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ホテルオークラ東京 ラ・ベル・エポック(閉店)「客を値踏みしないサービス」

ホテルオークラに行くときは、いつも地下鉄の溜池山王駅か、神谷町駅から、徒歩で行く。
昨年の訪問時はタクシーで行った。赤坂でタクシーに乗ったので、わずかワンメーターだったが。
しかしタクシーで行かなくては、分からない景色があった。
タクシーの自動ドアが空いた刹那、にこやかな笑顔のドアマンがやってくる。

「お泊まりですか?」
「食事です」
「かしこまりました」

トランクが開くと、笑顔のベルボーイが荷物を受け取る。ベルボーイに即されるまま、クロークに荷物を預け番号札を受け取る。

札を受け取ると、にこやかなコンシェルジュがやって来る。

「お食事はどちらで取られますか?」
「ベル・エポックです」
「かしこまりました。突き当たりのエレベーターで12階です」

即されるままエレベーターに乗り込む。ここまでの数分、流れるような連携プレイだった。
あまりに見事な連携プレイ。自分が映画かドラマの書き割りの中の登場人物のように、現実感を感じないのだ。これほどのサービスは、僕はホテルオークラでしか味わったことがない。

朝食を取る前から、ドキドキ。
エレベーターを12階で降り、レストランへ向かうと、ウィリアム・モリス調の壁紙に迎えられた。ホテルオークラといえば和の雰囲気だが、別館12階はイギリス調だった。
同じフロアの宴会場の名称も「ケンジントンテラス」「メイフェア」「チェルシー」と、イギリス的。ヴィクトリア朝の趣のインテリアとのことだ。

「ラ・ベル・エポック」
かつてはアール・ヌーヴォー調のインテリアを誇っていた、ホテルオークラのメインダイニングだ。しかし本館立て直し中のため移転。現在はかつてのワインバーである「バロンオークラ」を居抜きで利用。インテリアはワインカーヴの趣だが、大きな窓から陽光が降り注ぎ、閉塞感はない。(2019年の本館新築に伴い閉店)

先客の多くは一人客。
ツイードジャケットに白のボタンダウンシャツ、グレーのフラノパンツの白髪の紳士が、日経新聞を読みながら、独りコーヒーカップを傾ける。
紺のワンピースを着た白髪の淑女が独り、エッグベネディクトを口に運ぶ。

ホテルオークラの常客だろう彼女/彼らは、物言わずとも背中から品格が滲み出ていた。

燕尾服のサービスパーソンに即され、テーブルに着く。
フレンチトーストとコーヒーを注文。
フレンチトーストは、歴代のアメリカ大統領をはじめ、世界中の要人たちが舌鼓を打ったホテルオークラのスペシャリテである。

燕尾服のサービスパーソンが、コーヒーを注ぐ度、皿を持ってくる度、にこやかな笑顔で、自然に話しかけてくれる。
自分が朝食を食べにきただけの一見客であることを、思わず忘れそうになった。

お待ちかねのフレンチトースト。
そりゃ旨いに決まっている。エントランスからの最高のサービスを味わい尽くし、身も心も蕩けているのだから。
もちろん、フレンチトースト自体の蕩ける食感は印象深い。自分が食べてきたフレンチトーストとは、次元が違う。
しかしおいしさもさることながら、雰囲気やサービスも味のうちである。フレンチトーストとしては高価だが、要人と同様のサービスを味わえることを思えば、決して法外な価格ではない。

背筋を伸ばし、身を正し、庶民の僕がホテルオークラのゲストにふさわしい客を演じる時間もまた、楽しからずや。しかし、そもそも客に貴賎の別がないのが、パブリックスペースたるホテルの姿ではなかったか。近年は「イタリア人は客を値踏みする」からとか「パレートの法則」を引き合いに出して、客をあからさまに依怙贔屓することが「今風のサービス」として評価される風潮がある。飲食店もビジネスだから、僕はそういう風潮を一概に悪いとは思わない。しかし僕は嫌いである。僕の趣味嗜好として、人間なんで「贔屓」は当然ある話だが、「依怙贔屓」は嫌いなのである。もし「依怙贔屓」がレストランビジネスの流行ならば、僕のような老兵はただ消え去るのみである。

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