昭和レトロ&シティポップへの誤解とその新(懐か)しさについて
◯昭和リバイバルのB面
ここ数年「昭和レトロ」なるものがウケている、と言われている。
メディアでも「若者にレトロブームが~、懐メロソングが海外で人気で~」という流れで紹介されることが多くなった。2024年にはネトフリで昭和(1986年)の体育教師が令和にタイムスリップして騒動を巻き起こすドラマ『不適切にもほどがある!』が配信され話題に。昭和レトロ人気はある程度、認知されたと言っていいだろう。
けれでもブームの外側にいると違和感を憶える人もいるかもしれない。なぜいまさら昭和なの?と。「懐古趣味」「よくあるリバイバルブーム」「欧米の東洋趣味で人気に火がついた」なんて語られる。
批判的な目線もないわけじゃない。
90年代以降、日本では「昭和」というワードは世代間対立を招きがちなネガティブなイメージで語られがちだった。特に政治や文化批評の場で褒めらることなんてめったに見かけない。そんな時代の言説になじんできた当事者世代にとってはたくさんの昭和の経験や思い出を持っていても受け入れにくい気持ちもあるかもしれない。「ひどい時代だったよ」なんて小言や新しい昭和でも古い昭和の話がついつい口に出てしまう。
識者の発言や専門書っぽい本ですらその手の評が出てくるのが現状で、お互いの認識がずれてしまっている風潮にもどこかしさを感じているのは自分だけではないはずだ。
世代的にも近いから気持ちはわかるけど大人の都合で昭和レトロの「もう一つの面」を見落としちゃうなんてもったない。
それはノスタルジーだけでなくネットミームやエモさ(経験していない懐かしさ)、チル(Chill ゆったりする)や破損したデータを美学(aesthetics エスセティクス)としてたのしむ新しいセンスの中から生まれてきたものでもあるからだ。新しいファッションやスタイルでもあって今後の海外のムーヴメントにも引き継がれていく。
なぜ私たちに馴染み深かった昭和は最新の文化ともつながったのだろう?
実は昭和レトロはyoutubeやsoundcloudといった音楽サイト、Tiktokやインスタ等のSNSで、vaporwave(ヴェイパーウェイブ)やfuturefunk(フューチャーファンク)、 Lo-fi(ローファイ)といった流行ジャンル、まだ発見されていない曲を掘り出すDig(ディグ)文化やサンプリング、ミキシングを駆使するネットミーム音楽の一つとしてのマッシュアップ・ミュージックの原曲として多用されてきた、という背景がある。
まず最初にマッシュアップ系の音楽やPV動画の流行があって欧米やアジア圏を中心に盛り上がり、その中で韓国のめちゃセンスのあるアーティストたちが日本の80年代に熱心線を送ってシティポップが掘り返され、アートやファッションも量産されて、最新のK-POPシーンにアンテナを立てている日本の若者にも取り入られていった経緯があるのだ。もちろん最初からネットでたまたま聞いて~という人も多いだろう。
◯新しい"だけ"じゃないからこそ新しい文化
RAMDARAM(timlegend)-Soda City Funk
…なんてそんな背景を知れる最高のナンバーだ。
ここで使われている曲の一つはファンクの名曲「Got To Be Real(Cheryl Lynn)」。シティポップの懐メロじゃないけど親和性があることがわかると思う。MVには日本の昭和や平成アイテム・ファッションも多数登場するしHIPHOPやサイケデリックなど音楽ジャンル、ポップにキュートなキャラクターと今に響く新しい要素もてんこもり…とたった3分間の中に語り尽くせないほどのレイヤーが織り込まれている。
古い時代風の新しいムーブメント…新しい"だけ"じゃないからこそ新しい文化。懐古というより「懐来」なんて言えちゃうかもしれない("エモい"でいいです…
"マッシュアップ"とは色々な曲を分解し組み立てる手法で、ようはネットに散らばっている新曲も懐メロもオールドスクール・ジャズもファンクもアニソンもアイドルもロックもEDMもHIPHOPも、TVの砂嵐やアニメのセリフやゲームの起動音まであらゆる音をごちゃまぜにし新しい曲を作り出してたのしむという遊びだ。パッチワーク、パスティーシュ(模造)とも言える。
