第8回毎月短歌の選評が出来なくなりました。
毎月短歌の選評ができなくなりました。みなさまに心からお詫び申し上げます。
理由をお伝えします。まず、じぶんはじぶんの短歌の読みを信頼しています。じぶんはいい歌が分かると思っている。だからこそ選評を引き受けました。
しかし、みなさまの投稿歌を読むにつれて、そのいい歌と感想をお伝えしたい歌がずれてきました。一言でいえば、必ずしも完成されているとは言えない短歌に惹かれはじめたのです。
いい歌をつくる人は短歌につくり慣れているのではないでしょうか。彼らの短歌は読まれることが多く、感想を受けとることが多い。その歌に感想をお伝えするのも、もちろんとても大切なことです。じぶんが素直に読めば彼らの歌を選ぶことになりそうです。しかし、その選評は読まれやすい歌と読まれにくい歌の差異を際立たせることなってしまうのではないか。
必ずしも完成されているとは言えない歌に惹かれるのは、そこにはじまりを感じるからです。彼らの想いは短歌形式と噛み合っていないかもしれない。けれども、むしろそれゆえに、そこには短歌形式との出会いがあるように感じられました。不可解な体を抱え、心を抱え、日々を暮らし、あるときに感じた心の震えを不意に短歌に閉じ込めようとした人が、たしかにそこにいる。
彼らの短歌からははっきりとした声が聞こえました。そして、じぶんはその声を聞き逃せなくなりました。
しかし、彼らの歌に選評を加えることは、その至らない部分を指摘することになります。はたしてじぶんにそのことが許されるのでしょうか。彼らはこのぽっぷこーんじぇるを信頼し、ぽっぷこーんじぇる目がけて短歌を詠んだわけではないでしょう。じぶんに何の実力もなく、権威もなく、また互いの信頼関係もないなかで、短歌に駄目出しをくわえることはいたずらに相手を不快にさせることにならないだろうか。それでも彼らの歌を無視することはできない。このように考え、じぶんは選評を書けなくなりました。
ここに経緯を書きましたのは、第一にはみなさまに謝罪するためですが、もうひとつはその声を聞いたことをお伝えするためです。あなたの声はちゃんと届いています。もしよければ、これからも短歌をつづけてください。
最後に、もしみなさまのなかでじぶんに直接短歌を送ってくださる方がいましたら、かならず感想をお伝えいたします。
以上です。改めまして、誠に申し訳ありませんでした。
ぽっぷこーんじぇる