絵描きが考える「人のために働きたいと心から思えないという考えは悪なのか」
というわけで、休日絵描きの人です。
こういった問題を考えないといけないような場面に当たることがあったので、ちょっと考えてみました。
前提として、「人のために働こうと心から思える人は尊い。」
という考えがあるので、人のために働ける人はおかしい、異常者だ。
という話ではないことをご理解ください。そう思える人は讃えられる存在だと思います。
また、個人の意見であり、べつにわたしは精神や哲学の専門家でもなんでもありません。あと、金銭が絡むとそれに対しての相当の対価がどうこうともっとややこしくなるので、あくまで「気持ち」にしぼります。
0.結論 自分が一番可愛いので自己犠牲はしたくないが、困っている人に求められれば解決を考える。のでグレー。
人のために働こうと心から思えないことが悩みの私がだした結論はこれです。
「人のために働こうと心から思えないものは悪である。」
という前提をまずなくそう、というエクストリーム手法です。三段論法は得意ではないので、なら心から思えるものは善じゃないじゃん!という哲学的ツッコミは遠慮いただけるとありがたいです。
自分でも人でなしだと思います。でも、別に困っている人に頼まれても助けないとか、もっとひどい目にあわせようとかは考えないので。そこまで悪いとも言い切れないかなと。
それで、あなたみたいな冷たい人とはやっていけないわ。といわれたらしょうがないですね。気持ちがちゃんとある方が強いとは思うので。
おまけで、絵を描くという観点からも考えてみましょう。
1.絵を描くのは人のために描かなければならないのか?
もし、全ての絵が人のために描かれなくてはならないものだとしたら、窮屈ですね。子どもですら、親が喜ぶものでなければ描けないということになってしまいます。
趣味で絵を書いている人も、仲のよい人に〜描いてと頼まれれば描くこともあるでしょう。これには頼まれれば手を貸す。という「人に求められれば解決を考える」が入っていますね。
世の中には、求められて描く時に金銭を求めるのは心からの助けではない。という考え方を持たれる方もいますが、自分のためでない絵を描くという時点で、こうした方がよいかな、とかああした方がよいかなと考えることが追加されるので、描き手は絵を描くだけでなく相手のことを考える時間を支払っています。もちろん描く時間もかかります。十分よかれと思ってがんばっているのではないでしょうか。(金銭については、タダで仕事を受けることで絵を描く人全体の仕事の価値が下がる。という面が強いのですが。)
また、趣味の絵でもそれを観て「いいな」と思う人がいれば、相手にたいしていい時間を与えたともいえるでしょう。「いいな」と思う人が誰もいない。という現象は0でないとしてもまあ、少ないと思います。
最近読んでいる「教養としてのお金とアート」という本では、美意識が公共性から切り離せなくなってきつつある。という話が出てくるのですが、国レベルの話は置いておいて、趣味で作ったものを展示するとかSNSにアップするなどして他者に観てもらう空間を作るという行為でも、みんなが観て楽しめる場=公共性を与えているといえなくはない気がします。私論ですが。(なんでもタダで公開するのがよいという話ではありません。)
まとめると、好き勝手に作ったものでも、結果的にそれが他者によい印象や時間を与える可能性は0ではないため、人のために描いたものでなければ人に善いことはおこらないとは言い難い。となる感じですかね。
趣味でやってたお店に常連さんが増えて、じゃあその人のためにこれも入れてみるか。と、きまぐれに思うこともある。という感じでしょうか。
3.総括 人のために心から働こうとは思えないけど、まあいっかぐらいの気持ちならがんばれる。
結局は、自分の好きにしたら。
と投げっぱなしのまとめになってしまいましたね。結局のところ自分が一番好きで大事ですし、自分がいいなということにしか、私はがんばれないのです。
だからこそ、何を自分がよいと思っていて、何がいやで、なにをしたいと思うかを大事にする必要があるのかもしれませんね。
またいずれ、なぜ自分が絵を描くのかについても掘り下げようと思うのでよろしければお付き合いください。ちなみに絵を描くのが好きなのか?ときかれたら、ふつう。です。
毎回音楽を紹介しているところもあるので、なんとなくテーマにあってそうなものを選曲します。
pixies - Where is Mind
心はどこにあるのか、自分とはなんなのか。永遠のテーマですね。