昔より素材をイジりやすくなったしそこで新しく模造された曲はさらに他のアーティストに引用されどんどん派生し連続的で終わりがない。ニコニコ動画に馴染みのある人なら想像しやすいと思う。
使い古された曲もテンポを変えたり色々なノイズやエフェクトをかけたりすると新しい曲のように聞こえるしそこであるサンプリングが他の曲に再サンプリングされる&音楽ジャンルが派生していけばリピートされて耳にする機会も増える。当然、使われた原曲だって聞きたくなる。向こう(西洋)で聞かれてこなかった曲ならなおさらだ。
future funkでレトロアニメと組み合わさるようになった要素もはずせない。
世界的にも有名なセーラームーン、うる星やつら、マクロス、エリア88、そしてバブルガムクライシス(超名作サイバーパンクOVA)なんかもMV風に使用されたり、逆に新しいアイドルアニメも使われるので好きなものを見ていたらおすすめで紹介されて…と様々なルートがある。
当たり前すぎて忘れちゃうけど、シティポップも色んな音楽の影響によって成立する「連続体」の中にあるし、その曲はもともとは音楽素材、Tipsの一つで膨大なプログラミング言語で動いているネットサービス・インフラの上にある。ネットでは曲も動画もデータとして並列化されていて、いつでもどこでもどんなジャンルからもアクセスできるし相互にリンクされている。関連性があればアルゴリズムを介してオススメとして表示される。ネットのシステムは双方向(インタラクティブ)性を持つ。だから日本や海外の文化やジャンル曲やアニメ、ネットミームとも「網の目」として関連する形で広大なネットの海に浮かんでいる。熱狂もそこで生まれた。
そのため昭和レトロ辺りで使われている曲を時代論・世代論だけで扱おうとするとA面は流せるけどvaporwaveやマッシュアップ、ネットミームなどのB面をうっかり見逃したりしてしまう。むしろ背景には2010~20年代以降に起こっていった世界経済や思想背景とも絡んでいるので壮大な話にもできちゃったりなんかして(強制終了
◯バラバラにし組み合わせることで生まれた「発見」
ノスタルジーだけでなく最新のネットインフラやマッシュアップ文化の中で好まれたトラック…それが昭和レトロやシティポップのB面だ。
この起源としてvaporwaveから紹介するのが定説になっている。これに関しては専門書も出ており優れた解説もすでにたくさんあるけど一言で言えば音をピッチダウンしつつ様々なエフェクトを盛り込んだ電子音楽、マッキントッシュやPC-98、昔のブラウザ枠、サイバー空間、謎の日本語、それらをパステルやネオンカラーで染め上げた不思議なアートで現代の消費文化への批判とかまるで「蒸気に包まれた」ようだとも評される。個人的には「物質の声に耳を傾けてみよう」みたいなセンスだと思っている。21世紀のザ・20世紀レトロ表現がvaporwaveだ。
vaporwaveの代表的な作品
これが
になり
になり原曲が注目されて
こんなんになっちゃったりする。こんなのもある
ちなみにテキトーにチョイスしただけで派生は膨大だ。
こう見るとシティポップが欧米で火がついてWeekendが亜蘭知子の浮遊空間をカヴァーしたりDua LipaがLevitatingでセーラムーン風のPVを作った流れも見えてくる。
シティポップはそもそもAORなどの洋楽に刺激されて作られているからその近似性から聞いたことがない馴染みの新曲として不思議な感覚に囚われても不思議ではない。
お気づきだろうか…文章がぶっこわれている。この音楽シーンから垣間見れる景色や多種多様な感覚には懐かしいけど新しいとか新しいけど懐かしいとか西洋の中の東洋とか東洋の中の西洋とか時空間がごっちゃになりつつ、しかもMixで刹那的に、またのんびりと一つの曲の中でノリノリに同時的な「トートロジー(恒真式)体験」をしてしまえるのだ。
