教室に目標を掲示することの何がそんなにいけないのか?世間との価値観のズレに悩んだ話。
学級目標を掲示したり、指導者として学級集団に目標を提示したりすることの何がそんなに悪なのか?
こんなツイートを発見しました。
私は、このツイートを見た時、何の違和感も感じませんでした。
むしろ、
子どもが一生懸命で、相手の話をよく聴けて(相手の立場に立てる)、優しさがあり、規律を守り(心理的安全性)、笑顔もある…
すごい理想的な学級集団で、この目標に向けて学級が成長していけば、きっと子どもたちは伸び伸びと生き生きと学校で過ごすだろうなと思いました。
しかし、リプ欄を見て驚きました…
批判意見で炎上しているわけですよ…
・型にはめすぎ
・いろんな子どもがいる
・劣等感を生む
・理想を求めすぎ
・先生が逆の立場だとどう?
などなど…
そうですか、
世間との価値観のズレに驚かされます。
それが世間なのですね。世間の価値観なのですね。
時代は変わっていくのだな~と思った次第です。
先生は、やりづらい時代だとも言えるでしょう。
世間の価値観が知れて良かったと思う反面、目標を掲げることがそんなに悪いことなのかと思う自分もいます。
やはり、安定した学級経営を実現するためには、多様性や個性、自由ばかりを求めても実現はできないと思います。
規律やルールを守ることがあって、初めて自由で伸び伸びとできるのではないでしょうか?
子どもたちが伸び伸びと生き生きと集団の中で生活をするためには、やはり規律やルールがしっかり守られていることが前提にあるのではないかと思います。
規律があるから安全が担保される、優しさが生まれる、自由で伸び伸びと学校生活を送れる、
そう思うわけです。
規律を守るために、学級のリーダーとして学級担任が目標を掲示することはそんなに悪ですか?
そりゃあ、しんどい子もいますよ。
でも、規律が守られていない学級崩壊のクラスは、もっとしんどいと思いますよ?
学級としての方向性を目標として掲示することがそんなにいけませんか?(もちろん子どもと一緒に目標は考えていきたいですが、)
そんなふうに思います。
世間との価値観のズレに悩みますが、教師としても歩み寄っていけるところは、柔軟に歩み寄っていきたいですけどね。
しかし、不易流行の、不易の部分も大事にしようと思います。
先生は、本当にやりづらいですね。
追記…
Twitter(X)を見ていると、こんなツイートを発見しました。
(仕事、はえぇ…)
色々、考えさせられるツイートです。
結論、
Twitter(X)は、面白い!!!