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歴史における連続性の境界

「戦前に日本兵が朝鮮に悪いことをしたなんて、今の私たちには関係ないよね」

こんな意見がある。

よく聞く。僕もたまに思うことがある。

たしかに僕たちは「日本人」であるといえる。

ただ、戦前に朝鮮の人々に乱暴し戦争を行った当時の人たちと、「僕」という個人は全くの別物だというのも事実だ。

「日本人」という「民族」レベルでは同じカテゴリーであっても、個人レベルでは異なる。


こういった難問は、近現代の東アジア史において重々しく横たわっている。




東郷平八郎という日本の英雄がいる。(彼を英雄だと思わない人もここは目を瞑ってほしい)

もし彼のことを日本の英雄だと思うのなら、一度は「同じ日本人として誇らしい」と思ったことがあると思う。

こういうのはいわゆる「日本人」というカテゴリーを使った、「同化」の一種だ。

逆に言えば、「そんなことをするなんて日本人として恥ずかしい」という現象にも似た原理を見出すことができる。


そして、現実として、戦後の日本は「あの戦争」について、諸外国に謝罪してきた。

もちろん、戦後すぐの政治指導者たちは当事者な訳だから、その謝罪は一定程度理解できる。

しかし、戦争に参加した世代は、もはや全滅の危機にある。日本から完全に消滅しようとしている。

(僕は戦前を生きた人(できれば当時15歳以上)に話を聞きたいということで一時期知り合いを当たっていたが、探すのには骨が折れた。)

さて、この問題について、あなたはどう考えるだろうか。

もちろん、日本人として一生背負わなければならない十字架だという(壮絶な)意見もあれば、関係ないという(若干幼稚な)意見もある。


これをより深く考えるために、全く別の身近な具体例で考えてみよう。


昨日の自分が人をあやめたとする。

明日の自分はその責任を負うべきだろうか?

もちろんイエスだろう。


哲学的な話をすれば、寝る前の自分と、寝た後の自分が真の意味で連続した存在なのかという問題は難しい。

細胞は絶えず入れ替わっているし、意識が一度飛んでいるわけだから(睡眠によって)、断絶しているととることもできる。

まぁこの辺は哲学的な議論になってしまうし、一般感覚から見ても、「昨日の自分の犯罪は自分のせいじゃない」という主張には厳しいものがあると誰でもわかるため、話を進めよう。


では、自分の家族が犯した罪について、自分は責任をどれほど背負う必要があるだろうか?


少年犯罪が起きた時、こんな声がよく上がる。


「どんな親がどんな教育をしたらこんな子供が生まれるのか?」


という声だ。

これは半分は真理をついていて、半分はどうしようもない誹謗中傷だと僕は感じる。

実際に家庭内ではネグレクト、家庭内暴力がまかり通っており、それによって子供が犯罪を犯す場合もある。

ただ、両親がそのように育てたからと言って全員が犯罪者に育つかどうかはわからないし、一般的に「よく」教育したからといって、子供が犯罪を犯さないとは限らない。


子供が犯罪を犯したからと言って、その責任を親がとって、親自身が犯罪者になる必要はないと言える。

つまり、家族同士の連続性は、ほぼないといえそうである。


ただ、同じ苗字の人が風評被害を被ることは避けられないし、家族にも一定の被害が行くことは間違いない。

僕がもし犯罪を犯したら、両親は職を失い、兄弟姉妹は学校で笑いものとなるだろう。


さて、これらを考えていくと、連続性の境界はこれらの間にあるように思える。


ただ、もう一度歴史の話に立ち戻ってみると、やや話が変わってくる。


冒頭の問題を改めて考えてみよう。


『昭和時代の日本人の責任を、令和の日本人は取って謝罪しなければならないのか?』


という問いだ。


これは本当に難しい。


試しに親にでも聞いてみてほしいが、返ってくる返事は千差万別である可能性が高い。


「責任を取る必要がある!」

と熱心に説いてくるかもしれないし、

「いや、それは別にいいんじゃない?」

とあっさり答える人も多いと思う。


この問題を考えるにあたって、必要な論点のうち重要な2つをあげよう。

①戦争に直接参加した人はもうほぼいない点
②戦争に参加したのも今のわたしたちも同じ日本人という民族である点(国家として連続性がある点とも言える)

①の論点から見れば、謝罪すべき日本人はもはやいない。(ほぼ) 

しかし、②の論点からすれば、今後も謝罪し続けるべきだ、となりそうである。


正直、僕もこの問題について、答えを持ち合わせているわけではないが、僕なりの考えはある。し、それが現状の最適解なのではないかとも思う。


それは、この事実を忘れず、反省し、戦争で被害を受けた国々の人々と素敵な関係を築くことに全力を捧げることだ。


中国、台湾、韓国、北朝鮮、アメリカ、ベトナム、インド、タイ、カンボジア、ラオス、マレーシア、シンガポール、インドネシア、ミャンマー、オーストラリア、オランダ、ニュージーランド、イギリス、フランス…など。


力点をおきたいのは「忘れない」ということだ。


忘れないことと、責任を取ることは違う。


ご先祖様たちは加害者なのだと過剰に教育されてもいけないが、それを無視して都合のいい歴史だけに焦点を当てるべきでもない。


そのバランス感覚こそ、歴史学習の要なのではないだろうか。



僕が1000冊弱の本を参照してなんとか作った動画だ。興味を持った方は、1参考として視聴してみてほしい。

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