【人が必死に生きる理由と人生のゴールはどこか】
年末にインフルエンザにかかり、妊娠の発覚。
そして流産が重なり、貧血で倒れ、その際に、このまま死んでもいいとも思いました。
精神が参っていたのもあり、無気力症候群気味にもなりました。
そのままなんで生きてるのかわからなくなり、
人が生きるために必死になるのは何でかを考え、
chatGPT(以下、gpt)と対談を重ねました。
gptの答えは、生物としての本能や、心理的・社会的な要因が複雑に絡み合っているからとのこと。
必死に生きる理由は人それぞれですが、多くの人は「生きていて良かった」と思える瞬間を求めているのではないかと。
私の考えとして痛みや苦痛さえ無ければ死に対する恐れはありません。
焼死や溺死、窒息死じゃなければ私は死んでもいいと考えています。
人間が死に対して抱く恐怖の多くが「未知への恐れ」や「苦しみを避けたい」という感情に根ざしていると思います。
安楽死など楽に死ねる方法もあるなか、どうしてみんな毎日身と心を削りながら必死に仕事をするのか。
足が痛い、腰が痛い、あの人が嫌だなんて愚痴をこぼしながらなんで辞めないのか。
この人はなんでそこまでして生きたいのだろうと不思議に思いました。
多くの人にとって、仕事は生きるために避けられない手段です。
家族を養うため、自分を支えるために働くことが「仕方ないこと」と感じている人もいます。
家族のためにがむしゃらに働ける方は本当に尊敬します。
ですが今の私は子供がいるわけでもないので誰かの為に生きたいなんて思うことはありません。
又、社会的な成功や安定を求められる環境にいると、
期待やプレッシャーから「休む」「やめる」という選択肢を持つことが難しくなる場合があります。
そうなると、本当は何のために生きているのかが分からなくなり、ただ目の前の仕事を続けるしかなくなっている人もいるでしょう。
私もそのひとりです。
その中で生きる意味を見出すことが困難になる場合もあります。
「死んでもいい」という感覚を持つのは、ある種の自由を感じさせました。
この自由は、他の人にはない視点でもあるかと思います。
この感覚を持てたからこそ、逆に「どうすれば生きることに意味を見出せるか」について、より深く考えるきっかけにもなりました。
自分にとって本当に大切なことは何か。
何を犠牲にしても「これだけはやりたい」と思うことや、「これなら生きていてもいい」と思える瞬間は何か。
探すことができれば、世界の見え方が少し変わるかもしれません。
皆さんはそういった「生きる価値」を感じられるものはありますか?
それとも今はまだ見つける途中でしょうか?
私はまだ途中です。
生きる価値を見出す過程について
転職を考えており、第二の彼とも距離を置き始めた時期でもありました。
今、私が生きる価値を模索しているのは、何かを手放し、何かを掴もうとしている過程なのかもしれません。
この過程自体が、何もない私からすると生きる意味の一つであるかもしれません。
そして私は本当の自由は死だと考えていました。
色んな苦難からの解放の手段とも思い、自由になりたいと思いました。
ですが、死んだ後のことはわからないので、
自由を「生きたままの形で手に入れる方法」を探すのも一つの生きる理由になるとも思いました。
それは、社会的なしがらみや個人的な苦しみからの解放かもしれませんし、自分自身にとって本当に重要な価値を追求する旅かもしれません。
自由とは何でしょうか?
