努力ができなくても、スターになれなくても

私は努力がとても苦手だ。

基礎練のようなものをコツコツとこなしたり、1日20分何かに取り組んだり、といったことが本当にできない。
がんばることで先々力になるとわかっても、つまらないと思ってしまったが最後取り組めないのである。

人生でしっかり上達できたものは、音楽と大学受験勉強の2つだけ。
前者は人と一緒に演奏することがとにかく楽しくてそこに膨大な時間を費やしたので、基礎練をあまりしなかったが幸運にも上達できた。それでも家で一人で楽器を弾くことに他のプレイヤーに比べて取り組めないため満足のいく技術レベルには全く達していないと自認している。
後者は部活動も強制引退となり学年全員が勉強以外に取り組むことを与えられないという高校3年生の1年間があったため、勉強以外やることがなくみんなと同様に取り組んだ結果さすがに学力は向上した。しかし教え方が上手な先生方のおかげで勉強にも楽しく取り組めたという点が大きいし、志望大学に合格したのは運が99%である。
どちらも上達できた要因は努力ではない。

努力というのは人間として必ずなすべきことという価値観が広く受け入れられているし、私も多分に漏れずそう考えている。
そんな中自分ができていないからこそ、とにかく努力できる人に憧れるし、強いコンプレックスがあって自分のことが嫌いになる。


私はスターになりたかった。

小さな頃から目立ちたがり屋で、人の中心にいたいという気持ちを持って行動してきた。
小学校では学級委員や生徒会長などをどんどん買って出たし、クラスのみんなを笑わせようととにかく大きな声でしゃべっていた。小さな学校の中では成績も良かったのでもてはやされた。(もちろんこれは井の中の蛙であった)

しかし、私は結局今まで一度もスターにはなれなかった。
小学校では家が一番近かったO君が、足も速く顔も良く面白いという、小学校最重要三大要素を兼ね備えクラスダントツのスターであった。
中高ではそもそもモブキャラ生活でスターへの挑戦もしなかったし、学内カーストでも中の中という感じだったと思う。
大学ではサークルで目立つ存在にはなれたが部長になることはできず、同世代を見ても周辺の学年を見ても自分より圧倒的な輝きを持つスターが何人もいた。(Penthouseを一緒に組んでいる浪岡真太郎や大島真帆、Cateenもそこに入るであろう)

結局のところ私はスターにはなれない凡人であると強く実感している。

このように私は人間の基本である努力もできなければ、スター性もない凡人である。
しかしこの投稿はメンヘラ記事ではない。
目指すべき存在や目指していた存在にはなれなかったが、良い人間としての道はひょっとするとそれだけではないのかもしれない、ということがこの記事の論旨なのである。

努力のできない私は何も手にしていないのだろうか?
目指していたスターになれなかった私はその結果何も手にできなかったのだろうか?

否。私の歩んできた道には喜怒哀楽がたくさんあって、本当にたくさんのことを感じてきて考えてきた。
絶対に無駄なことじゃないし、そこから得た人生哲学も、そこから見えた自分もたくさんある。
同時にたくさんの友達、仲間ができた。これこそが私の一番の宝物だ。
そんな友達、仲間に言ってもらえたからこそ、自分の中で自信にしていいと思えた部分もある。

私もこの月末で29歳だ。
できないことから目を背けてはいけないが、持っていないことを嘆き続けても意味のない年齢になってきたと思う。

努力ができなくても、スターになれなくても、
きっと、大原拓真という「かっこいいヤツ」になる道があるはずだ。

憧れ続けるのはもうやめだ。
道の先は見えないけど、自分で切り拓いていくしかない。

前例のない「かっこいいヤツ」になるために、私は今日も迷いながら進んでいく。

#ゆるふわ哲学
#inspiredby医龍13巻
#良いと思った人は医龍を読んでください

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