死と希死念慮 (重い内容なので注意)

最近希死念慮がふつふつと湧いてくるのがやまない。

昨日はあんまりにも死にたくなって、でも本当に死にたいわけではなくて。
頭の中の蟲みたいなものにずっと侵されているような感じで、
ただ「死にたい」と浮かぶんだけど、死ぬのはこわくて仕方ないし死んで人を悲しませたくないしまだ死にたくないし、
それで夜中に近所の川に出かけて、少し川まで入れそうなところまで下りてみた。
そしたら不思議と死にたくなくなって、寒いなあと思いながら家まで帰った。


こうやって夜中に出かけて「まだ死にたくないなあ」と思って帰ってくるのは、何か見聞きしたなあと思えば、わたしの母親である。
わたしの母親も、精神を病んでいた。夜中に家を突然飛び出し、家族で探しに行くと近所のお地蔵さんの前で手を合わせていた、そんなことがあった。


どうしようもなく死にたくなった時、「死」の香りに触れることで、こんなものかあ。と思える。そんなことがあると気が付いた。

死にたいのは死への憧れがあるからで、極論死んでみたら死にたくなくなるんだと思う。
死にたくなる時は、死ぬことをおそれている。あるいは神格化しすぎている。
人はいつか死ぬし、いつでも死ぬかもしれないし、明日死ぬかも、3秒後に死ぬかもしれない。
死ぬなんて本当は大したことないし、いつでも死ねるし、いつでもそばにあるのが死であって、何も別の世界のものでもない。
死んだら塵に還るだけで、特別なことは何もない。
死はいつも私たちを覗いている。私たちが覗かなくたってそこにある。

いつでも死がそばにあるなら、今焦る必要はない。
自分の意志とは関係なく死にたいが出てくるなら、それを先延ばしにしないと生きていけない。
死に向かわせるその欲動を抑える手段は、死をそばに感じて、代理的に充足することであり、「まだ死ななくてもいいな」と思うことかもしれない。

死は忌むべきものとされているが、実際避けたって、見ないようにしたってあちらからやってくるものである。そして大抵の人にとっては考えられなくとも、死はあらゆる選択肢の中の一つであり、我々精神疾患者にとっては、自然な選択肢になってしまう。

「いつか死のう」を繰り返して、今日も生き延びる。

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