戦うこと、わからない、わからない。
〝守るため〟の攻撃と
〝傷つけるため〟の攻撃と…
何がどう、違うんだろう。
攻撃は攻撃じゃないか。
結果として相手を傷つけるのであれば
反撃だって攻撃じゃないか。
どちらも立派な〝攻撃〟だ。
そんなことを強く思っていることに、
気が付いた土曜の午後。
まさに私は、
攻撃を受け止めている真っ最中。
私にしてみれば、理不尽な攻撃を受けている。
とにかく、相手をしていない。
攻撃を返さずにこちらのターンで終わらせる…と、歯を食いしばっている。
夜な夜な食いしばってることもあるので夫からは騒音の苦情がくることがたまにある。
だけど相手はなかなか終わらせてくれない。
「まだまだこちら側の攻撃の番なんですね」と言わんばかり。
攻撃する側に、とにかく容赦がない。
私が応戦しないもんだから、虚無相手にパンチを繰り出している、そんな感じだ。
さみしいんだろう。
かなしいんだろう。
叫びなんだろう。
そろそろ疲れてきただろう。
応戦こそしないが、もちろんバシバシ攻撃されるのでこちら側の私は確実にジリジリとHPを削られている。
たまに友達が唱えてくれるホイミ(orレイズ)により、HPが回復する。ありがたい。
スカラ(防御力あげる魔法)もよろしく。
ただ、本人がずっと「耐える」コマンドを選択していることにより、今めちゃくちゃに攻撃力があがっている可能性がある。
堪忍袋の尾が切れた瞬間、クリティカルヒット、会心の一撃を繰り出してしまいそうだ。
怒りのゲージが溜まる一方です。
こないだTwitterで
攻撃は未来の自分を守ることにもつながる
というような意図だったような言葉を見つけた。(要するにあやふや)
私が避けてきた戦い。
強烈パンチ喰らわして「この人強い、本気になったら何されるか分からない」って思わせた方がすぐに終わらせられるのかもしれない、と思った。
でも、反撃したとしたらもうそれは私の中で、攻撃なんだよなぁ、と思う。
進撃の巨人みたいに終わらない戦いになるような。
多分大切な人が傷つけられた時はきっと即反撃する。
進撃の巨人のエレンも、鬼滅の刃の炭治郎も、大切な人を傷つけられた怒りから戦いを決意するし。
要するに私、自分のことあんまり大切にできてないのかな?
〝自分〟を傷つけられたんだから、戦ってもいいのかな?
わからない、わからない。
人の心の炎は本当に消えない。
くすぶるものだから、わからないわからない。
そのせいかな、最近青色が好きになったよ。
おしまい