子どもを叱る機会は極力減らした方がいいに決まっている。理想は叱る必要がないという状態だ!褒めまくれ!という話。
先日、こんな記事を読みました。
叱らない。褒めまくる。
うん、なかなか面白い実践ではありませんか。
理想は叱る必要がない状態ですよね。
まぁ、あくまで理想ですよ。
ポプコ先生は、この記事を読んでこんなふうに思いました。
叱る必要がなくて、褒める機会がたくさんある(見つける)。
これって理想的ではないですか?
社会に出ると厳しい現実がある?
いやいや、今や社会までもが多様性に寛容であろうとしている時代です。
他者を認め合い尊重し合い、愛にあふれる学級に、学校に、社会に、世の中にってすごく理想的で生きやすそうじゃないですか?(理想ね)
その理想を心の中に持ち続けるのって教師として大事なことだと思います。
しかし、教職員垢にはこんな意見がかなり見られました。
叱ること抜きにできるほど教育は甘くない
よくない行いには叱って当然
喫煙、カンニング、暴力などはどうする
などなど
まあ、そうですよね。現実はそんなに甘くはないとも思います。
でもね、叱ることってかなりハイリスクローリターンな行為なんですよね。
以前、ある出来事で元ガチ野球部の強面体育主任が子どもをガチ叱りしているのを間近で見たことがあるんですが、まー迫力がすごかった。
子どもは大泣き、めちゃくちゃ謝罪、反省文も書かされる。
でも、親から連絡が来たり、親や子どもがその先生の悪口を言ったり、関係が拗れてしまったり、、、
ぶっちゃけその子どももちゃんと反省していなかったり?(むしろ陰で強がる、平気だったぜ的な)
おれは、叱るという行為を妄信することは危険だと思います。
そもそも、人間ってのは感情の生き物です。
叱られると(否定や非難されると)人間ってのは反発したくなるものです。(教育書なんかでは高学年女子は全体の前で叱ってはいけないとよく書かれていますよね。つまりそれです。反発されます。それは個別指導でも男女関係なく同様です)
先生方だってガミガミうるさい管理職には反発しちゃいますよね?(論理的には管理職が正しかったとしても)
感情の生き物なんだから当然です。
叱ることで反発される(関係が崩れる)のは当然だといえるでしょう。
そんなことでは、こちら(先生)の意図が子どもに伝わるはずもないでしょう。
子どもが反省して行動を改めようと心から思うのであれば叱る必要はありません。(むしろ叱り方によっては逆効果)
叱るという行為は上から下への一方通行。
反感を持たれやすい。
人間は感情の生き物で、叱られると反感を持つものということを意識しておきたい。(どんな聖人君子であれ大なり小なり反発するものであると心得た方がいいでしょう)
やはり、子どもの反省を促すためには、普段からの良好な人間関係が必須ですよね。(何を言うかより誰が言うかってよく言いますよね)
そういう意味でも、褒めることってのは大事なことだと思います。
教育書なんかを読んでいると、
計画的に叱る
月に1回は叱る
今日は叱ると決めておく
学校行事は叱るポイント
11月は叱らなければならない
みたいな記述を見かけることもあるのですが、それってホントなの?って思います。
叱ったところでいい関係は築けません。
子どもの行動のよりよい成長のためには叱るよりも褒めることの方が良いに決まってます。
まあ、でもね、これって今の学校教育の現場では、本当に難しい…
教育現場は忙しすぎる。
叱らずに、褒めて認めて注意して反省を促してより良い行動に結びつける。
良い関係を築いて納得感のある指導をする。
この指導はかなり時間も労力も必要とするでしょう。
これは、今の学校教育現場では難しすぎる、難儀なことです。
やはり、そういう意味でも教師の働き方改革は必要なんだと思います。
ちなみにポプコ先生は、
褒める→注意→褒める
というサンドイッチ指導を意識しています。
叱るより褒めた方がいいよね。
理想は(あくまで理想)は叱る必要がないってこと。
叱ることのハイリスクローリターンをよく考えた方がいいと思いました。
子どもと言えど、一人の人間、感情の生き物です。