音楽と出会う 合唱曲「トネリコの森」を巡る探索
というわけで、合唱曲も好きな34です。
前回のモルカーの記事にいいねをくださった方、ありがとうございます。
よきPUIPUIライフを過ごされることを願います。
時に、みなさまは「トネリコの森」なる合唱曲をご存知でしょうか。
私は小学生だか中学生だかの時にこの歌を歌いました。
記憶では大変美しい歌詞で、森の様が情景に浮かぶようで、
植物を描くならこの曲をベースにしたいなと、歌詞を調べたりしているうちに、まさに森に足を踏み入れるごとく。
となったので、「トネリコの森」の魅力とその背景について、簡単にでありますがまとめて見ようと思います。
1.「トネリコの森」の歌詞
ここは小さな森なのです トネリコなど生えてます
もとは小さな城跡だけれど 面影すらもうないのです
街を離れてここに来れば 私もあなたも打ち解けて
まるで小さな子供達のように 華やぐ日もあるのです
すると小さなそよ風が吹いて 話しかけるのは何故かしら?
誓いもむなしく 再び会えずに 別れた二人の物語
聞けばかすかな鐘の音のように 震える日もあるのです
ここは小さな森なのです トネリコなど生えてます
たとえ小さな喜びのときも 戦の嘆きは忘れずに
森は幾年変わらぬ言葉で 風と光とないまぜて
揺れる五月の若緑のように 囁く日もあるのです
トネリコの森 作曲:ウェールズ 作詞:中山知子
本当に美しい詩だと思います。
語りかけるような文体、どこか懐かしい雰囲気が素敵です。
作詞を担当された、中山知子さんは童謡作家、翻訳家をされていて、名犬ラッシーや、小公女、不思議の国のアリスなどの翻訳も手がけているそうです。
なるほど、このセンス!
一方の作曲の「ウェールズ」とは人の名前でなく、「ウェールズ国の民謡」ということがわかりました。
なるほど、音の懐かしさはこれが原因なのか!?
「トネリコの森」は、海外では「The Ash Grove」の名前で、親しまれているようです。
ちなみに日本でも別の呼び方があって、「木かげの思い出」と言う名前で、リコーダーの合奏曲として習うこともあるようです。
2.日本語と歌詞が違う「The Ash Grove」の歴史
では「The Ash Grove」はどんな詩になっているのだろう?と思い調べてみました。
すると、そもそも詩が日本語のものとちがったり、2種類あったり、ウェールズ語でなく英語だったりしたわけです。
わけわかめ。
なので、「The Ash Grove」の歴史を調べてみることにしました。
※ここからはwikipediaとヤフー翻訳頼りの探索です。
違ってるよとか、知識をお持ちの方がいらっしゃれば、ツイッター宛てに教えてください。
「The Ash Grove」が最初に曲として知られたのは、1802年。
吟遊詩人博物館でハープ奏者のエドワード・ジョーンズの書いた楽譜が見つかったことから始まります。
元は歌詞もなく、曲のみが存在していたようです。
ハープのみの「The Ash Grove」も大変美しいですね。
なぜか「いつも何度でも」の曲を思い出してしまう。
その4年語に「Llwyn Onn」という歌詞付きの曲が誕生します。
これがウェールズ語での「The Ash Grove」の呼び方のようです。
「Llwyn Onn」は、Llwyn(ウェールズの地名) の船乗りグウェンに対する愛情を歌ったもので、歌の終わりにグウェンは死んでしまうそうです。
そしてこの歌あるバージョンでは、作家はグウェンが喪に服していること、そして彼女が「孤独な灰の木立の陰の下に」横たわっていることについて語ります。
灰の木立=「The Ash Grove」のことなのでこれが、のちの呼び方に影響していそうですね。
しかし、wikipediaでは、ジョン・ゲイが1780年におこなった「ベガーズ・オペラ」でも似たような空気があったこと。
を例にあげて、「The Ash Grove」も、もっと詩の出典は古いかも知れない。と語っています。
要は誰がこの詩を書いたかの保証はないし、出典もよくわからない。
という話のようです。まぁ、民謡ですからね。
その後、1862年に「ウェールズメロディー第1巻」に、ジョン・ジョーンズと共に、ハープ奏者のジョントーマスがウェールズ語と英語の詩に編集したものが、「The Ash Grove」として公開されたとされ、
さらにこの最初バージョンの詩を、英語の劇作家で翻訳者の「ジョン・オグゼンフォード」が別の解釈がおこなったようです。
さらにその後では、「The Ash Grove」を元に賛美歌が作られたり、小説を元にした「The Ash Grove」が作られて労働者の間で歌われたり、色々な人に編集されて親しまれているよ。
というようなことが書いてありました。
つまるところ、「The Ash Grove」は昔から人々が色々な解釈をして歌詞つけて歌っていた。ようです。
なので、日本語と英語の訳が違っても、それは日本語での「The Ash Grove」の解釈であるだけ。なので歌詞の内容が違ってもおかしくはない。
というわけなのですね。
よく考えるとそういう曲は、たくさんある気がします。
3.スタンダードな「The Ash Grove」の詩
wikipediaでは「The Ash Grove」の代表的な英詩を2つあげています。
どちらも
「喪に服している船乗りのグウェンが、孤独な灰の木立の陰の下に横たわっている彼女について語る歌」
をモチーフにしていました。
そのうちの上に書いた、ジョン・オグゼンフォードの解釈がどうも、日本版の「トネリコの森」の元になっていそうです。
The ash grove, how graceful, how plainly 'tis speaking;
The harp (or wind) through it playing has language for me,
When over its branches the sunlight is breaking,
A host of kind faces is gazing on me.
