売らないという選択 岡本よりたかさんのメッセージ
岡本よりたか
「売らないという選択」
あの頃の僕に教えてあげたいことがある。
あの時、46歳を過ぎた頃に選んだ道のその後のこと。あの選択が正しかったのか、過ちだったのか。
お金が無くなって、本当に1円も無くなって、自死に至りそうになったあの時。
野菜はとにかく売れなかった。味もいまいちだったし、色も形も悪かった。きっと僕の野菜は何も訴えてこなかったのだろう。
悩みに悩んだ結果、僕は一つの決断をした。
売れないなら、売るのをやめよう。売ろうとするから苦しむ。
僕の暮らしは何ひとつ解決したわけじゃなかったけど、ただ、気持ちだけは安らいだ。
人が生きるために必要なものは、光、水、空気、そして食べもの。
太陽光を浴びるのにお金はかからない。喉が渇きせせらぎの水を飲んでも、息をしてもお金はかからない。
だけど食べ物だけはお金がかかる。
食べものを作るということは、本来なら貨幣経済と切り離して考えるべきだと、その時、ふっと思ったのである。
生きていくために必要なのだから。
そして、自分のためだけに食べものを作ろうと決心したわけである。
それが自給農。
それでも、野菜や穀物は余る。余ったものは加工して欲しい人に無償でもらってもらう。
トマトソースを作り、ジンジャーシロップを作り、干し野菜、漬物、何でも作り、そして喜ばれた。
喜んだ人は、僕にお礼をくれた。替りの加工品だったり、もちろんお金を払いたいと言って現金を渡してくれた。
不思議なものだ。そうこうしているうちに、野菜を売っていた時よりも多くの現金を手にすることができるようになった。
そして気づいたのである。
お金を稼ぐために野菜を作る。これはお金主体である。しかし、お金には実体がない。
本来、物物交換という行為があり、その交換のためにお金が使われてきた。この場合の主体は自分が生み出した、実体のある"物"。
つまり、主従が逆転していたわけである。
物物交換をしていた人が、僕の野菜を色んな人に紹介してくれ、自分も交換したいと言われ始めた。
でも、交換するものが難しいから、お金でもいいかと訊ねられる(笑)。
結局、僕の野菜は宅配野菜として売れ始めた。地元で野菜を並べても売れなかったけど、僕の野菜を求めてくれる人が増えていった。
もちろん、前に投稿した化学物質過敏症の方を筆頭に、野菜は車に乗せられて全国に広がっていったのである。
お金に執着してはいけない。
お金に執着しながら稼ごうと思うなら、自分に嘘をつき、他人に嘘をつかないと無理なように思う。
しかし、お金に執着せず、自分に正直になり、他人に正直になり、そして自分の使命に正直になれば、不思議と暮らしは楽になる。
あの頃の僕に言いたいのは、あの時の選択が、今の僕の活動の軸になっているということ。
自分のために栽培し、調味料を自給する暮らし。
その暮らしを、今、多くの人に伝えることができるようになったよと。
さて、郡上八幡の米糀から作る味噌作りワークショップの三日間が終了した。
まだまだ、全国で開催するので、よかったら来てくださいね。全国的な開催のリストは以下。