誰もが楽しくなる会話その3
みなさんこんにちは、ポン太です。
今日も昨日の続きから書きます。
いよいよ中学生も終わりに近づき自分はなるべく同じ中学校の人がいない少し離れた高校に入学しました。
同じ中学から来た生徒は5.6人だったと思います。
幼馴染のM君も同じ高校に進みました。
M君とは違うクラスになってしまったけれど、高校に入学してからはM君もいじめられる事は無くなったみたいでした。
自分も中学生の頃とは違って友達も何人かはできました。
中には親友と呼べるくらいの友達もできました。
それでもやっぱりなかなか話すのは苦手だったと思います。
ある日友達からアルバイトしてみない?
と誘ってきたのです。
高校1年生の夏休みに短期間の工場のアルバイトでした。
その工場は車の部品を作っていました。
自分よりも皆さん年上で若くても20歳くらいの人達が大勢働いていました。
流れ作業だったので人と話をしてる余裕もなく自分には合ってるなぁと思いながら仕事をしていました。
しかし、毎日毎日同じ事の繰り返しで同じ作業を2週間やって思いました。
人と話さなくていいのは自分に合っているが、仕事自体は自分には合っていないと。
いい経験でした。
毎日同じ事を繰り返すのはかなり大変で時間が長く感じました。
でも楽しい時は時間が早く感じるものですよね?
やっぱり楽しく仕事がしたいとこの頃から思うようになってました。
その次にアルバイトをしたのが青果の工場でした。ここでの仕事は野菜や果物を梱包して出荷する事でした。
前の車の工場とは少し違って、働いている人は20人くらいでみなさんパートの主婦の方たちばかりでした。
この時は高校1年生の冬休みだったと思います。
みなさん会話が好きなようで手を動かしながら会話していました。
自分は話しかけられれば話す程度で自分からは話そうとはしませんでした。
この時はまだ人見知りでしたし、人をあまり信じなくなっていたからだと思います。
その時によく言われた言葉があります。
(今時の子は話もろくにできないの)
とよく言われていました。
自分の何をこの人たちは知ってるんだろう?
その時はそうずっと思っていました。
それでもお金は欲しかったので半年くらいはアルバイトを続けました。
ここで一旦話が飛ぶんですが、父親というのが大工で昔よくいた職人さんだったんです。
よく任侠映画とかに出てきそうな人です。
よく小さい頃はビンタをされてた記憶があります、多分自分が悪い事をした時だったとは思うんですが…。
その辺は記憶がないんですよ。ビンタされたせいですかね。
そんな父親が仕事で建てた、一軒のお蕎麦屋さん。
ここが自分の運命を変えた、自分の事を変えてくれた、出会いが待っていたんです。