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自己紹介 はじめてのnote
これから書く記事を通して僕を少しずつ知っていただきたいので、大まかな自己紹介だけをします。
1.性格
小、中学校でクラスに一人はいたであろうお調子者タイプで、やたらと感動して涙もろいです。
給食を毎回おかわりし、元気だけが取り柄の健康優良児
スポーツだけは得意で、部活動キャプテン、運動会応援団長
成績はザ!中間
秀でた才能や特技はなし
自分の意見をスパッと言い切れない優柔不断なところがある
統率力もないのに、みんなで協力、団結が大好き
映画やドラマはもちろん、子どもの歌声を聞くと涙があふれる
2.家族構成
僕が長男の3兄弟で、妻は0人、子どもが2人(別居)います。
祖父母、父は他界し母は元気で近所に住んでいます。
2歳下の弟、5歳下の妹がいる
妻とは離婚し現在未婚の一人暮らし
大学生と高校生の娘が2人いる
3.好きなこと
趣味や特技とは言えないけど好きなことはたくさんあります。
中でも最近一番ハマっていることは読書です。
読書(推理小説、恋愛小説、経済、情報、歴史などジャンル不問)
アコースティックギターを弾く
音楽鑑賞
映画鑑賞
ドラマ鑑賞
料理をする、食べる
ドライブ
海釣り
英語学習
web3関連、暗号資産、NFT
コレクションしたがる癖
4.自分史
時系列で大まかな時期ごとに、自分の歩んできた記録をまとめました。
これが基になる木です。
この木に、枝や葉や花、新芽や根のような各々の記事を書いて自分という木を表現していきます。
【幼少期】
幼稚園入園当初、お母さんが恋しくて園を脱走し先生に抱きかかえられて強制送園された。
知らない小学生についていき迷子になり、巡回中のパトカーに保護され自分で住所を伝えてパトカーで帰宅した。
甘えん坊でお母さん大好きっ子だったが、好奇心旺盛な性格としっかりしている一面もあった。
【小学生】
5年生あたりから異性に興味を持ち、人気者になりたい願望が芽生えた。
健康優良児らしく体は大きい方で、運動会や校内行事に本気で取り組み、クラスの役に立つことでみんなが喜び人気が上がるいうことを学んだ。
【中学生】
バレー部でキャプテンになるが、部内にヤンキーがいて衝突が多くチームをまとめることの難しさを知った。
別の小学校からの生徒と初めて触れ合い、大小グループの多さや個々の性格の違いを感じた。
その複数の個性が団結した時の感動と喜びの大きさに驚き、気持ちの共有は人数の多さも関係しているのだと知った。
【高校生】
バレーで推薦入学、勉強は片手間で3年の夏まで部活中心の生活だった。
楽しい恋愛や悲しい失恋を経験し、相手との感情のキャッチボールを徹底的に学んだ時期だった。
部活引退後に本気で勉強し、努力次第で成績は上がり、知らないことを知る喜びを知り、勉強することを心から楽しめた時期だった。
【専門学生】
大学受験に全敗し浪人を考えたが、日中は社会経験を積みながら夜間専門学校で勉強できる方法があり、普通の大学生活を目指すよりも魅力を感じて、3月の最終試験一発勝負で夜間専門学校に合格した。
学生の年齢は自分と同じ現役生から50代まで幅広かった。
人生の先輩である同級生が本気で学ぶ姿勢、日中の勤務先で半人前ながら固定給を頂くことの後ろめたさ、これが刺激になり大学受験全敗を心から感謝した。
4年生で卒業試験、国家試験ともに合格し診療放射線技師の免許を取得し卒業した。
【医療従事者】
学生時代の経験から、基本的な技術は身についていたので就職1年目から日常業務の助力にはなれた。
しかし、責任所在の無い学生時代と違い、自分の過失が患者に直接不利益を与えるという恐怖と責任を強く感じた。
患者の状態や症例に同じものは無く、学びと反省の繰り返しで毎日の成長を感じ、満足した社会生活が出来てきた。
就職から3年後に結婚、2年後に子どもを授かり、数年後に自宅を建てた。
仕事のやりがい、愛する家族、安らぐ住まいに心も充実した生活が続いた。
【事故・リハビリ】
2013年にスノーボード事故で胸椎10-11番の脱臼骨折により脊髄損傷になる。
おへそから下あたりの感覚が無く、下半身不随、排便・排尿機能全廃の障害で障害者認定1級を受けている。
事故当日に現地病院で緊急手術、約一カ月で転院し治療とリハビリを開始し、車いすで生活する能力のほんの一部を身に着けた。
治療の回復を待ってから障害者支援施設に転所し職業訓練プログラムを受けた。
パソコンスキル(と言ってもWord,Excel,のみを徹底的)と、公務員試験の勉強を全力で取り組み、なんとか一般事務枠で合格できた。
