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同世代の『命』から向き合うー「ボクが生きている意味」

”l have a dream”から始まるあの名言を知っていますか?
そう、キング牧師が残した超有名なスピーチの冒頭です。それぐらいは知っていたボクですが、
キング牧師が暗殺された年齢を先日知りました。

39歳。

彼がこの世を去った年齢が今のボクと同じだと知り、ショックが大きいです。それとともに

●2020年1月26日に起こったこと
●まだ信じ切れていない過去のこと

から、向き合い、ボクが生きている意味を考えていきます。


山本“KID”徳郁さんと、コービー・ブライアントさんの死


毎日この地球上では誰かが生まれ誰かが亡くなり、それを何度も繰り返して歴史を重ねてきた。今この時代に生きているボクもあなたもその歴史の中では、針で突いたような小さい点のような存在かもしれない。


だけど、確かに生きている。それでいて短いようで長い人生を送っている。
その中ではたくさんの命の誕生に触れる反面、たくさんの命が尽きる現実にも向き合わなければいけない。


不謹慎かも知れないが正直に書きます。誰の命も平等に尊いはずなのに、「同世代の人」の命が尽きるのが一番ショックだし悲しい。


大好きだった格闘家の山本“KID”徳郁(享年41歳)さんが亡くなったこともいまだに信じられない。あんなに強くてカッコよかった人が、まだまだ若いのに病気にやられるだなんて。まだ生きている気がしてなりません。


それに、2020年1月26日に
元NBAのスーパースター(バスケットボール)選手のコービー・ブライアント(享年41歳)さんが亡くなったこともショックが大きいです。


ぶっちゃけボクはマイケル・ジョーダン世代だし、コービーのプレイはほとんど見ていなかった。ただ、ジョーダンが去りしNBAを背負うスーパースターだということぐらいしか正直わかっていなかった。
なのに、同世代のコービーの死がとてもショックだった。その原因のひとつに、彼の愛娘(13)も同じくヘリコプター事故の被害者だったということが大きいのだと思う。
自分にも愛娘がいるので重ねて考えてしまい、また残された愛妻がいるとのことを考えると、心がしめつけられる。


コービー(画像左側)のライバルとして、ともにNBAでしのぎを削ったアレン・アイバーソン(元NBA選手、コービーと同期・画像右側)はこう言葉を発している

「俺達は動揺している。でも俺達はこれを乗り越えていく強さを得なければならない。なぜならそれがコービーが俺達に望むであろう事だからだ。」


こうやって、みな現実を受け入れようとしている。なんとか前を見ようとしている。「信じられない」なんて言っていてはいけないのだ。


「生きること」を考える


『僕が死を考えるのは、死ぬためじゃない。生きるためなんだ。』
アンドレ・マルロー

生きること”って、
「命は限りあるもの」って受け入れることだと思う。


もともと現実逃避癖のあるボク。何度も自分を否定し、自分の命なんていらないと考えてきた過去があります。
そして最近になり、”生きること”を考える時間があった。


もしボクにとって最愛の人の命が尽きるなら、ボクは何ができるだろうか?

生きてて良かったと少しでも思ってもらえることができるだろうか?
そういう時間を過ごせているのだろうか?
生まれ変わってもまた巡り会いたいと思ってもらえるだろうか?

最愛の人がいなくなるなんて想像もつかない。考えたくもない。
けど、いつまでもこうして「命は限りあるもの」という現実から逃げていては、本当の意味で「生きる」ことなんてできないんじゃないかと思った。

たいていの人は、普段から「命は限りあるもの」って考えることなんてほとんどない。だから誰かのそういう場面に直面した時、受け入れられないし、ただ悲しみに暮れるのだろう。
ただボクはこうしようと思った。
「命は限りあるものと覚悟を決める」。

要するに、もっと「命が果てる」ことについて準備をしておかなくてはならないということ。自分についても周りの人についても。そして命が果てることがどういうことかにも言及しておきたい。


命が果てることはどういうことか


怖いですよね。想像もつきません。だけど自分なりの答えを持っているかいないかで、
どう生きるか=どうこの世から去っていく
が決まるのだ。
だから、たとえ病気になったとしてもやみくもに死を怖がるようなぶれた生き方をすることはない。
毎日、やるべきことをし、その時を迎える準備をする。そうすることで命の終わりを受け入れる準備とするのだ。

命が果てたとしても、ボクの捉え方は


また生まれ変わる


と信じています。何度も生まれ変わって今の命があるんだと思っているので。
しかし、また生まれ変わっても、いま一緒にいる人と会うことはないでしょう。場所も時代も違っているはずだから。

これは気が狂いそうなほどとても悲しいし淋しいこと。だからこそいま一緒にいる人との時間を大切にするべきなのです。一緒にいられる時間がどれほど貴重で、二度と戻ってこない時なのだと噛みしめて過ごすのです。

かつてサムライたちが、あれだけ潔く、情熱的に生きられたのは、「自分はいつか死ぬ身である」という事実から目をそらさずに、「この命を何に使おうか」と、日々心を練っていたからです。 

ひすいこたろう著 『あした死ぬかもよ?』より引用


朝、起きたら夜には眠たくなるように、
冬は寒くて、夏は暑いように、
ボールを上に投げたら下に落ちてくるように、
生まれてきたら命は尽きるものだと決まっているのです。
この事実から目を背けず、当たり前のものとして受け入れるのです。

これは悲しいことだけじゃなく、時間が限られているからこそ必死に生きることができるのではないかと思います。

食べ放題や飲み放題も、二時間制だから楽しめる(元をとろうとする)。あれが何時間でもオッケーですよ、だったら果たして楽しめるだろうか?

人生も同じで、終わりを意識できる人が悔いのないように情熱的に必死に生きられるんじゃないでしょうか?
「このままではまだ死ねない」、その気持ちの強さが生きることの意味を照らしてくれるのではないでしょうか?



何があっても生きようと思う

大好きな人が死なずに、今日生きていてくれる。それ以上の幸福ってありますか? キミが大切に思っている人は、同じように、キミが生きていることで幸福を感じているはずです。幸せの本質は、そこにいてくれること、「存在」にこそあります。

ひすいこたろう著 『あした死ぬかもよ?』より引用

ボクはすぐに忘れます。大切なことさえも。しかし、今回ばかりは忘れたくないと思い、こうして文章にあらわしました。

キング牧師・山本“KID”徳郁さん・コービー・ブライアントさん

という、自分と同世代の人たちの命が果てた事実を受け入れて、この気持ちを無駄にしないように生きていこうと思う。

今日、ボクは生きています。過去に、自分の命を何度も否定して「いらない」とまで思ったことのあるボクは何があっても生きようと思うようになれたのです。

しかし、これで満足している自分がいました。

●もしボクのまわりで、自分の命を否定している人がいれば、その人の心の叫びを聞けてはじめて、

●その人が「何があっても生きよう」と思うようになれてはじめて、

自分の命を「いらない」とまで思ったことのあるボクがいま生きている意味なんだと思う。

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