愛おしいとその裏と
隣で映画を見ている横顔、車を運転している時の横顔、なにかを写真におさめている時の横顔。
私を愛でている時の声、気だるい時の声、カッとなった時の声、笑い声。
愛おしい人、という名称がこんなにも似合う。愛おしくて、切なくて、隣でそっと泣きそうになって。100パーセントの愛ではないかもしれないが、120パーセントの恋ではある。
楽しくて、嬉しくて、恋しくて、幸せで、哀しい。ほんの少しの悲しさが、ずっと、抜けない。私の心の隅の隅、炭ほどの小ささで、ずっと。
自信家で能天気な私である。極々ちいさい、自信のない私が、愛おしい人の隣は務まらないと呼びかけている。鬱陶しい。
メンヘラは相手がつくるもの、とよく言うらしいが、例外があるのだと。私とあの子との軋轢が、ソレを産むことがあるのだ。
見たこともないあの子が、愛おしい人の隣にずっといる。お前なんかじゃダメだと言う。私もそう思う。
無言の時間が怖い。あの子のことを考えているのではないかと。私といても楽しくないのではないかと。
ビクビク怯えながら進むこの恋は、物語的には不正解なのだろう。正解も特に見当つかないが。
世界の、この世の摂理的に言わせると、私が当て馬なことは明瞭である。ステップアップのための踏み台。踏み台にでもなれたことを誇りに思うべきか。
ああ。愛おしいのその瞬間を最大限愉しむことも赦されない。所詮ロミオとジュリエットと私。そんなことを考えてしまうのも失礼なのか。
こんなにも不安な恋は初めてで、どうにも怖くて、私が私でいられなくなってしまう。まずすぎる。
愛おしいのに。こんなにも切ないのに。いずれ来るであろう別れのシーンとその理由が脳にこびりついてしまって。
身動きが取れない。