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自閉症はゲームを好む
僕は『WAIS-III(ウェイススリー)』という成人知能検査で発達障害だと診断された。その後に日常生活の維持が困難になって再診したら、双極性障害Ⅰ型と診断された。
発達障害の中にADHDとASD(自閉スペクトラム症)があり、ASDの中に自閉症がある。発達障害とひと括りにしているものの症状は様々で、僕はADHDが強いと言われたけどASDが強く出る人もいる。発達障害者なら濃淡があるだけで、普通はどちらの特性も持っている。
自閉症は人との関わりが苦手な反面、物や動物との関わりを楽しめる場合が多い。個人的な印象では自閉症は猫、ADHDは犬を飼う傾向にある。僕は犬を何匹か飼った過去がある。
自閉症者がメタ認知を苦手とするのは、「他者がいる」ということを感覚的には理解していても、その中にもう一人「自分と同じような人間がいる」ということが本質的には理解できないから。だから自分の考えを押し付けたり、相手の気持ちを考えなかったりする。
有名な「サリーとアンの実験」では、被験者が2人の様子を眺めていたとき、アンはサリーが席を離れた隙に、サリーの宝物を別の場所に隠してしまった。定型発達、すなわち普通の人は「サリーはアンの行いを知らない」と答える。当然だ。「アンの行いを私(観察者)は知っているが、サリーは知らない」と別人格を想定して答える。
ところが、自閉症者は「サリーはアンの行いを知っている」と考えてしまう傾向にある。なぜなら私が知ってしまっているから、サリーの考えを想定できない。
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「メタ認知」できるかどうかは、自分自身を客観的に見られるかどうかが重要だ。自閉症者がメタ認知できないのは、自分を第三者視点で見られないから。サリーとアンの実験のように、別人格の思考を想定することが困難なのだ。
誰しも自閉症者の振る舞いにイラっとしたことはあると思うが、それは自己中心的というより「他者の中に別人格を想定できない」障害の結果と見た方が良い。できないのだから仕方ない。障害だから治りもしない。
普段のパターンを崩された自閉症者が、癇癪を起こして大暴れすることがある。時間通りじゃないとか、いつもの服じゃないとか。人間ってのは得てして臨機応変に対応してパターンを崩しがちだ。だから自閉症者は人間よりも、機械的でパターン化された動物や物との関わりを好むようになる。
複雑怪奇な世の中や人間たちを前にした自閉症者にとって、状況を全面的にコントロールすることだけが唯一の対処方となる。自閉症者が規則を作りたがり、日課を頑なに変えようとしないのはそのためだろう。
故に自閉症者はゲームを好む。なぜならゲームは一貫してルールが守られるから。右を押したら右に行き、Bを押したら必ずジャンプする。全て自分の思い通りにいく。パターンは崩されない。
國光夫妻でいうとマヤさんがADHD、吟くんがASD(自閉症)の気質が強い。國光夫妻がゲームやっているのは偶然じゃなく、気質に基づいた既定路線とも言える。そしてまんまとゲームにハマり、パターンが崩されると不満を爆発させてるのは、実に自閉症者らしい振る舞いといえる。
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