誰かの期待に応えるという事
突然ですが私、一人っ子なんです。
親の期待を一身に浴びて、まぁ割と可愛がられてる方だったと思います。
幸い、学校のテストでそこそこ点を取るのは得意だったので成績も上の下くらい。
幼少期から英語を習っていたので、日常会話レベルならそこそこ話せる。
中学校を受験して中高一貫校に入学。高校は1年間、アメリカに交換留学。
高校卒業後は、当時偏差値ランキングでは上位に名前が載っていた、そこそこ優秀と言われる大学の割と有名な学部に合格、入学と同時に上京。(尚、滑り止めは全部落ちたw)
大学卒業後は、正直高給ではないし大会社でもないけど、そこそこ世間に名前は知れてるメーカーに就職。(君、笑顔がいいね!という笑顔採用。入社後は経営不振でニュースを賑わす。)
実際生きていて、学歴や会社でレッテルを貼られる事は割と多いと感じたし、そういうの良くないよね、と言いつつ、自分自身もどちらかというとそっち側で生きている人間なんだと思う。
ちなみに、特に田舎のそういうレッテルは強力な気がする。親戚や近所のおば様達と話していて、それが根強いと感じた。というかむしろ、女が勉強してどうするの?って平成のご時世に本気で言ってたから結構なレベルだと思う。
その一方で学歴差別を受けまくって、自分がやりたかった仕事に就けなかった母は、娘に同じ想いをさせまいとできるだけ選択肢を増やそうとしてくれた。
入社後、海外営業部に配属。入社4年目、20代で海外赴任。(ただしメンタルやられて3年で帰国)
こうして書き出すと、たぶん何不自由ない、むしろ恵まれてすらいるレベルの経歴なんだと思う。実際、どこかで"恥ずかしい"想いをした事もないし、むしろ相手によってはドヤ顔でマウンティングができたりする。
まぁ正直今の会社でドヤ顔するのはちょっと…と思うけど。
男の子だったら良かったのにねぇ、なんて言ってた祖母も、ご近所さんに自慢する時にネタにするのは他の孫ではなく、私だ。
何が言いたいかというと、とにかく私は親の期待だったり、周りの期待に応えたかった。ぽんちゃんは優秀ね、賢いね、と褒めてもらいたかった。そして、それに応える事で自分も一定の社会的地位と収入を手に入れられる。どこにも間違いはないと思っていた。
それでも、ある日気付くのだ。
あれ、自分がやりたかった事ってなんだっけ?
これって、自分が心の底から楽しめる事だったっけ?
そこそこ職場での人間関係は良くって、そこそこ給料は貰えて、そこそこのネームバリュー、そこそこの評価。たまに残業はするけれど、メンタルを病むほどではない。
それでも残り続ける、この違和感。
毎日感じる、自分を切り売りしていくような、すり減った感覚。
遅れてきた自分探しなのかもしれない。
今そこそこ恵まれてるからこそ、言える事なのかもしれない。
でも、それ以上を望んではいけないなんて、誰が決めたんだろうか?
周りから見て「いい環境」にいるからって、自分がすり減っていく感覚に蓋をしていいのだろうか?
親が安定を望んでいるからと言って、安定が自分の幸せなのだろうか?
そもそもそれが「正解」かどうかなんて、誰にも分らない。
それは、誰にとっての正解なのだろうか?
いつ答え合わせが始まって、正解スタンプを貰えるのだろうか?
何度も見失ってしまうし、何度も悩むけど、それでも私は自分に何度でも言い聞かせたい。
いつだって自分自身の手で、道は選べる。
もったいないとか、実際に手放すことでのデメリットとか、それはそれであると思う。逆に、考えた末に残るという選択肢も、ありだと思う。
大事なのは、自分で意識的にそれを「選択」したかどうか。
漫然と日々を過ごし、なんとなくレールに乗ったまま人のせいにし続けて生きるのか、自分の意思でレールの上を走るのか。それは、そこに選択の意思があるかどうかではないだろうか。
自分の人生を、他人に渡していいのか?
自分の人生を、他人のせいにしていいのか?
自分の幸せを、他人に委ねていいのか?
親の期待に応えたいという気持ちも尊いと思う。少なくとも自分の場合、親からの期待は、子に幸せになって欲しいという愛情から来たものだと思う。
でも、自分の人生は、親の人生じゃない。
自分の人生の責任は、自分以外誰も取ってくれない。
そこで思考停止していたら、それは親のせいじゃない。自分の選択だ。
それに「自分が選ぶ」という事は、必ずしも親の期待を裏切る事に直結するわけではないと思う。
例え世間的に「失敗」と言われようが、自分で考えて選んだ道は後悔が少ないと思う。少なくとも、経験としては積みあがる。
まぁ、こんなカッコつけたこと言ってたって、実際はうじうじ悩むし、自分の選択に後悔する事もあるだろう。自分の考えだと思っていた事が、誰かの価値観を握りしめていたものかもしれない。
それでも、時間を止めることなんてできない。自分が立ち止っている間に、周りからの動きにどんどん流されていく。流れから外れて立ち止って休むにしろ、流れを利用してもっと先に進むにしろ、自分の流れを新しく作るにしろ、ただぼんやりしていたら、他人の流れの中で溺れていくだけではないだろうか。
まだまだ自分が価値観として握りしめている呪いは多い。それでも、自分が何を握りしめているのか、それはこれからも握りしめ続けていきたいものなのか、これからも自分で考えることはやめたくない。
そんな想いを抱えながら、今日も生きていく。
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