「力」の矛先は己が決める
あらかじめお断りをしておきますが、私は政治的な立ち位置はありません。
中立でもありません。
どちらが左派右派と言うこと自体が馬鹿げていると考えており、
中立では何も生み出せないとも思っているからです。
なので、超右左派も、ほんのり右左派も、なんでもない派も、
色々と見た上で自分で考え、あくまで自分の意見を持つことが重要だという
戦争を知らない平和を願う一庶民であることをお伝えしておきます。
また、Jアノンでもありません。念のため。
さて、長年の騙し合いの本丸がようやく大暴露するきっかけとなった、
歴史上記念すべきアメリカ不正選挙から、早くも数か月が経ちました。
様々な言説は見受けられますが、私個人の意見としましては、
トランプ陣営が圧倒的勝利をした上で裏の実権を完全に掌握しています。
そして、我々は今、世界認知情報戦争の渦中であると同時に、
自らの信仰が試されるゆっくりとした覚醒プログラムのプロセスにあると考えています。
あまりにものんびりとしたプロセスでは、と焦燥感を感じる方もいるようですが、
この覚醒プロセスが一番重要なのであり、
つまるとことろこの覚醒プロセスが失敗した場合、すべて元の黙阿弥で、
不正選挙が正されようが、プロジェクトそのものの失敗を意味します。
というよりも、不正選挙を正そうとすれば秒速で手続きに入ることが出来、
確実に勝つ布陣となっておりますので、
なぜそのままにしているのか?という素朴な疑問を持つしかない状況です。
Q:「あえて」負けたふりをしているのは、何故か?
逆に考えると、「負けたふりをする必然があった」と考えるのが自然です。
本稿では、その必然性の理由を考えていきたいと思います。
Qの考察をする前に、確認が何点かあります。
1、まず前提として、人間の信仰は自由です。
いかなる信仰であれ、それがむやみに阻害されてはいけないと考えます。
2、今回のような認知情報戦争下でなくとも人間の認知領域は多様であり、
1から10を見る人もいれば
1から10000を見る人もいれば
1から1を見る人もいれば
そもそも1も見えない人もいる、というのが現実かと存じます。
認知領域は水平軸もあれば垂直軸もあり、
また別次元も存在すると考えると、
それこそ無限の認知領域が我々を取り巻き、
まさにマトリックスを生きている、ということです。
3、騙す側が当然悪いのであり、騙される側は基本的には悪くないことと、
無意識下に騙す側の円環に組み込まれている善意の人間もいるということです。
以上の3点は、
Q:なぜ「あえて」負けたふりをしているかを考える上で重要な点です。
では、Qを読み解いてまいりましょう。
皆様は、アメリカの最高裁が審議を却下しているだけで、
実質上裁判で何も決着がなされていないという事態が続いているとご存知でしょう。
そもそも審議されていないのだから、不正の決着も何もないのです。
不正選挙を認めない側も「証拠がない!」「不正はあったが覆すほどの大差はない」
と馬鹿のひとつ覚えのように叫んでいるだけ。
本当「面倒くさいからさっさと決着させてくれよ」と思ってしまいます。
多くの方が「陰謀論者!まだ言っているのか!」と罵られ
哀しい気持ちになっている方も多いとは思いますが、
現時点で重要なのは各方々のお気持ちを配慮することではありません。
もっと大きなもののため、動かなくてはいけない必然性があるからです。
もちろん、ご本人にとっては辛いお気持ちでしょうが…。
お察しいたします。
本陣は個々人が陰謀論者として迫害されることも当然想定済ですが、
このプロセスを早急に実施した場合、多くの罪のない人々が
最悪の場合死に至る可能性があるということを考慮しているのです。
さらには、その迫害と信仰自体もまた重要なプロセスであるとも考えます。
なぜか?
第一に、現時点でも多くの方々は、「間違った認識世界」に信仰があるからです。
そして、その信仰をも尊重する必要があるからです。
なぜなら、そもそもその信仰世界が意図的に押し付けられてきたものだからです。
思い出してみてください、第二次世界大戦後の玉音放送を。
今まで勝っていた!と信じ切って、勝利へ貢献すべく頑張っていた方々の無念を。
突然、自分たちが信じていた信仰を全否定され打ち切られる非情さを。
とはいえ、第二次世界対戦ではわかりやすく「戦争中」と認識が共有されていたのですが
本戦では、多くの方が戦時中ということも気付いていない状況です。
「緊急放送!はい、ぜーんぶ嘘っぱちでした!スッキリ!」と言っても
「???」で終了する方が多数でしょう。
あまりに突然の開示は、精神的な反発を招くか、真実を知り絶望するか、
リスクが高い上に成功率を低下させ、何もメリットがないのです。
今まで、嘘が真実であり、真実が嘘であるという認識世界に押し込められていたわけです。
また、巧みな教育等の工作により、「自分で考える力」「信じる力」という
闘いに立ち向かう心、精神を奪われている状況です。
また、多くの方は善意の認知世界に生きているため、
考えられないような「巨悪」が存在することを認知する領域がありません。
ある意味幸せではありますが、残念ながら世界は単純ではなく複雑です。
正直、ここまで「逆」だと真実を知るのにも「力」を要し、
相当な胆力が無いと、この認知の壁を乗り越え新たな世界に入ることが出来ません。
そして、その「力」は誰が有するのか?
それは、自分自身の「力」によってしか成し遂げられないのです。
自らの認知の壁を破るのは、自分自身にしか出来ません。
そして、その「力」の大小強弱は多様であり、
早く認知突破できた方に、必ずしも合わせなくてはいけないという理由はありません。
それぞれの方に、それぞれの認知の仕方と認知を持つ権利があるからです。
そして、信仰は、自由だからです。
ゆえに、本陣からすると、すぐに明らかにすることが重要なのではなく、
その「質」とプロセスを考えることが重要であり、
そう考えると「時間」はどうしても必要となります。
我々は「力」を持っています。
そしてその「力」は強大です。
しかし、「力」を善にも悪にも使うことが可能です。
「力」の矛先を善か悪、どちらに向けるのか?
それは、ご自身が決めるしかありません。
「力」は、ご自身が持つものだからです。
今回の覚醒プロセスでは、
騙し、騙され、信じ、裏切られ、それでもまた信じ、
すべてのことに意味があります。
このプロセスを通じ、私たちの「力」は
自らの気づきにより、より強大なものとなるでしょう。
大いなる愛をもって、そっと、多くの方々が
自らの力によって覚醒することを見守り、願い、祈りましょう。