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「第三京浜の橋」泣いた私
「あなたには、あなたの良さがあるから、大丈夫」
「他人と比べる必要はないよ」
もう、40数年も昔の話し。
東京に本社がある、とある電気通信メーカーの技術者として入社して3年。
先輩はとても優秀だった。
1年目、2年目とがむしゃらに働いた。
他人と比較する暇もなかった。
入社3年目、直属の部下が出来た。
同時に二人。
とても優秀だった。
私が半日考えて組み上げる実験計画を、たった30分で作り上げた。
私は、どうやって二人を指導すればいいのか?
二人の実験計画の意味を理解するのに、、私は時間がかかった。
思えば、小学校に入って、
・五十音順が言えなかった私。
・九九が暗記できなかった私。
とにかく人より遅く不器用だった私。
今でも、五十音順や九九が苦手だ。
7×4は、4×7と頭で置き換える、、。
カーナビの入力は、つい妻が手を出すような有様だ。
それなのに、電気や機械が好きで、
理数系の勉強をして、工学部を卒業し技術者になった。
壁にぶつかった。
後輩が優秀すぎて、指導できない。
当時の彼女が、
第三京浜の橋の下で、泣いている私を慰めた。
私は、方向転換した。
「人がやりたがらないこと」
「めんどくさいこと、泥臭いこと」
「人と人を結びつける仕事」、、ここに生き場所を見つけた。
東京、世田谷区 玉川インターチェンジを見るたびに、
あの頃が蘇る。
私は、私の能力以上に評価してほしい子供だった。
嫉妬深く妬みやすく、それでいて、自分をすぐ卑下しやすい、、
精神的に子供だった。
そして今も変わらない。
今、還暦を過ぎて、幼稚園から小学校にあがったぐらいの精神年齢だ。
このことを、肝に銘じて生きている。
その時の彼女が、今の妻だ。
妻の前では、精神的に素っ裸だ。
頭が上がらない。