テスト期間は辛い。 普通に勉強してても過呼吸になったりするのに、テストというプレッシャーに押されてさらに酷くなる。 手が震えても、呼吸が苦しくなっても、涙が出てもテストは続く。 辛い。 Popcorn🍿
大人は疲れた、限界と思ったら休める。 好きなだけとか、好きなことだけをしてって訳ではないと思うけど、休める。 でも、学生は、、、。 学生は休むと周りから置いていかれる。 それも、容赦なく、もう一度同じ学年をやれと言われる。 だから、学生って休みずらい。 だから、頑張りすぎちゃう。 疲れた。
思うように勉強出来なくて、それにイライラして、そうすると目の前が真っ暗になったようになって、この学校私に合ってなかったのかも、とか、退学しようかな、とかって考えちゃう。 でも、私の中には何人かの一緒に生きてくれる仲間がいて、その仲間たちが私に光を戻してくれる。 だから、現実にちゃんと戻って冷静に考えられる。 私は今日も、明日もその仲間たちを頼りながら生きていく。 Popcorn🍿
こういった精神的な病気になってから、本当に怖い。 話すことも、どこかへ行くのも、学校へ行くのも、部活をするのも、ひとりでいるのも、大人数でいるのも、眠ることも、起きていることも、今を生きるのも、明日を生きるのも。 本当に全てが怖い。 明日なんか来なくていいって思う時もあるけど、本当に明日が来なかったらどうしようって思う時もある。 とりあえず、誰か助けて。 Popcorn🍿
最近、帰り道に空が綺麗だったり、夜に風が気持ちよかったりする。 でも、それはその時、その瞬間しか見られなかったり、味わえないもの。 同じ場所に雲があり、同じ場所に太陽があり、数ミリもズレのない同じ場所からその空を見るっていうのは、その瞬間しかなくて、もう二度とない。 同じ場所で、同じ風速と風向の風を、その時とまったく同じ気持ちで受けることなんてその瞬間しかなくて、もう二度とない。 それって、歌を歌うときや、観劇をするとき、映画をみるとき、人と話すとき、勉強するとき、問
死にたいって言える人達はまだ救われるけど、それを声に出せない人達は救われない。本当は声に出せない人の方が心が傷だらけなのに。
死にたいけど死ねない。 生きたくないけど生きたいの方が正しいのかな。 色々なものに追われて、眠れなくなって、ODして、本当はもうこの世にいたくない。 もう頑張りたくない。 もう人生なんて歩きたくない。 … でも、生きたい。 将来やりたいことがあるから。 憧れの人がいるから。 だから、生きたい。 でも、辛いんだ。 Popcorn🍿
今日は私の拒食症気味だった経験を書きたいと思い久しぶりにnoteを開きました。 私が拒食気味になった経緯私の拒食は昨年の3月(コロナが始まり休校になった頃)から始まりました。 まず初めに、部活が出来なくなり、体を動かす機会が減ったため、食べる量半分程減りました。 食べる量が減ればそれに比例して体重も落ちていきました。 これに感動した私はどんどん食べる量を減らしていきました。 これが拒食なった経緯です。 これだけ見ると、タイトルと何の関係があるの?と思うかもしれませ
あのね、私のような何かを抱え持っている人は普通の生活ができないの。 普通に寝て、起きて、学校行って、勉強して、帰ってきて、宿題やって、テスト勉強して、、、 こんな普通のことが難しいの。 すぐに疲れちゃうの。 それも異常なくらい疲れちゃうの。 疲れたら休まなきゃいけない。 でも、少しだけでも休憩すると、学生のうちはサボりと見なされて評価が落とされるの。 そうするとどんどん苦労が増えていくの。 だから、休むことなんてできないの。 なんて生きずらい世の中なんだろう
こんにちは。Popcorn🍿です。 最近体調があまり良くなくnoteを開いていませんでした💦 今日は高校1年生になった私がぶつかっていることについてさらっと書いていきます。 それは、「卒業後の進学について」です。 私は将来やりたいことがあるので、それを1から学べる専門学校に行きたいとずっと考えていました。 しかし、学校で明日志望校を調査されるため、親にそのことを伝えると大激怒。 進学校に通ってるんだから専門学校なんて行かないで大学に行ってほしいと言われました。
幼い頃から、ノンストップで走り続けてきた。 何かにつまづいても、すぐに起き上がって走ってきた。 それを続けて10何年。 走ってきたけど、疲れてきちゃった。 周りはみんな、まだ体力があるみたいでいい顔して走ってる。 でも、私は休憩がしたい。 本当は座ってゆっくり休憩がしたい。 でも、休憩している間ももちろん時は進むわけで。 だから、休憩すると置いていかれる。 周りから、社会から、世界から。 それが怖くて休憩なんかできない。 周りの人は休んでいいよって軽く言
なんでこの世界には音があるんだろ。 嫌い。特に今日は。
久しぶりにnoteを開きました。 最近、「ヘルプマーク」について色々思うことがあったので、書いていこうと思います。 ヘルプマークについてまず、「ヘルプマーク」について。 みなさんはヘルプマークをご存知でしょうか? ヘルプマークとは、義足や人工関節を使用している患者、内部障害や難病の患者、精神障害、知的障害、または妊娠初期の人等、援助や配慮を必要としていることが外見では分からない人々が、周りに配慮を必要なことを知らせることで、援助を得やすくなるよう作成されたものです。
私だって、普通にに生きたかった。
「もう笑いたくない」 これは私の心の底の本当の気持ち。 でも、これを封じ込めて生きてきた。 常に周りからは笑顔が素敵と言われる。 それは素直に嬉しい。 でも、それがほんの少しだけ凶器となってじわじわと私の心を傷つけ続けてきた。 気づいたら、笑顔でいたくないときも笑顔でいてしまうようになってしまった。 それと同時に、苦しいという感情も自分の中に閉じ込めた。 そして、久しぶりに苦しいという感情を出した。 涙を流しながら苦しい、苦しい、苦しいと呟いた。 どれだけ
生きるのが辛い。 苦しい。 生きていたくない。 消えてしまいたい。 そんな私を支えてくれているのはある歌手の方。 その方は発声障害を抱えているにも関わらず私たちに歌を届けてくれている。 その姿を見て、私も頑張ってみよう、生きてみよう、そう思えるようになった。 人混みなどが苦手なため、まだその方の公演などには行けていませんが、私の病気が良くなったら公演に行き、お手紙を渡したいと思っています。 ただ、今の気持ちを残しておいていたく、noteに書きました。 あなた