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壮大な無駄

小柴昌俊先生が、ご逝去された。

彼の代名詞、「カミオカンデ」について、少し書いてみたい。

振動や、ノイズの少ない、山間僻地の、硬い岩盤の地層の中をくり抜いて、くり抜いた空間に向けて、たくさんのセンサーを配置する。その数、スーパーカミオカンデで11,200本。

たくさん配置する理由。ニュートリノと水との反応で生じる輻射、チェレンコフ光は、微弱であることから、多くのセンサーを使うことで感度を上げる、センサーの故障等によって検知できない事故を回避する、輻射の指向性によって検知できないという事象を避ける。

くり抜いた空間には、超純水を満たす。ニュートリノの進行を妨げない、余計な反応をさせない。

さて、チェレンコフ光の検出に使うセンサは、光電子増倍管(Photo Multiplier)と呼ばれるものだが、僕などが買おうとすると、1本数百万円もする。それが1万本。

満たされている超純水は、非常に高価な水で、僕などが買おうとすると、たぶん1リットル1万円くらい。それが、スーパーカミオカンデの容積5万立方メートルに満たされている。

いろいろ値引きはあるだろうし、国家プロジェクトなので全体的に安くなっているとは思うが、それにしても、途方もない金がかかっている。

こういうことを考えると、小柴昌俊先生の名言が、より一層際立つだろう。


   「何の役にも立ちません。」


記者が「あなたの研究は何の役に立つのでしょうか?」と質問したときの答えだ。

途方もない金をかけて、何の役にも立たない。それは、壮大な無駄と言っていい。

でも、だけれど、そうはいうものの、である。

「壮大な無駄」は、スピリットたちのアシストなくしては、実行不可能なのだ。

カミオカンデ事業は、スピリットたちの、強力なアシストがあってこそ実現している。

ということは、である。

現在において「壮大な無駄」でも、そのうち、必ず役に立つ時が来る。

間違いなく、到来する。

断言して、予言して、言い切ることができる。

僕にだって、少々の透視や予知はできる。

さて、読者の皆さんにとって、少しは面白いかもしれない話は、ここまで。

ここからは、僕の話。

「無駄」を、少し始めてみようと思う。

僕のこれまでの人生は、無駄との戦いだった。

会社の中で、与えられた予算をまるっきり使わなかったことは以前に書いた。

ほかにも、たとえば、請負発注の場面で、請負業者と交渉して、請負額を当初予算額の35%減で契約したことがあった。僕は、成果を上げた、と思ったが、ちゃんと予算額で契約しろ、と言われて、それ以降、値引き交渉はご法度になった。

QCをはじめとする業務改善活動を通じて、コストカットを強く意識していたこともあった。

時々、無駄遣いもしたけれど、日常的、基本的には、ケチ、吝嗇家である。

会社、法人は、コストがかかることを知っているので、自分では決して、会社、法人を起こそうとはしなかった。

衣服だって、何十年も着る。この間、40年間着続けたパジャマを1枚捨てた。

今年、レンダリング専用マシンを買ったが、こういった、10万円20万円の買い物をするときは、半年くらい悩んで、購入画面に進んだところで、ボタンを押すのに一週間くらい考える。

アホである。

でも、これからは、「無駄遣い」をしてみようと思う。

無駄遣いの場面でも、これまで永年培った、効率化、省コスト化のノウハウやテクニックは、必ず活きる。

「無駄遣い」しようとしても、元手がなければできないし、借金しようにも事業化の見込みがなければ貸してもくれない。

でも、スピリットが強力に協力してくれる「無駄遣い」は、必ずできる。

斎藤一人さんがいう「簡単なことを楽しくもっともっと」にピタリと当てはまるのは、「無駄遣い」である。

「無駄遣い」しようとしても、単なる浪費では、胸が痛んで楽しくない。

楽しい「無駄遣い」をしよう。

これが、今日の、僕の、「変化した心境」だ。

https://bukkyo-seikatsu.jp/hougo/1139/


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