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通天閣の下の赤ちゃん  第七話

 「それがどないした。なんじゃい」とヒロシは口答えした。

 「狸やないの、大狸が化けたのよ。この病院が建つ前からの主だった狸がご不浄に住んでるのよ」

 すっかり衰弱してしまったユキノには怖がる気力も残っていないのか、キョトンとした目が虚ろである。

 突然ヒロシの鬱憤が爆発した。「お前は阿呆か、何を言うとんね。ええかげんにせえ」と言うなり、手に持つ尿瓶を看護婦目がけて投げつけた。ガチャンと硝子が割れるとともにユキノの小便が床一面に四散した。

 「キエッ」と鶏が潰されるような悲鳴をあげて看護婦が逃げ去った。

 ヒロシが振りかえると、ベッドに寝たままのユキノが微かに目元を微笑ましている。そして「オニイチャン、ありがとう」と小声でつぶやいた。

 その翌日、家人が呼び出され、ヒロシだけが全治しましたと退院させられてしまった。

一週間してユキノは遺骨で小さな箱に入って帰ってきた。一人ぼっちで死んでしまったのだ。葬式がすんで日が経っても、悲しみと怒りがヒロシの心に溜まり、どうしようもなく溢れだした。

 なんで赤痢になってしまったのだ。どうして一人きりにしてしまったのだ。後悔ばかりが込み上げててきた。アイスキャンデーなんか買いに行かなければよかった。食べさせなければよかった。看護婦に逆らわなければよかった。尿瓶を投げつけなければよかった。繰り返し何回も思い返したが、それは何の役にも立たない繰り言だった。

 ユキノは死んでしまった。殺したのはワテや。「オニイチャン団子みたいやねぇ」という言葉がガンガンと響いて、木霊のように聞こえてくる。あんなに仲良しだったのに、あの可愛いユキノをよう助けてやれなかった。それどころか殺したのはワテやないか。この固定観念から離れられなくなってしまった。

 ユキノが死んでしまってから、ヒロシは人が変わってしまった。

 「ワテみたいなもん、いつ死んでもええねん」とぬかしよる。

 赤ちゃんとは可愛い代名詞ではなく、ゴネル・ベイビーという意味に変わってしまった。

 ゴネンボ赤ちゃんがゴネたのは散髪に行ったと時の傷害事件だった。散髪屋のオヤジさんが、言わずもがなの一言「あんたが赤痢の子か、弟さんはペンギン堂のアイスキャンデー食べて亡くなったんやてねえ、ほんまに殺生やねえ……」 

 喋り声が終わらない間に、ヒロシはオヤジの剃刀を取りあげて切りつけた。「不意打ちでっせ。まさか子供がいきなり切ってくるなんて考えられまへんが、わけがわからん。コワイ子でっせ」と大騒ぎになった。頬に一筋、血の滲む主人は興奮さめやらず、首根っこを押さえ、腕を捩じり、暴れるヒロシを連れて木野薬局の家人に引き渡した。「もし瞳や喉笛を切られていたらどないしまんね。子供やいうても承知しまへんで。警察へつきだしまっせ。ちっとおたくも気いつけてくれはらへんと困りまんが、そうでしゃろ」とえらい剣幕である。父親は平謝りに謝り、お見舞い金を紙に包んで、やっと引き取ってもらった。

 ヒロシは直ぐに、父親の里である茨木村郡山のコビラオの住職に預けられ、一ヵ月間寺で謹慎をさせられた。だが反省も修行もしなかった。

 ゴネルゴンタの赤ちゃんはもう手のつけられない反抗者になってしまっていた。ひたすら運命に盲目的な反抗をしないと、ユキノの居ない日常にはとても堪えられなかった。子供らしいかわいらしさなど最早どこにもなかった。初めの二、三日は寺の小坊主と裏山の茸狩りを手伝って椎茸、しめじ、名が不明の食用茸を取り、雑炊をつくったり、木魚を叩いたりしてみたが、つまらなかった。供養のために経典を読経すればよいのだろうが、そんな年でもないし勝手が解らない。ただ一瞬だけ仏像の前で手を合わせてみたがそれだけだった。和尚と小坊主が読経を始めても一緒に座らず、庭さきから外出して近辺を一人で無闇に歩き回るだけだった。

第七話終わり  続く

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