龍馬忌
お察しの通り、僕は文系人間である。だから、という気もないのだが、数字を不得手としている。 言葉とか文字を頭の中で組み立てるのは自然にすぐできるのに、数字をイメージするのには時間がかかる。現場で働いているうちは数字の動きを意識せずに居られたのだが、管理をするようになって 収支をはじめとする、実際に生きて動く数字をどう自分のものとするかについては大きな課題となっている。
福祉介護現場に機械アレルギーがあるという話は以前したが、同様に存在するのが数字アレル ギーである。「数字(売上)だけを求めていては介護が出来ない(介護にならない)」「数字に出来ないこともたくさんある(数値化できない)」という論が横行していた。20年前に介護保険制度が始ま って市場原理が介護に導入され、民間企業が参入してきたことにより、慌てて“コスト意識”が叫ば れるようになったが、頭では理解しつつも性根のところでは<反>コストの意識が根深く存在してい る。「親方日の丸」ですべての収入が担われており、僕らの給与も高い水準を保っているのなら数字 なんて見なくてただただケアの質の向上にのみ邁進すれば良いかもしれない。でも、現状はそうなっていない。無駄な支出を減らし、少しでも多くの利益を上げて分配する、未来につなげていくことが必要である。
100 年以上前に、「武士は食わねど高楊枝」の武家社会にコスト意識を持ち込んだ輩が居る。ご存知、幕末土佐の脱藩浪士・坂本龍馬その人である。彼の歴史上最大の功績は薩長連合の締結とされるが、犬猿の仲どころではないほど憎み合う関係であった薩摩と長州を何で結びつけたか。 それは「利」。今でいうところの利益である。コメの不作で困窮していた薩摩藩と、幕府から朝敵の烙印を押されて武器の購入がままならなかった長州藩。それぞれの困っていた部分を龍馬率いる海援隊の仲介で補い合うという提案に、両藩は乗った。そこを元に同盟関係を結び、その後の明治維新に繋がっていくのである。徳川幕府による政治を終了させ、新しい世の中をつくるという大義は共通していたものの、そのお題目だけでは手を結べない。しかし、それぞれの藩にとって利益があるという文脈であれば、憎しみも傍らに置いて協力することができたのである。この、武士らしからぬ発想は彼の成育歴にも関係するところなのだが、長くなるので割愛する。
話を現代の介護に戻そう。僕たち介護に関わる者の「利」は何だろうか。言うまでもなく、給料が増えることである。ちゃんと仕事をし続けることが出来ることである。そのためには事業所・施設が確かな利益を上げ続けねばならない。増やしてもいかねばならないであろう。業界団体から介護報酬の増額を国に求めていきながら、一方で各法人は介護報酬のみに頼らない収入について取り組んでいかねばならない。そして、現場に居る僕たち自身が、一日一日そのときそのときの活動にどれだけ費用がかかって、どれだけの収入を得ているのかを意識しておけるかどうか。対価が発生している 以上、その多い少ないをだけ言うのではなく、まずそこに応え得る仕事を全うできる自分でありたい。
11月15日は、坂本龍馬の誕生日であり命日(旧暦)である。激動の時代を東奔西走して駆け抜 けた彼への憧れの気持ちを抱きながら、僕は仲間と共に介護の「利」を求めていく。
日本の介護を今一度せんたくいたし申候。