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ならぬことはならぬもの
子どもの教育は大事である。
何年か先の国の品格に現れてくる。
「規律」、「我慢」、「気骨」、「気配り」、「敬う」、「恥(はじ)」、「卑怯(ひきょう)」といった徳目は、「ならぬことはならぬ」という子どもの頃からの教育から生まれるものであろう。
年長者を敬うこと、お互いを認めあう礼儀や挨拶、利他の精神など
これまでの日本の歴史の中で、先人たちが脈々と引き継いできた
日本人の素晴らしさのようなものを伝えていくことも教育ではなかろうか。
今日は会津藩の学びから学ばせていただきます。
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会津藩の子供は6歳から勉強を始める。
午前中は近所の寺子屋で論語や大学などの素読を習い、いったん家に戻り、午後、一ヶ所に集まって、組の仲間と遊ぶのである。
一人で遊ぶことは禁止だった。
孤独な少年は皆無だった。
仲間は十人一組を意味する「什(じゅう)」と呼ばれ、年長者が什長に選ばれた。
遊びの集会場は什の家が交替で務めた。
什には掟があり、全員が集まると、そろって八つの格言を唱和した。
一、年長者の言うことを聞かなければなりませぬ。
一、年長者にお辞儀をしなければなりませぬ。
一、嘘言(うそ)をいうてはなりませぬ。
一、卑怯(ひきょう)なふるまいをしてはなりませぬ。
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ。
一、戸外で物を食べてはなりませぬ。
一、戸外で婦人と言葉を交わしてはなりませぬ。
そして最後に、
「ならぬことはならぬものです」
と唱和した。
遊びの什は各家が交替で子供たちの面倒をみたが、菓子や果物などの間食を与えることはなかった。
夏ならば水、冬はお湯と決まっていて、そのほかは一切、出さなかった。
唱和が終わると、外に出て汗だくになって遊んだ。
普通の子供と特にかわりはなく、駆けっこ、鬼ごっこ、相撲、雪合戦、氷すべり、樽ころがし、なんでもあった。
このようにして六歳から八歳までの子供が二年間、什で学びかつ遊ぶことで、仲間意識が芽生え、年長者への配慮、年下の子供に対する気配りも身についた。
当然、子供の間には喧嘩や口論、掟を破ることも多々あった。
その場合、罰則が課せられたが、罰則はたとえ門閥の子供でも平等で、家老の嫡男であろうが、十石二人扶持の次三男であっても権利は同じだった。
門閥の子供はここで仲間の大事さに目覚め、門閥以外の子供は無批判で上士に盲従する卑屈な根性を改めることができた。
「ならぬことはならぬ」
という短い言葉は、身分や上下関係を超えた深い意味が存在した。
会津の子供たちは、こうして秩序を学び、武士道の習練を積んでいった。
教育がいかに大事かよくわかる。
それをいかに手間隙かけて、大人たちが行なっていたかである。
家庭教育と学校、そして地域社会が一体となって教育に当たった。
『会津武士道 「ならぬことはならぬ」の教え』青春出版社
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教育というものは、学校だけが担うものではない。
子どもを取り巻く環境すべてが教育である。
家庭であり、学校であり、地域であり、国である。
個別最適化、価値観の多様化が進んでいる中、集団の中における礼儀やマナーというものを学ぶ機会がめっきり減ってきているように感じる。
「ならぬことはならぬものです」
この言葉の奥深さに、自らの子育て、教育を見直そうと思いました。
今日もnoteを読んでいただき、ありがとうございます。