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「広告代理店的」知性の復権 その1

絶望の30代前半広告代理店マンに、希望の光は射すのか。

「30代前半広告代理店勤務」というゆるやかな絶望

 「広告代理店」という肩書きが「イケてなく」響くようになり始めたのは、いったい何時頃からなのだろう?ここ数年のことなのかもしれないし、僕が入社した10年ほど前にはすでに始まっていたのかもしれない。

 いずれにせよ、「ふつうの」企業になりつつある広告代理店で働きながら、僕は今、圧倒的な「ゆるやかな絶望感」を抱いている。日常を面白いと感じることができない。新しいことを始める気力が起きない。ゆっくりと死んでいくような感覚を味わいながら、ため息をついて1日の仕事を終える。そんな日がここ何ヶ月も続いている。

 もちろん、仕事は沢山あるし、その中にはやりがいのあるものもある。かといって忙しすぎて残業続きというわけでもなく、身体的には今のところ健康だ。自分の仕事が全然評価されていない、ということもないし、むしろ評価されている方だとも思う。仕事の成果が世の中にどんな意味をなすのかと、無力感を味わっているわけでもない。それなりにインパクトのある仕事をしているのだ。職場の人間関係は最高によいとまでは言わないが、大きな問題もない。

 じゃあいいじゃないか、と言われそうなものだ。でも、だからこそ「ゆるやかな」絶望感なのだ。現状に不満はない。それでも、決定的に重要な「何か」が失われていっている感覚がある。今までの自分が信じて、拠り所にしてきた大事な「何か」が、ゆっくりと自分から失われていってしまっていく感覚。その喪失の速度は、忙しい日常の時間の流れ方と比べれば、ほんとうにゆっくりなもので、つい最近まで僕はそれに気付いていなかった。多分、喪失が起こり始めてから、僕がそれに意識的になりこの記事を書き始めるまでにもう2年以上は経っていると思う。

悩める広告代理店の若者たちへ

 このnoteは、広告代理店に勤務する30代の中堅社員の手記だ。同じような(総合系の)広告代理店や近しい企業で働く若い人たちのために書いている。自分の感じている感覚を正直に吐露して、その上で考えたことを、暫定的な仮説としてみんなに共有したい。読んだ人が自分のキャリアや生き方を考えたり、議論したり、行動したりするきっかけになってくれればいいと思う。一応、最終的にはポジティブなことを語りたいと思っている。複数回の投稿になると思うが、最後の方まで読んでもらいたい。

広告業界に「磁場」が発生していたあの頃

 僕が広告代理店に新卒で入社した2010年代の始め頃は、広告業界はまだ「磁場」のようなものを発生させていたと思う。CMやグラフィックで使われている楽曲やタレントには流行を作るような影響力が今よりもあったし、テレビや新聞、雑誌、ラジオなどでは、メディアごとの個性を活かした面白い企画が行われ、それぞれのメディアの文化を支えていた。そういったこともあって、僕には広告業界は「なんだかよくわからないけど面白い事が起こる可能性がある場所」として見えていたし、だからこそ広告代理店に入社をした。

 インターネット広告が拡大し始めてから暫くも、その磁場は継続していた。インターネット広告がこれから世の中を変えるんだ、といったワクワク感をみんな共有していた。いろんな人が入り乱れていろんな事に挑戦していた。当時のGoogleやYahoo!といった大手のインターネットメディアのカンファレンスは、大きなホテルで行われていたのだが、そこに足を運ぶだけで少し気分が高揚するようなところがあった。見たこともないような新しい広告プロダクトが発表され、それをきっかけに今までにあった事もない魅力的な人と楽しく仕事ができる、そんな予感があった。

あなたが間に挟まる理由は何?

 だが、2010年代の後半くらいから、そんな磁場は失われていった。理由は至極簡単で、主に広告市場でのインターネット広告のシェアが上がり、そのインターネット広告の大部分をGoogleやFacebookやYahoo!といったプラットフォーマーの広告が占めるようになったからだ。もちろんそれだけが理由ではないと思うが、間違いなく、これが主な理由だ。

 プラットフォーマーの広告は管理画面が一般に解放されており、ほぼ無限にあるインターネット広告在庫を誰でも購入し、運用することができる。広告主自身がそれを行うこともできるし、媒体社自身がそれをやって広告主から直接お金をもらうこともできる。「インハウス化」、「パブリッシャートレーディングデスク」というやつだ。広告代理店の若手たちは、「あなたが間に挟まる理由は何?」という無言のプレッシャーの中、日々の運用業務に忙殺されていく。電通の高橋まつりさんの事件が起こったのも、ちょうどこの頃だ。

どうしてまだ大企業で働いているの?

 時を同じくして、僕たちの働き方は大きく変化していく。スタートアップへの投資が順調に増加し、起業する人が増えた。転職もそれまでよりもハードルが低いものになっていった。フリーランスでやっていく人もちらほら見かけるようになった。「中/大企業で働く」人にとって、「中/大企業で働く」ことは一つの選択肢でしかなくなり、それ以外の様々な選択肢が取れるようになってきていた。

 転職する同僚が激増していった。プラットフォーマーへ。コンサルへ。スタートアップへ。もちろん起業する人も結構いた。「今、ここに残ることの方がリスク」そんな言葉を残して去っていった仲間もいた。彼は今、楽しく仕事をしているだろうか。

希望の光は、分子生命学から射してくる

 もしかしたら、磁場をなくした業界で、まだ企業にしがみついている自分は、もう、ほぼ「手遅れ」なんじゃないか。そんな思いが頭をよぎる。このまま、どこにもいくこともできずに、いろんな意味で「終わって」しまうのではないかと、嫌でも考えてしまう。それならせめて、手遅れでもいいから、他の業界に転職でもしてみようか、そんな風に考えることもある。

 でも、ふと考え直す。僕はまだ、広告代理店でしか得られない力の本質を、意識的に言葉にできていないのではないか。自分が魅力に感じ、そしてこの10年ほどの間に多少なりとも自分に刻み込まれた「広告代理店的」な知性とでも言うべきものを、掴み切れていないのではないか。

 どうせこの業界を離れるなら、そんな「広告代理店的」知性とは何なのかを考え抜いてから、そうしたい。「広告代理店的」知性を自分の中に大切に持ちながら、業界を離れて行きたい。そして可能なのであれば、「広告代理店的」知性の価値を、新しい環境で証明したい。広告業界は衰退するかもしれないが、「広告代理店的」知性は他の業界で生き続け、そして復権する。そんな未来を描けるなら、描きたい。そう思う。それが、広告代理店という仕事に惹かれた自分にちゃんと向き合うということだと思うからだ。

 幸い、僕自身が「広告代理店的」知性について考えるあたってのヒントは、朧げにだが見つかっている。それは、広告業界の中の事例や知見ではない。希望の光は、今まで話してきたところとはまったくの別のところから射している。別のところとは、分子生物学についての一冊の本だ。

 次回は、分子生命学についての有名な一冊の本について語ることから始めて、「広告代理店的」知性について考える記事を書きたいと思う。

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