ここはコラムしかない場所、「コラム街」。 コラムコラムコラム……どこを見てもコラムしかありません。なぜでしょう? 企画力をみがく講座「企画でメシを食っていく」で、 受講生に出た課題は、ずばりコラムを書くこと。 サーフィン、日本語、旅、プロダクトデザイン、アニメについて…… 個性的なコラムがたくさん生まれました。 連載の第1回目だけを提出するという課題でしたが、「1つ書いただけじゃもったいない!」ということで、みんなでこの「街」をつくりました。 だから、ここにはコラムしかないのです。 コラムの良さは、サクッと読めること、連載の途中から読んでも大丈夫なこと。 ここにあるコラムはすべて800文字以内。どれから読んでも「読んで良かった」と思えるコラムがこの街にはあります。
and
ミラーワールドという世界が出来つつあることを最近知った。 ミラーワールドとは現実がデジタル化された鏡像世界のことらしい。 世界はどんどんデジタルと混じり合い、電脳コイルのような世界になるのだろうか? それはそれでワクワクする。 私は個人的にリアルの体験に価値観の比重を置いている。 しかし、今後ミラーワールドが現実になり、 現実(リアル)と仮想(ヴァーチャル)が混じりあっていることが自然な風景となった時、私たちにとってのリアルは今よりも多様で曖昧なものになるのかもしれない
最小の空間と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?マッチ箱の中、細胞の中、、解釈の仕方で捉え方は様々かもしれません。 しかし実際に私たちが現実で体験できる最小空間というと、 家、浴室、押入れの中など、実際に体感として体験できる空間の最小単位は限られてきます。 ましてや大人になり身体が大きくなってしまうと物理的にもその数は減ってくると思います。 空間デザインはそういった限定的な空間の中でも快適にまたは刺激的な体験を得る為の手段として世の中で活躍していると思います。 しかし
東京の雑居ビルの階段から、かすかにに見える富士山。 建物が今ほど多くなかった頃は、その姿はもっとはっきりと見えたかもしれない。 今も昔も存在する場所は変わらないのに同じ位置から見ている風景は確実に違う。 見ている位置や状況が変わるだけで同じものを見ているのに体験に違いがでてくる。 高いところに上ったり、低いところを覗き込んでみたり、 物理的な位置を変えてみるだけでも発見がある。 また、物理的だけではなく、 自分の心情などの内面の状態によっても見え方が変わってくる。 この
百葉箱を覚えているでしょうか? 百葉箱 気象観測のために設置する温度計などの観測機器を日射から遮蔽するとともに雨や雪から保護するための装置。 小学校の片隅にひっそりと佇んでいたあれです。 記憶の片隅にひっそりと、けれど確かにある百葉箱。 私は百葉箱を思い出した時、 当時の記憶や感情が連なって溢れ出てきました。 覚えている必要のないものだけど、 覚えているから思い出せる記憶や感情がある。 私にとって百葉箱は必要ではないけど、 時々、思い出したい記憶や感情の鍵なのです
道端に無造作に散っている落ち葉。 普段、気にとめられる事もなくただそこに落ちている。 そんな落ち葉の下にも世界が広がっているのではないだろうか。 落ち葉の下葉っぱが枝から落ちて地面に着くまでの間、 地面との距離は緩やかに素早く縮みながら葉っぱの下に広がる空間も形を変えていく。 落ち葉を覗き込むと落ち葉が創り出す空間の豊かさに感動する。 落ち葉一つ一つの形状が違う為、様々な建築を見ているような気分になる。 乾いた葉脈が建築を形作る構造物のように自身を支えているようにも見