『ラグビー憲章』介護訳(3) <結束(solidarity)>

チームで争い闘うスポーツは多いが、ラグビーもその一つである。15人がそれぞれのポジションで与えられた役割を全うすることにより勝利に近づくことができる。屈強な身体を持つ選手が多いのだが、背の高い人、足の速い人、キックの上手い人、当たりの強い人…それぞれの特長を活かした活躍の場が存在する。それらをまとめた結束力が試合の場で問われ、他から頭一つ抜きんでた“エースで4番”のワンマンプレーだけでは勝ちにくい競技であるとも言える。


 どの組織でも組織力を上げることは課題とされている。1+1=2ではなく、3にも10にもできるようなチームを築きたいとは誰もが願うところである。そして介護に関して言えば、チームワークが重要な要素であることに疑う余地はない。何故なら、介護は一人で決してできないからである。介護職だけでなく多職種との連携が不可欠だし、介護職も休みが有るわけだから一日の中でも複数人が一人の利用者に関わることになる。


 そこで重要になるのが、どんな支援をしていくか、の方向性である。それぞれがそれぞれの思うところで援助していたのでは、利用者の混乱を招いてしまう。ラグビーを含むチームスポーツには戦術の浸透が不可欠であるように、介護のチームにおいて方向性を定めていくのはケアプランである。利用者のアセスメントを行い、現状から考えて望ましい暮らしの形は如何なるものか。何を補わねばならないのか。それを文言に示したものがケアプランといえる。そこからベクトル合わせをしてチーム全員がリアルタイムの情報を共有し、統一した介護を提供する。ケアプランをつくる役割を担うケアマネジャーは、いわば指揮者であり、上手くタクトを振れるかどうかがケアの質を左右すると言っても過言ではないと思う。


 よきチームは、進むべき方向を一致し共有していることが第一条件であるが、僕がもう一つ条件を付けるとすれば「仲良くないこと」を挙げてみたい。決してケンカしろということではない。同僚あるいは上司部下として適度な緊張感のある関係性を保つことがチームにとって重要と考える。正確には「仲良過ぎないこと」というべきか。職場で生涯の友人や伴侶に出会うことはままあることで、互いに親しくすることが悪いというのではなく、職場の人間関係を超えての親密さが時には弊害を生む可能性を持つことを意識して行動せねばならない。


 例えると、ある介護サービス事業所は職員同士が大変仲の良いことで有名だったとする。職員たちはプライベートでもよく飲みに行ったり遊びに行ったりして、中には家族ぐるみの付き合いなんて人もいた。あるとき、その事業所で接遇に関してのクレームが家族から入った。何人かの職員に言葉遣いの難あり、それは以前から皆が認識しているところであった。家族からのクレームを受けて、主任は会議の場で「お互いに気を付けましょう」と呼びかけたが、改善が見られないまま時が流れていった…


 人間の心理として、親しき者への苦言は言いにくいものである。相手との関係がこじれることを無意識に回避しようとする。しかし、職場のチームは仲間の集合体であるが、言ってみれば仕事での結びつき。「家族的」であるかもしれないが、家族ではない。そのチームの目的は利用者(ユーザー)に最高のサービスを届けることであり、職員同士が仲良く一日を終えることではない。仕事を楽しくすることは必要であるが、互いを仲間としてリスペクトした上での議論はもっとすべきではないだろうか。あまり日常的にピリピリしているのもどうかと思うけれど、意見を言い合い、受け止め合える関係づくりが大切である。一方通行ではなく、互いに認め合うこと。そこからもう一段上げる努力を皆でできること。おそらく、その次元に達することが出来れば、サービスの質は飛躍的に向上する。


 介護に絶対的正解はない。だから各々が感じているところをぶつけ合いながら着地点を探し続けていかねばならないのである。


 今回は、僕自身がこれまで出来ていなかったことへの反省から、自分自身の課題として書かせていただいた。

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