歪んだ家庭環境(リアルつみき崩し)
こんにちは✨
Selenaです😌
今回は私の家族についてお話し致します。
両親
私の母親は現在47歳、父親は46歳です。
両親共に田舎育ち。
出会いは父親のナンパ。
母親は箱入り娘の地元ではファンクラブが出来るくらいの美人さんでした。
父親は地元ではわりかし喧嘩が強くて有名な人。
そんな父からの猛アタックの末結婚をしました。
父親は凄く素直で人は良いながら少しクセが強くちょっとずれてました。笑
父親の口癖は『俺の生き様を見とけ』『家族にや〇ざから何かあった時は俺が守る』が口癖。
小さいながら『や〇ざなんてそんな…普通に生きてれば何もないだろう』と思ってました。
本当に家族を守る=や〇ざから守るの父親です。
それにも昔から周りの方がや〇ざの方が多かった環境もあったとは思いますが正直ズレてますよね。
けど、父親も波乱万丈です。
父親
父親は3兄弟の末っ子。そして双子の弟として生まれました。
双子のお兄さんとは2人で中学校から喧嘩に明け暮れ地元で有名な兄弟だったと本人や周りの方々から聞いてます。
そんな双子の兄弟を17歳の時にバイク事故で目の前で亡くしております。
父親から当時の話をこう聞いております。
『〇〇がバイクで倒れた時に俺は助けれなかった。
みんなが〇〇の名前を呼びながら駆けつけるなか、何が起きたかわからずただ呆然とし、名前すら呼んであげることが出来なかった。』
とガードレールについていた血のついた髪の毛を30年以上経った今も大事にティッシュに包み私に見せてくれました。
そこから父の歯車が少しずつおかしくなっていったと私自身思っております。
それからは喧嘩ではなくボクシングに切り替え、最終的にはプロのライセンスを取得しました。
そして結婚し、仕事に趣味は友達と遊び、ボクシングに励み家庭はそっちのけの父親でした。
母親
母親は反対に家庭が一番。
学生時代から結婚願望が強く働いたお金は結婚資金として貯金をずっとしていたと聞いています。
そんな母親は世間体など凄く気にする母親で
母親はこうでないといけない、
父親はこうでないといけない、
家族とはこうでないといけない、
といった真面目な女性でした。
なので家庭になかなか収まらない父親に対してボクシングは辞めろ、友達とは会うな、など束縛が厳しくなっていったそう(父親から聞いた)
それで元々喧嘩が多かった家系だったのですが家族の絆が崩れ始める大きな事件が起こりました。
それは私が当時3歳での出来事です。
父の兄の死
3人兄弟の1人を17で無くし、そして20代半ばの時にもう1人の兄がガンにかかりました。
その兄は2人娘と子供がおり、奥さんもいます。
裕福な家庭ではなかったために病院で検査がなかなか受けれず癌の発見が遅れてました。
そんな中でその兄が覚醒剤を乱用。
そして奥さんがそんなお兄さんに『家族の為に早く死んでほしい』と言っていたそうです。
その後ガンも悪化し、覚醒剤にハマり、その末実家(私の祖母の家)で首吊り自殺をはかりました。
そしてそれを発見し、その兄を下ろしたのが父親です。
親戚一同そのお兄さんの奥さんを総勢で責めてました。
お兄さんを殺したのは奥さんだと。
お兄さんのお葬式から10年以上経ちますが、
それ以降奥さんと子供2人の所在は不明です。
その時を父親はこう語りました。
『実家に帰って部屋に洋服がかかってると思ったら兄貴だった。下からは内臓やら汚物が出て、顔は見るに無残な方になっていた。覚醒剤の使用を殴ってでも俺が止めていればこんな結果にならなかったかもしれない。俺は知っていたのにそのままにしてた。助けれなかった。毎日毎日目を閉じるのが怖かった。寝ようと思えば毎日知らない人が顔に出てきて今度はこの人が死ぬのかと、眠れなかった。毎日寝るのが怖かった。だから毎日車で1人過ごしていた。毎日アル中で明日死なないかと願いお酒を飲みまくっていた。』
聞くにも話すにも酷いです。
当時私は幼くはありますが私もはっきり覚えております。
当時その時私も父親についていってました。
父親から来るなと言われ私はおばあちゃんちの犬と遊んでました。
そのまま母が迎えに来て母と帰り翌日お通夜、お葬式とバタバタしながらも
父の泣き崩れた顔、おばあちゃんの悲鳴、おじいちゃんの嗚咽、奥さんの疲れた顔が未だに忘れられません。
父の躁鬱(双極性障害)
