澤瀉屋は3つの日舞のグループがひしめいている集団
市川猿之助と八代目・藤間勘十郎(日本舞踊・宗家藤間流宗家)が組んで歌舞伎の振付とか公演をやっているが、これって実はすごく複雑。
市川猿之助は市川猿翁(三代目・市川猿之助)の甥で、猿翁が女優の浜木綿子さんと離婚して一緒になったのが藤間紫。紫は六代目・藤間勘十郎と離婚して猿翁と結婚している。このとき六代目に引き取られた、藤間紫との長女・高子(こうこ・七代目藤間勘十郎・三代目藤間勘祖)の息子が八代目・藤間勘十郎。
もうこんがらがってきたが続ける。
藤間紫は勘十郎との離婚裁判の末に、宗家藤間流を離脱して自分の流派・紫派藤間流を創始している。猿翁自身も紫派藤間流二代目家元として二代目藤間紫を名乗っているから、猿翁の門人(澤瀉屋の面々)はみんなその紫派藤間流の日舞を習っている。
つまり、市川猿之助は澤瀉屋を引き継いでいながら、猿翁とそのパートナーが率いる紫派藤間流をないがしろにして、宗家藤間流と仲良くしてることになる。
ここで登場するのが猿翁と浜木綿子の子である香川照之(九代目・市川中車)の息子・市川團子。市川猿之助の代役を努めて喝采を浴びた人物。
市川團子はなぜか日舞を宗家藤間流でも紫派藤間流でもない、市川流の市川翠扇(市川團十郎の妹)に習っている。宗家と傍流の争いに巻き込まれたくなかったのだろうか。
もちろん市川團十郎も澤瀉屋とは浅からぬ縁で、独立しつつも未だに「市川團十郎=市川宗家」に対して「市川猿之助=弟子筋」という家格がある。澤瀉屋を離れた市川右團次(香川照之との確執とも言われている)を、團十郎が取り立てたりもしている(80年空白だった名跡・右團次の襲名)。
話が逸れた。
ダラダラと書いて言いたかったのは、現在の澤瀉屋は3つの日舞のグループがひしめいている集団ってこと。
【澤瀉屋の日舞グループ】
猿翁と門人たち(紫派藤間流)
市川猿之助のグループ(宗家藤間流)
市川團子(市川流)
もちろん金も絡んでくる。
ここで歌舞伎に絡んでいる『株式会社おもだか』と『株式会社キノシ・オフィス』という2つの会社が俎上に載る。
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