反対に普段の私たちはいかに根強く時代観や世代、ジャンルといった「史観」(特定の文脈)に拘束されてきたか、とも言えるだろう。これを学問ではヒストリズムといったりする。vaporwaveやfuturefunkなどのマッシュアップ音楽はそういったヒストリズムのもたらす「常識」への問いかけや解放を意味するかもしれない。
◯新しいVINTAGE ヴィンテージ
ここまでさらっと紹介してようやく言えるのはこのブームって過去がイイってだけでなく…「未来は死んだ」んだよね。なら「新しい過去」をたのしもうって。
私たち人類社会は200年前から「時が未来に進めば人や文明もまた進歩する」という方程式を採用してきた(キリッ
でもその常識は色々あってリーマンショック(2008)以降の経済危機により破綻した、と言われていた。それはこれからの人生で「働いて豊かに幸せになっていく」という当たり前の夢の終わりを意味した。この「壁」がアメリカの分断を生み出していく。vaporwaveはその時代と時代の間で静かに共有されはじめた。
昭和レトロにせよただの過去=20世紀でなくそれは過ぎ去った幻想で、今に再現するとエモイよねっていう。写真はいつかセピア色に染まり、デジタルも破損する。甘酸っぱい思い出が色褪せていくように…。VHSのグリッチやカセットのノイズなど経年劣化をaesthetics(美学 エスセティクス)としてとらえ、フィルターなどで再現するvaporwaveのアート手法的な裏付けがある。この発想は昭和にはなかった。
すべてが破綻した現在にあって初めて見えること、感じれることがある。あきらめるでもがんばるでもなくチルしよう。心が刺激される景色を探そう。
古いものも出会ってなければ未知だし見知っていたとしても新しいつながりがある。変容し、生まれ変わる。
今から過去を批評するのでなく過去から見た未来も、新しい過去もありうる。明日出会うノスタルジーや昨日忘却された未来だったり、デジタルの残骸でもどこかで読んだディストピア2.0、サイバー故郷(ふるさと)かもしれない。「そらとぶ車がほしかったのに、手にしたのは140字」そんなフレーズからChatGPTだって生まれた。
しかもそれらのシーンもすでに一昔前で地層の表面にはない。
現在も派生を繰り返していてDrift Phonkやbreak core、AI生成画像をジャケット風にした謎インストゥルメンタルなど俯瞰することすら難しいくらい有機的な広がりを見せている。インディーズだけでなく今では東洋圏でも日本でK-POPが、韓国でJ-POPが聞かれるのもめずらしくなくなった。そんなこと、誰も予想できなかった新しいムーブメントだ。
音楽以外で挙げるなら清澄白河(きよすみしらかわ)なんて昭和レトロかな。渋谷・原宿の再開発のためか深川の下町に若者向けのファッション店やカフェ、ヴィーガン向けのアイス屋さんができたり学生が90年代のレトロデジカメを手にしてインスタに載せるエモい景色を探したりできる。江戸の問屋街のこじんまりした空間とおしゃれでチルなお店が同居できるなんて知らなかった。
そんな文脈と関係なく真っ昼間から清澄公園でお酒を飲んでる姉ちゃんもいれば目の前を通り過ぎる隠れひきこもりの私もいる(実は自分もこっそりストゼロを一杯…呑んべぇだらけ! …浅草にも若者が増えたし小岩はずっと昭和!
過去と未来は、レトロとフューチャーは、絶望も希望といった感情もバラバラにし組み合わせたりできることの「発見」。それがこれからの自由。
「いい音」に出会うのに新しいも古いも中心も周辺もない。存在する音もジャンルも何でも使え重ねることで別の曲に変容する。日本の懐メロだけでなく平成のプレステ起動音やゲーム音、アニメ声だったり何でもサンプリングされるしそれらの素材はデータとして並列化されているのがネットだ。今の音楽が生まれてくる環境と無縁どころか深く関係していた。
そしてそれらの曲たちも時に流されていく。かつてのあの曲たちのように…。
今頃、vaporwaveやfuturefunkで鳴らしたクリエイターたちだってまったく別のシンガーやアイドルの曲を裏で制作しているかもしれない……。