張に触れていただければ幸いです。と、最後まで宣伝で失礼しました!

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編集部より
広瀬さんの連載はこれで終了です。みなさま、最後までお読みくださりありがとうございました。連載第1回はこちらから、第2回はこちらからお読みいただけます。

広瀬さんの連載でも触れられている「ユニバーサル・ミュージアム」(国立民族学博物館)を実際に体験してきた編集者が、展覧会のようすを紹介する記事も公開しています。どうぞこちらも合わせてお読みください。

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*「調べよう! バリアフリーと福祉用具」全5巻(ポプラ社)

*コミック版 世界の伝記『ルイ・ブライユ』(ポプラ社)