
歴史の全てが詰まった最強のローマ帝国の興亡と分裂【世界史論述解説1】【東大世界史1995年】【一橋世界史1992年】
今回は東京大学の1995年、一橋大学の1992年のローマ帝国に関する問題を使いつつ、ローマ帝国の面白みに迫りたいと思います。
解説する主な過去問
・東京大学1995年第1問
・一橋大学1992年第1問
ローマの歴史を初回テーマに選んだのには、いろいろな理由があります。
僕たち日本人からすれば、古代ローマやローマ帝国に対してなんの思い入れもないし、なんか大昔の話ね、という感覚かもしれませんが、欧米の歴史を見ていると「ローマ」は至る所で顔を出しています。
世界史論述の良問を取り扱いつつ、解説もしていきますが、この記事では「ローマ」という切り口からダイナミックに世界史を鷲掴みし、より俯瞰的な視点を身につけてほしいと思っています。ローマ史は本当に面白いので楽しみにしておいてください。(初回は重要なので情報量がかなり多いですが、2回目以降はコンパクトな情報量になると思うので辛抱してください)
ところで、最近スターウォーズという映画を通して一気見しました。

めっちゃくちゃ面白くて、ずっと鳥肌が立っていたし、何度も泣きました。人間としての成長や葛藤、苦悩、親子関係の複雑さや愛とコンプレックスなど、普遍的で、身近な話が、やたら壮大なスケールで語られるからこそ、楽しみつつ、共感できる。そんな作品なんだと思います。
この映画を見ている時、少し違和感を抱いたシーンがありました。その一つがパルパティーンです。彼はやたらめったら悪の存在として描かれています。

引用元:Fandom
ビジュが悪すぎるッッッ!!!!!
これは作り手が悪意を持って、悪の存在に仕立て上げているとしか思えないですね。スターウォーズしかり、世の中のエンタメ作品は、パッと見ただけで悪人は悪人と分かるように描かれがちですね。『ムーラン』というディズニーアニメーションにはシャン・ユーというフン族の長がヴィランとして登場しますが、彼も見た目からしてヴィランすぎるんです。

引用元:「Mulan」
ビジュが悪すぎるッッッ!!!!!
これを考えると、「アナと雪の女王」のハンス王子はある種革命的な存在でした。見た目が綺麗で、かっこよくて、おしゃれなやつが実は醜い心を持っていて、悪のヴィランだったわけですから。

引用元:「Flozen」
ビジュが良すぎるッッッ!!!!!
胡散臭いくらいビジュがいい!!!
逆に怪しいッッッ!!!!!
少し話がそれましたが、パルパティーンはローマの歴史でいえば、明らかに「ユリウス・カエサル」に該当する人です。

ユリウス=カエサルは冷静に考えれば、確かに共和政ローマがずっと維持し続けてきた「独裁的な存在は絶対に作らない」という考え方を覆し、自らが終身独裁官に成り上がった人です。彼自身がローマ帝国の創始者、というわけではないのですが、実質的にそれに匹敵する権力を握った人と考えられています。
ドイツ語で皇帝を意味するカイザーや、ロシアの皇帝の呼称ツァーリはカエサル由来です。
でも、カエサルが悪の化身みたいなイメージを持っている人はそこまで多くはないでしょう。ハゲてる地味な男だったみたいな噂もありますが、それでも魅力的な人物だったようです。
ここに僕は違和感を抱いたのです。なぜここまで独裁的な権力を握ろうとしている人が悪の権化のように描かれているのか、と。
このあたりの疑問を頭の片隅に置きつつ、これからローマが王政から共和制に移行し、そこから帝政へと移行していく流れを見ていけば、より一層面白いと思います。

(Generated by AI)
まずローマ史の通史に入る前に、ローマの興亡を先に俯瞰的に見ておきましょう。
紀元前753年に創始者のロムルスが建国したのが始まりだとされているのですが、そこから250年くらいは王様がいる政治体制でした。最初は王がいたんですね。
紀元前509年からは王様を追放し、共和政と呼ばれる政治体制へと移行します。そこからポエニ戦争などを経てどんどん拡大していき、カエサルが登場する三頭政治を経て、アウグストゥスが登場することで実質的に皇帝がローマ史に登場します。これが紀元前27年から。
96年から180年は五賢帝時代で、それ以降はしばらく受験的にはあまり出ない時代が続いて、235年からは軍人皇帝時代が始まります。この混乱をおさめるためにディオクレティアヌス帝がドミナートゥスを開始し、テオドシウス帝の時の395年に東西分裂し、西ローマ帝国は476年に滅亡。
東ローマ帝国はビザンツ帝国と呼ばれるようになり、こっちはオスマン帝国によって1453年に滅亡しました。
ビザンツ帝国はローマ史とは言えないので、さくっと触れるに留めますが、ローマ史の世界史への影響力を考える上では避けて通れません。
こちらのマガジンでのまとめ買いがお得です。勉強法の記事、第1回〜10回の解説記事がまとまっています。
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?