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「ぼっち」でボロボロになっても復活できるかもしれないと思わせる曲(Mr. Children「蘇生」)

私はフリーのコンサルタントとして仕事をしている。
キホン「ぼっち」なのである。

Wikipediaで「ぼっち」を調べると

(スラングとして)孤独、一人ぼっちを指す。 友達が少なくいつも1人でいる様子。(Wikipedia)

と出てくる。

だいたい、クライアントのところに一人でいたり、クライアントの事業のリーダーとして引っ張っていかなくてはならないことが多い。もちろん、相談しようと思えばできるとは思う。でも、立場上できない時も多い。だから 「ぼっち」の定義にあてはまっている。

しかも、指導する立場にあるので、「ぼっち」なりにいろいろと考えなければならないし、時にはいろんな人から攻撃されもする

身に覚えのある失敗があって攻撃されるならまだしも、かなり理不尽な理由により非難されたり攻撃されたりってこともけっこうある。

別の人の責任なのにスケープゴートにされたり、新しい事業に不安を持つ人が、その不安を「攻撃」という形でぶつけてきたり・・そんな事は日常茶飯事なのだ。

大抵のことは軽く受け流すこともできるけど、特に疲れている時などは、一人になった時に擦り切れたボロボロの雑巾のようになっていたことに気づき「涙がこぼれ落ちそうになる」ことも当然ある

そんな時に、Mr. Childrenの「蘇生」を聞くのだ。

すると、こんな歌詞がある。

でも 何度でも 何度でも 僕は生まれ変わっていく
そして いつか君と見た夢の続きを
暗闇から僕を呼ぶ 明日の声に耳を澄ませる
そうだ心に架けた虹がある

この「なーんどでもー なーんどでもー 僕は生まれ変わっていく」のフレーズ。本当に何度繰り返し聴いたことだろうか・・・?

このフレーズを繰り返し聴いていると、

自分がどんなに「ぼっち」でも辛くても、何回でも新しい道を歩むことができるかもしれない・・・」

そう思えてくるのである。

そして

暗闇から僕を呼ぶ 明日の声に耳を澄ませる」と続く。

「もうこれは信じて進んでいくしかないんだ、まだ目には見えなくて形にもなっていないけど、自分のどこかにある確信を信じて進んでいくしかない

どこからかそんな声が聞こえてくる。

そして、眼に浮かんでいた涙をゴシゴシ拭い去り、空の星を見上げて「ボロボロだけれどもまだ頑張れるかもしれない・・」と、一人つぶやく。

さらに、この曲はこう続く。

叶いもしない夢を見るのは もう止めにしたんだから
今度はこのさえない現実を夢みたいに塗り替えればいい
そう思ってんだ
変えてゆくんだ
きっと出来るんだ

最初のフレーズは逆説的だけど、

つまりは「夢は叶う」ということを、信じること。やり遂げていくこと。これを自分に言い聞かせ続けること。これらが重要なんだ!

と、この曲は私に何度も語り掛けるのである。

夢が叶う」って結局のところ、確信があるわけでないから「夢」であって、それが「叶う」と思うのは、最後にはもう自分がそれを信じることができるか?ということを突き付けられているーー私はいつもこの曲を聴くとそう思えてくる。

そして「自分が信じるかどうかの問題なら、信じてみようじゃないか!
そうまで思えてくるのだ。

これまで自分がかかわったプロジェクトはそれこそ何百とあったりするのだけど、正直心が折れた仕事もけっこうある

そういう時、私は何度この曲に救われたのだろうか

恐らくもう数えきれないくらい

そしてきっとこれからもこの曲にきっと助けられる



そうだ まだやりかけの未来がある


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