約一年間で退所し車いす生活できるように改修工事をした自宅へ帰宅した。
【転職】
病院なら車いすでも仕事は出来ると病院長から復職を提案されたが、放射線技師として働くには、車いすでは患者に満足な医療を提供出来ないと自分が納得できず転職を決意した。
子ども2人はまだ幼く妻は専業主婦なので、まだ家族を養わなければならないと、事故からちょうど1年で市役所職員に転職した。
【離婚】
公務員として働き1年少し経った頃、妻が子ども2人を連れて突然実家へ帰省し、その後調停を経て離婚した。
子ども達とは「最低でも月に一度は会う機会」という調停同意内容通り、運動会で応援したり、3人で遊びに出かけたり、我が家にお泊りしたりと良い子に成長している。
長女は友人を連れて遊びに来たり、次女はバイト先のおススメを買わせようとしてきたりと、今でも幸せな時間を過ごせている。
【うつ病・無職】
公務員として働き始めて6年ほど経過し、職員や市民からも車いす職員として認知され、職場にも慣れ昇格もしたころ人事異動で他部署へ移動した。
慣れない仕事ながらも、必死に取組み達成感や充実感も感じていた。
変化は突然現れた。
出先から車で庁舎に戻ってきた時、便失禁(大便を漏らすこと)が起きた。
下半身不随の障害で便意を感じないため、注意していてもある程度の頻度でこうしたトラブルは起き、それまで仕事中に何度も経験してきた。
しかしその時は「早く対処しよう」という、いつもの意志ではなく、
「もうダメだ」と瞬時に思い、涙も出ていたことに気付いた。
気持ちが折れた瞬間だったと思う。
その日は早退し、翌日から仕事へ行った。
数日後、起床時からお腹の調子が良くない時に不安で出勤できない。
そんな不安な状態が眠る前や日常でも感じるようになり欠勤が増え、上司の勧めもあってメンタルクリニックを受診し診断結果は「うつ病」だった。
別の心療内科を受診するも診断名は「うつ病」だった。
自分自身が一番信じられなかった。
「超」がつくポジティブ思考だと思っていた自分が、突然の自信喪失、恐怖、不安、罪悪感、虚無感、たくさんの感情に覆われまさかのうつ病だと。
いろいろな感情表現はあるが、その時の願望は一つだけだった。
「何もしたくない」
回復せず、休職辞令の公布を最長の3年間継続し、退職届を提出した。
失職し無職は現在も継続中。
通院、外出、友人と食事など日常生活ができる状態まで回復したが、完全復活かと問われれば「完ぺき」とはまだ即答できない状態だ。
でも毎日笑顔になれるし、会話や外出が楽しめる今は幸せだ。
5.noteの記事について
【必要な人にとって役に立つ記事を目指します】
万人に好まれるウケるネタ記事を書くつもりはありません。
「ふーん」「そっかー」「マジかー」「ウケるー」そんな「気づき」を感じてもらえる記事が必要な人に届いてくれたら嬉しいです。
【週に最低1つ以上は投稿できるように努力します】
以前「アメブロ」を365日間途切れることなく継続して書きました。
継続することにだけ注視し過ぎて、時間を割いて読んでいただく内容でなかったこともたくさんあり反省しました。
記事数ではなく、短くても自分の納得のいく記事を書こうと思います。
【自己意思の再確認と伝える表現力向上を目指します】
自分の意思を、記事を通して正確に伝えるために、冷静な視点で自分の気持ちに向き合いたいと思います。
【自分の経験と得た知識を書きます】
上手くいったことばかりではありません。
失敗談の方が多いかもしれませんが、そこから学んだことや改善できたことについて書きたいと思います。
【だれ得記事も書きます】
誰もタメにならないだろうけど、どうしても吐き出したい気持ちに、自分が素直に向き合うだけの「だれ得記事」もたまにあると思います。
【本名や顔等の個人情報は基本的に無料版では出しません】
個人情報を含めて投稿しなければ伝わらない内容もあります。
どうしても必要な人には届いて欲しいと感じるものです。
具体的にどんな内容か提示し必要な方のみ有料でお読みいただきたいです。
【質問とご指摘には真摯に対応します】
説明不足や間違えた内容は真摯に対応します。
記事の再編集や投稿削除も十分に考えられます。
【感想は頂戴しますが悪意を感じるものは無視します】
感想は出来る限り拝読し自分の成長材料にさせていただきます。
悪意があると感じるものは無視、または自分が正しいと思う対応をさせていただきます。
大まかな自己紹介が長くなり過ぎました。
最後まで読んでいただいた方ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
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