絹の始まり 神様からの賜り物
古事記や日本書紀の神話の中に、「神様の体から蚕が生じたと蚕の起源についての記述があります。
古事記には、高天原を追放された須佐之男命が食物神である大気都比売神に食物を求めた。大気都比売は鼻や口、尻から様々な食材を取り出して調理して須佐之男命に差し上げた。しかし、その様子を覗き見た須佐之男命は食物を汚して差し出したと思って、大気都比売を殺してしまった。すると大気都比売の屍体の頭に蚕、目に稲、耳に粟、鼻に小豆、陰部に麦、尻に大豆が生じたというのです。
日本書紀にもよく似た話が記載されています。
このように太古の時代から五穀と同じように蚕は人々の生活の中に大切にされ、なくてはならないものでもあったのです。
日本では神様からの賜りものという起源の蚕ですが、中国では少し違うようです。
紀元前3000年、今から5000年前、中国の祖と崇められる黄帝の妃がやま繭を誤ってお茶の湯に落としてしまい、これを箸で拾い上げようとしているうちに純白の糸を見つけました。これが「絹の誕生」といわれています。
その後、中国からシルクロードを通り、西域を経てローマ帝国へと流れ出したのです。
古代から中世に至るまで、養蚕は中国の独占技術で製品となったもの以外のものを国外に持ち出すことは固く禁じられていたそうです。
そのため、中国からはるばるシルクロードを通って、西アジアやヨーロッパにもたらされた絹は、同じ重さの金か、それ以上の価格で取引されていたといわれています。
絹は高貴な人々の中でも特に貴重なものとされていたのですね。
その後、養蚕技法も中央アジア・インド・ローマ・ヨーロッパへと広まっていったのです。
クレオパトラ、楊貴妃も愛したといわれる絹。
これほど長い歴史の中で世界中で愛され続けた絹の魅力は計り知れないと感じます。
(参考文献)「絹の魅力」 金澤昭三郎 川村一男
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