はい、チェンジチェンジ‼
ここのところ長女(小6)のクラスのことで学校に行く機会が多かったり、来年の中学進学に備えいろいろ調べたり、「教育」について考えることが普段の倍?くらいだったのでちょっと途中で思考整理。
「1教室30人、教師1人、全員が同じ進度で履修する」ってムリ。
目下、長女のクラスは「学級崩壊」状態。遡って2年ほど前から問題の芽は育っていて、今年度休校明けの6月に最終形態(ポケモンかw)へ。
正確に言うと「学年崩壊」です。
学年30人ずつ2クラスしかないのに両クラスの担任の先生が長期療養に入り不在、今は臨時の担任+教頭先生他数名の先生と保護者、自治体の教育委員会からスクールカウンセラーも常時2名ずつ入るという異常事態。
書こうとするとあまりに長いので割愛しますが(ほんとは書きたいのでどこかでまとめたい…)、この状態になるまでまず保護者が連携して手を打てなかったこと、学校側も毎年担任教諭を交代するだけでやり過ごしてきたこと(ほぼ無策)が、この「最終形態」にまで至った大きな原因です。
別に「しょってる」わけではなく、本当に心からこの点については子ども達に、そして担任の先生方に申し訳なく思っています。
後悔してもしきれません。
アクションを起こせるタイミングは何度もあったのに。
そんなわけで私も暇を見ては、といっても週一が限度ですが、教室に入っています。新型コロナ禍による雇用調整で生まれた週一の休みが有意義に使えてる~w そこで気が付いた、というか前々から思っていたことを確認できた、というか。
「1クラス30人を1人の担任の先生が教えること」
「1年間で同じ履修課程を全員が同じ進度で学んでいく」
これ、もう無理です。
自分が小学生だったン十年前はもちろん、長男(大1)が小学生だった10年ほど前と比べても子ども達の抱える要素(障害や悩みや家庭環境や諸々の背景)が明らかに多様化していて、こんな「大量生産・大量消費」の工場みたいな環境で全員が健康的に勉強できるわけない。
「え~うちの子の学校(クラス)はまともだけど。」
って思う方も多いでしょう。
私個人の勝手な想像ですが、それは「ギリギリセーフ」なだけなのかもしれません。または「ギリギリアウトだけどとりあえずやり過ごせてる」状態。
少なくとも、クラスの中の誰かが何かの形で「犠牲」になってるのは間違いないと思います。それはある特定の児童・生徒なのか、先生なのか、一人なのか何人もいるのか等々、クラスによって違うでしょう。
この変化の激しい時代に、ずーっと何十年も義務教育の「容れ物とルール」は変わってない。
よく考えるとこわい話です。
いろんなレシピも便利な器具もある。のに。
学校や教育を、「料理」に例えちゃいけないような…気が…しないでもない…でも、分かり易さ重視wで行きます。
長女のクラスは4年次からいろいろ問題が起き始め、毎年「ギリギリアウトだけどとりあえずやり過ごして」きました。
その結果が、今のこの状態です。
思うに、教室や学校こそ常に変化し続けないといけない場所の筆頭なはずで、なにかあったら即対応、うまくいかなかったら即修正、の繰り返しとフレッシュな情報共有が最適解な現場なはずです。
なにせ「なま物」を扱う場なんですから。
社会の変容スピードがどんどん上がっているのに併せて、とっくに変わっていなければいけなかった場所でもあると思います。
日本の社会が「多様性」を受け容れ始め、みんなが使えるツール(スマホやタブレット、PCなど)もあり、さらにそのツールを最大限に活かせるプラットフォームもデータもある。「多様な価値観」「多様な性」「多様な才能」を尊重出来る状況はある程度整いつつあるはずです。
でも、やらない。
まるで「素材を生かしたおいしい料理を作れるレシピも、器具も揃っているのに完全に無視してかまどでご飯を炊いて熾した火で魚を丸のまま焼くことにこだわっている」状態。まるで、それが一番おいしいのだ!それ以外は料理じゃない‼と認めないかのような。
たぶん、現場の先生方が一番わかってると思います。
「今までのやり方じゃもうおいしい料理は出来上がらないし、それぞれの素材の良さは生かせない。むしろそれぞれの良さを殺し合うことになる。」と。
とりあえず今すぐ出来ること。
教育指導要領もまた新しくなるとか。
でも結局「かまどの薪をちょっと違う木に変えてみよう。でも手順は増えるよ。」っていう変化にしかならないんじゃないかなぁ…
「全員で同じことを同じ進度で履修していく」ことに変わりないのだから。
それよりも劇的に変化をもたらして、しかも今すぐに出来ることがあります。それは
1クラス30人→20人台にすること。
現段階で未だ30人学級を実現できていない学校や地域も多々あるでしょうから、すぐに1クラス20人にするのは難しいかもしれません。
でも、これだけで学級運営はおそらく全く違う状況になります。
もう一つは、
1人担任制をやめて、複数担任制にすること。
小学校では1人担任制が標準。(中学校も学級担任は1人+副担任という形を取ってますが、副担任の先生って正直存在意義については疑問なんですよねぇ…)複数担任は、正副を作らず全く同等の位置でクラスを受け持ち、情報と指導方針を共有していく形です。
2つとも小学校での「チェンジ」として書いてみましたが、中学校でももしかしたら高校でも必要かも。
まぁでもいずれにせよ「教員不足」がネックになる方法ではあります。
今更ながら教員採用数を抑制してきたツケが回って来てる感。
『少子化だから!先生もそんなに要らないよね‼』
っていう理論がそもそも間違ってたし、時代の流れや子どもの姿を全く考慮してないやり方だよな~とつくづく分かります。
学校や教室に入ると。
今回「容れ物」を変えるっていう提案ですが、そこここで進んでいる学校統廃合もちょっと軌道修正すると相乗効果が生まれるかも。
『少子化だから!教室余ってる学校減らしちゃっていいよね‼』っていうのも同じくだいぶ乱暴なやり方なので。
まとめ。
小学校での学級崩壊については、もちろん学校のシステムだけの問題ではありません。各家庭が抱える問題が根幹にあって、そうした家庭から登校した子ども達が学校で問題行動を起こしてしまっていることは明らかです。
「教育は家庭から。」 これは至極当然。全親が何度でも立ち止まって自分の家庭を振り返る必要があります。
ただ、あらゆる背景を持つ子ども達全員が等しく教育を受ける環境を整えるには1学級30人以上を一人の担任の先生でみていく現行のシステムではムリ!ということが素人の母ちゃんから見ても明らかですよ。と言いたいのです。
卒業まで、残り6か月弱。
どんな卒業式を迎えるのか。その日までに出来ることは何でもやりたい!やって欲しい!と思いながら、再び教室に入る2学期が始まりました。