The friends of my childhood again are before me;
Each step wakes a memory as freely I roam.
With (soft) whispers laden the leaves rustle o'er me;
The ash grove, the ash grove alone (again) is my home.
Down yonder green valley where streamlets meander,
When twilight is fading I pensively rove,
Or at the bright noontide in solitude wander
Amid the dark shades of the lonely ash grove.
'Twas there while the blackbird was cheerfully singing
I first met that dear one, the joy of my heart.
Around us for gladness the bluebells were ringing,
But then little thought I how soon we should part.
My lips smile no more, my heart loses its lightness;
No dream of the future my spirit can cheer.
I only can brood on the past and its brightness;
The dear ones I long for again gather here.
From ev'ry dark nook they press forward to meet me;
I lift up my eyes to the broad leafy dome,
And others are there, looking downward to greet me;
The ash grove, the ash grove again is my home.
wikipedia The Ash Grove Oxenford lyrics より
1番では、小さい頃から親しみがあるトネリコの森について、ここは素晴らしき故郷であると語り、
2番目から3番目にかけて、孤独な灰の木立の陰の下に横たわっている彼女の死を悼む内容になっています。
最初は喜びに溢れているのに、どんどん暗い内容になっていく。
これは確かに児童が合唱する曲としては、暗すぎる気がします。
日本の「トネリコの森」の
誓いもむなしく 再び会えずに 別れた二人の物語
という詩は、おそらく喪に服す船乗りウェインと亡くなった彼女のことを指すのでしょうね。
4.ウェールズ国とは
では「トネリコの森」の歌詞にある「城跡」や「戦のなげき」についての話がどこから来るのかというと、これはウェールズ国の歴史からきているようです。
ウェールズ国がどこにあるのかというと
ユナイテッド・キングダム・オヴ・グレイト・ブリテン・アンド・ノーザン・アイルランド
日本で言う、イギリスにあります。
イギリス史はまだ未修なのであまり詳しいことは書けないのですが、
ウェールズは古くから何度も他の国に侵略されそうになっては戦い、国を守ってきた歴史があります。
アーサー王の伝説の始まりの舞台もウェールズだそうです。
また、かつて北ウェールズにはケルト人が暮らしていた歴史もあり、
トネリコはケルトの守護木、再生、生命の木ともされていますから、
ウェールズは戦いがたくさんあって、中には城であった場所もなくなってしまうこともあったけれど、
トネリコの森と同じように、再生して生きている。
というようなことを「トネリコの森」では伝えたかったのかなと思いました。
5.ウェールズ語の「Llwyn Onn」
ということで、「トネリコの森」についての話でした。
簡単に調べられるかな?と思ったら次から次へ情報がでてきて、
本当に歴史、音楽、言語など教養がないと解説は難しいなと感じましたが、曲の深掘りができて面白かったです。
「トネリコの森」について詳し目に調べたブログなども特にないと思うので、演奏される方がいらっしゃれば、参考にしていただけると嬉しいです。
最後に色々検索してやっと見つけた、ウェールズ語の「トネリコの森」の動画を紹介して、今回は終わろうと思います。
ウェールズ語は流石に翻訳でもよくわからなかったのですが、英訳よりも重くないイメージで喪に服す船乗りウェインと亡くなった彼女についての思い出が歌われているようです。