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最近の記事

RADWIMPSは「神」をどう歌っているのか——神の系譜学とインテリジェント・デザイン論

要約 RADWIMPSの歌詞には「神」が多々登場する。本論は、RADWIMPSの楽曲(特に『RADWIMPS2~発展途上~』~『×と〇と罪』期の楽曲)の歌詞を分析し、彼らが「神」をどう歌っているのかを明らかにしようと試みたものである。「RADWIMPSにおける神の系譜学」の章では、彼らの楽曲を時系列で追い、彼らの描く神が「ある傾向」、すなわち、以下の二つの傾向——「君としての神」から「僕ら人類としての神」への神の在り方の変化と、「神」から「宗教」への神への視座そのものの変化

    • 実存をめぐる邂逅——Bon Iver×キルケゴール論

      要約 Bon Iverの『22, A Million』から『i,i』への軌跡は、Justinの実存をめぐる歩みとして、キルケゴールのいう倫理的実存から宗教的実存への変化として、解することができるのではないか——本論は、この仮説に立ち、『22, A Million』と『i,i』について、前者が世界との対峙を、後者が自己との対峙を、それぞれ主題としていることを論じつつ、この『22, A Million』から『i,i』への変遷をキルケゴールの倫理的実存から宗教的実存への変遷と対比

      • ボーカロイドと哲学、現代思想——メランコリーの時代あるいは相関主義以降へ向けた一試論

        要約 本論は、「思弁的実在論(speculative realism)」という2000年代後半から興隆している現代哲学の一潮流による相関主義批判及び相関主義の乗り越えという試みに着想を得て、ボーカロイド楽曲において相関主義的世界観及び相関主義的世界における苦悩(特に人生の意味をめぐる苦悩)が描かれていること、そして、その乗り越えがなんとか模索されていること、を論じたものである。内容は大きく三つのパートからなる。「相関主義を歌うボーカロイド」では、ボーカロイド楽曲において相関主

        • ポップカルチャーと資本主義「後」への想像力——The Smiths、Radiohead、The1975における「クルマ」の表象から

          要約 私たちは、資本主義「後」の世界を構想できるか——大澤真幸『サブカルの想像力は資本主義を超えるか』やマーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』など、昨今資本主義「後」の可能性をポップカルチャーを通じて模索する試みが活発化している。本論はこれらの議論を踏まえ、古今のイギリスのポップカルチャーを代表する名曲3曲(The Smiths「There Is A Light That Never Goes Out」、Radiohead「Airbag」、The 1975「Love It

          【後編】ボーカロイド自殺論——命を救うためのボーカロイド

          ※【前編】はこちら ↓ 要約  ボーカロイドは自殺の苦しみを歌うのみならず、自殺を防ぐための、自殺に反対するためのメッセージをも歌っている。本論は、カンザキイオリ「命に嫌われている」、Omoi「君が飛びおりるのならば」の2曲に焦点を当て、これらの楽曲が自殺を防ぎ命を守るためのどのようなメッセージを発しているかを検討する。「命に嫌われている」は命を守ることを定言的に擁護する義務論的主張によって、「君が飛びおりるのならば」は自分の苦しみを相談できるような具体的他者の存在を強調

          【後編】ボーカロイド自殺論——命を救うためのボーカロイド

          【前編】ボーカロイド自殺論——ボーカロイドにおける自殺の位相

          要約  ボーカロイドの楽曲には、自殺をテーマとした曲が数多く存在する。本論は、Ayase「ラストリゾート」、和田たけあき(くらげP)「わたしのアール」、みきとP「少女レイ」の3曲に焦点を当て、これらの楽曲の歌詞において自殺がいかにして表現されているかを概観する。これらの楽曲において自殺の背景や置かれている状況などはそれぞれ異なっているが、一方でいくつか共通の要素を取り出すことができる。それは、「自殺者の声の不在」と「助けを求められるような他者の不在」の二つの不在であり、いず

          【前編】ボーカロイド自殺論——ボーカロイドにおける自殺の位相