それから父親が狂い始めました。
躁鬱(双極性障害)になり
毎日酒に溺れ、家に帰ってこず、帰ってきたと思うと全身血だらけ。
血だらけで帰ってきたと思えば自分の血を見て震える父。
その時の記憶がないんです。
そして手当たり次第電話し前日の自分が何をしたか周りに相談。
そしてわかったのはその時ちょっとした事で父が不機嫌になり、や〇ざの先輩に喧嘩をふっかけ
周りの人からリンチで返り討ちされてたとか。
また別の日帰ってきたと思えば母親と喧嘩、
その理由も帰ってきてご飯ができてない、家事が終わってない。
そんな事で母は殴られ、それを止める姉も殴られ、
そして次は私。
家の中は壁もボロボロ。家具も壊れる程。
テレビが壊れる。電話が壊れる。そんなのしょっちゅうでした。
そして翌日また記憶のない父が部屋を見て泥棒が来たと言い出し、
それから事情を母が話し、泣きながら頭を下げる父。それを次はないと言いながら泣きながら許す母。
その後父親は仕事でも上司と揉めクビになり、母親にお金をたかっては飲みに行く、そして帰ってきては喧嘩し暴力三昧。
そしてまた記憶を無くす。そして謝る。
でも母親は田舎のパートで勤めておりましたがお給料はたったの10万円。
その10万円で家族4人賄っていた為に父親に渡すお金なんてありません。
そんな事いっても父親には通じず母は殴られ毎日泣いている母。
そんな事にも関わらず父親は次の日になるとケロッとし、前日の出来事をお決まりのように全く覚えておりません。
春先になると父親の病状は悪化し、次第に母親も身も心も疲れ
父親に暴言を吐くようになりました。
母からすると父の事が理解できなかったんです。
そして暴言を吐くと母はまた殴られ、肋骨が折れたりしてました。
それについて父は『軽く殴っただけ。思いっきりやっていない。』
小さいながら頭がおかしい大人だと思ってました。
元々喧嘩が強かったり、ボクシングやってたりで軽く殴ったつもりでも私達からすると相当痛いです。
実際に大きいアザはあるし、母は骨までおれてます。
姉もくちゃくちゃ食べるなとそれだけで殴られたり、私は私で洗濯物を直さないとそれだけで殴られたりもしました。
最終的にはテーブルを囲んで逃げ回り、捕まってかかと落としをくらい脳震盪になったこともあります。笑
その時は母が両親(祖父母)を呼び父親から私達を守ってました。
そして父親は皆んなに泣きながら謝罪。
もうしません。お酒飲みません。と。
お酒飲んでは暴れる。暴力振るう。そして寝る。
次の日起きて記憶無い。そして情報収集。最後泣きながら謝るの無限ループの毎日。
そして姉がまだ5歳の時、姉は保育園に行くとお母さんが殺される。
お母さんがいなくなってしまう。
そんな小さい姉の気遣いから保育園を脱走し、家に帰り、それから保育園に行かなくなりました。
そんな時母親は仕事に行けなくなってしまう、この先どうしたらいいのかわからないとノイローゼにかかりました。
その末姉を母方の実家の裏山に連れ、姉の首を絞め心中をしていたそうです。
それに気づいたおばあちゃんがそれを止め、
姉はそれから一層母に捨てられる恐怖を持っていたと言います。
それが姉はずっとトラウマになり20を超えた今でも泣きながら当時のことを私に話してくれました。
家出
初めて家出をしたのが私が4歳、姉が6歳の時でした。
もう私も姉も両親の喧嘩を止めるのは私達が気を引くしか方法が無かったのです。
家族でご飯を食べに行ってもそこで喧嘩、外だろうが誰かが見てようが父親が罵倒し、母が言い返し、父の暴力が始まる。
周りの方が止めに入り止まったと思い車に乗れば
運転してる母を父が殴る。
そして私たちが止めると父が降りろ!と。
そして私と姉が走ってる車を空け、道路に飛び降り2人で歩いて家に帰ったのを覚えております。
もちろん田舎で見慣れた街なのでどんだけ幼くても道はわかります。そして歩いて家に帰ると
怒り狂った父、泣き崩れている母、それを囲む警察、
それがはじめての家出でした。
それでも父は翌日やっぱり記憶がなく、
朝まで警察が付き添っていた為にそれで話しを聞き
また泣きながら皆んなに謝る。
それを泣きながら許す母。
そんな母に同情しながら父親をどうすれば怒らせないかを考えながら過ごす幼少期でした。
これが私と姉の育った当時保育園時代の話の一部で、
躁鬱(双極性障害)の父親に振り回される歪んだ家庭でした。