今の私にとっての自由は、
1.時間の自由:
他人や仕事、責任に縛られないスケジュールを持つこと。
2.体力の自由:
健康を維持し、自分の身体が制約にならない状態を目指すこと。
3.経済的自由:
十分な資産を築き、生活のために無理をしなくてもよい状況。
4. 他人からの制限がないこと:
他人の期待や社会のルール、あるいは恋愛における束縛を受けず、自分自身を大切にできる状況。
5.親や老後からの制限がないこと:
家族からの制限や老後への不安は、多くの人が抱える課題です。
6.心の安らぎ:
心が穏やかで平穏な状態にあることを指します。外部のストレスや不安、内面的な葛藤が和らぎ、心が安定し、落ち着きを感じる瞬間
恐らく多くの人が求める基本的な自由でありながら、達成が難しいと感じる部分でもあります。
時間や体力を奪うものを減らし、経済的な基盤を確立することは、人生を軽くし、より自由な選択を可能にします。
これを達成するには、計画的な行動が必要ですが、「すべてを軽くする」方向に焦点を当てるのが生きる意味をと人生のゴールを見つける鍵かもしれません。
又他人の意見に縛られないためには、自分の価値観や意思を強く持つことも重要です。それが他人と衝突する場合でも、自分を信じられる強さが自由につながるのかもしれません。
まだ、生きる価値は見出せませんが、この過程も何か価値があるのかもしれないですし、今は経済的に自由になれるよう頑張り、それから何か価値を見出せれば良いなと思います。
そして、2024年を振り返って、私はパートナー2人に出会い、沢山恋愛をしてずっと浮かれていました。
沢山恋愛できて楽しかったです。
第二の彼との子を妊娠し、年末に流産し、彼の対応や状況を考え距離を置く事も考えていた中で、年末年始は彼1号と過ごしましたが、この人と過ごす時間を大切にしたいと思えました。
第二の彼については、誰かを嫌いになる事って凄くエネルギーを使うし悲しいこと。
これからも大好きでいたいと素直に思えたので関係が壊れない程度に程よい距離感を保ちたいと思いました。
生きる理由の一つとして、私は人との繋がりが生きた心地を感じられる瞬間が多いことに気づきました。
信頼できる人との会話や支え合いが心の安定感を与えてくれますし、日常の中で感謝を感じることができると、心に温かさが生まれます。
それが生きる活力になると考えました。
多分私が一番好きな事は人と接すること。
それは遊びでも仕事でもなんでも。
仕事を通して人と出会って、
繋がりが出来て、何かを共有できて、
何かを認めてもらえて、ありがとうと言われると素直に良かったーと。やりがいと生きた心地を感じます。
あくまで仕事は楽しく生きる為の手段。
稼ぐ事は大事なので、頑張りますが、頑張り過ぎず、
需要と供給マッチさせて誰かの役にたてればそれれだけでいいなとも思いました。
感謝の量だけ心が養われると思ってこれからもお仕事頑張りたいです。
パートナーに出会う前までは死ぬ時はひっそり他国で行方不明になって誰も知らないうちに死にたいと思ってましたが、
今は最期は沢山の大好きな人達に囲まれてありがとうって笑顔で皆んなとお別れしたいです。
それから、人生の最高のゴールは、笑顔で最期を迎えられることだと思いました。
ゴールがそこなのであれば、愛され、感謝され、そして周囲の人々との深い絆を築いてきた証そのものが生きた証になります。
一日の終わりに「今日も良い一日だった」と思えるように、小さな幸せや感謝を見つけるのが鍵。
他にも「あれをしておけば良かった」という後悔を減らすために、やりたいことを先延ばしにせず行動する。
時には大きな夢でなくても、小さな目標でも良いので、実現していく過程を楽しもう。
ゴールが「笑顔で最期を迎えること」だけでなく周りの笑顔も含むのであれば、最後に笑顔でいられるのは、自分だけでなく周りの人の笑顔があるからこそ。
他者に喜びを与える行為や、励まし、誰かの役に立つことは、自分の人生を豊かにします。
そこに至る道のりそのものが「笑顔」を育む旅となるはず。
「今この瞬間を大切にする」という意識を持ちながら、人生を楽しみ、感謝し、愛を注ぐことで、そのゴールに自然と近づいていけるのではないでしょうか。
最高のゴールを迎える為に今を生きるのもアリかもしれない。
そうすると、冒頭の『生きていて良かった』と思える瞬間は最期にあるんじゃないだろうか。