反知性の時代③~「知性」の危機

 前回の続きです。

第三章

 現在、人工知能は驚異的な速度で進化している。シンギュラリティが起こる正確な時期は誰も予期することができないが、チャット型AIやイラスト生成AIの登場で、AIが人間の仕事を奪うという可能性が急に現実味を帯びたように思う。
 AIが人間の仕事を奪うというそれ自体は問題ではない。AIが雇用を奪うということは経営者目線ではコストが減ることを意味している。経営者にとってはコスト削減につながる上、社会全体の富はAIの導入によって増える。したがって、資源が適切に配分されるなら、深刻な問題は生じないと考えられる。(資源の配分が適切に為されなければ、資本家階級と労働者階級の間の格差や国家間の格差が今以上に広がる恐れがあるが、本論考ではそれについては触れない。)
 個人の視点から観ても、現在のサラリーマンが雇止めになったとして、今の日本には働き先が山ほどある。人手不足の介護業界、教育業界、飲食業、宿泊業、農業などが機械によって代替されるまでは、失業したとしても再就職先が見つからないということはないだろう。社会全体で見た時の富は増加するから、転職によって収入が下がった人々に対して政府が補填を提供すれば、少なくとも深刻な貧困に陥ることは避けることができる。
 では何が問題なのか。AI知性の象徴たるデスクワークを奪われることで、自分のアイデンティティを喪失してしまうことこそが問題なのである。
 
 現代人の多くは、優れた成績を収めて、良い学校に進学し、良い会社でサラリーマンとして働くことが「良い人生」であるという社会的な圧力を受けて育ってきている。このように、頭脳活動が肉体活動よりも優位にあるという観念を集団で抱いているという状態は、個人としてのアイデンティティを知性に依存している状態だと考えられる。
 しかしAI時代では、これまでのように知性にアイデンティティを丸投げするわけにはいかない。自己のアイデンティティを人間の知性的な部分に限定していると、AIに仕事を奪われることによってアイデンティティをも失ってしまう。人間が肉体労働に回帰した世界では、必要なのは知性ではなく盲信である。そして盲信の対象は自分自身の身体性である。
 
 すなわち、知性的でなくとも自分は身体性によって幸福になれるという盲信が、これからの時代に重要になる。人間のアイデンティティは知性だけにあるのではなく、身体という自分そのものがアイデンティティであるということを意識的に認識する必要がある。

 ただし、これからの時代には知性が必要ないという風に曲解してはいけない。むしろ、AI時代には社会がより複雑化し、今よりも情報に溢れ、個人としての選択肢も増えることが予想されるから、自分の人生を豊かにするために正確な知識や思考能力は不可欠である。
また、現代では身体性を発揮するのにも知性が必要になっている。脳を刺激してくれる情報が途切れることなく発信され続ける情報化社会では、情報から目を反らして現在の自分や世界を感じるために、身体性という概念を意識的に捉えていなければならない。この矛盾は、余暇がこれまで以上に拡大し、その余暇をスマートフォンという情報媒体で手軽に埋めることができる現代特有の問題である。
 
「反知性」とは知識や思考に意味を為さなくなるということではない。「知性的なるもの」に対する盲信から抜け出し、身体的に、感覚的に世界と対峙する方法を身に付けることで、より幸福な人生を送ることができるのではないかという問題提起である。いずれ訪れるであろうAI時代には、人間の知性の価値そのものが問いただされるかもしれない。その際に人間の存在価値は知性だけではないと言える根拠となるのが身体性である。

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