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<危険> 田舎者の継続再雇用者の独り言 「人生の楽園」「田舎暮らし」「移住」に興味のある方は注意です。  

田舎者の話です。

先週、同じ日に、同じ隣組(都会では自治会やマンション組合のようなものかな?)で2軒の不幸がありました。同じ日に亡くなるとは、、、!!!

私の隣組(地区)は18軒あります。毎月、回り当番で隣組の用番(毎月交代の当番)があり、この用番にあたると、広報誌配布、回覧板配布、冠婚葬祭の委員長、地区費の集金、などなど、等の役割になります。

さて、今月は1月です。私は2月の用番でしたので、本来は、今月は特に何もないはずでしたが、、、、。

しかし
1月の用番の家で不幸が出たため、自分の家の葬儀を出しながら、別の家の葬儀を段どることは不可能です。ということで、次の月の用番である私に代行依頼が来ました。

そのような経過で、仕事は、全面的に中断し、対応に頑張りました。
(ちゃん、ちゃん、ちゃん、ちゃ、ちゃ、チャチャチャ――ン:ビフォーアフターの曲です)
「なんという事でしょう」
突然、葬式の葬儀委員長になりました。

古くからのしきたりで、亡くなった日の夜に、隣組の全軒から代表が喪主の家に集まります。
その連絡係は、用番代行である私です。
しかし、皆さん、今の時代、日中仕事です。又は、耳の遠いおじいさんです。従って、7割方、電話がつながらない状態。
仕方ない、急遽ワードで文書作って、一軒一軒に配布。そしてできれば電話で話したほうがいいので、再度の電話。 不在、電話、不在、電話。

定刻になり、皆さん集まった。(はず???)
しまった、あまりに慌てていて、連絡し忘れた家があった。やばい!
しかし、もう集まる時間が過ぎた、、、。

大事な打ち合わせなのに、のっけから、謝罪の私。

皆さんが集まってから、喪主の葬儀方針を伺い、その依頼を受け、段取りを皆さんに伝える必要があります。

これを、2軒分、同時にできるはずがありません。

そこで、もう一軒分は、別の方にお願いをしまして、パラレルで対応する方針とし、以下の段取りを私が仕切りました。

<以下、長くなります、すみません>

亡くなった次の日に、喪主の依頼を受け、ご不幸のお知らせを、手分けして、地区、親戚、その他の方に配布をします。
終わってから、お疲れ様の挨拶を執り行います。

葬儀の当日の朝は、喪主の家(ないしは通夜会館など)に伺い、火葬場への荷物を受け取り、火葬場では貴重品の管理や飲み物・お菓子などの給仕、終了後は、後片付けと、新型コロナ対策で、椅子・机・ドア、等のアルコール消毒をします。

お骨が葬儀会場に着く前に、葬儀会場に向かい、香典の受け取り準備、香典の受け取り、引き物のお渡し、香典の中身の現金の確認と、現金の保管、(たまに入れ忘れの人がいますので、その際の対応)、等々を担当します。

加えて、葬儀式での弔電(日本赤十字社名で知事が発行しています)の代読と焼香、、。実は、これはプレッシャーです。人前で、弔電を読む!

葬儀が終えてからの、隣組の皆さんへのごくろうさまの挨拶。

以上です。
亡くなった方には、生前お世話になり可愛がっていただきましたので、丁寧にお送りしました。

しかし、疲れた、、!
新型コロナなので、なおらい(私の田舎では、葬儀後の献杯の儀式をこう言います)はありません。
清めの塩をかけて、自宅に入って、、、よーし、一段落だぞ。
自宅で、ビール、ビール、、となりました。

戦国時代から続く、とある藩の屯田兵(下級氏族)の末裔として、そこに住み続ける限りこれは、逃げられない運命です。

そこで、間違って、この文章を読んでしまった「田舎暮らしに」にあこがれる方に、質問をしても良いですか?
題目に挙げた「人生の楽園」「田舎暮らし」「移住」
そこに、飛び込むということは、本当は、このような日常に飛び込むことです。そんな、勇気、ありますか?

TVでは、地元の方との交流があがかれていますが、最後は、移住者同士の交流(移住先輩として、移住後輩として)が、メインに描かれています。
多分、先に書いたようなどっぷり、田舎――って感じの実体は、30分の映像では、描けません。さらにいうと、地元民は、マスコミには話さないと思います。

何故かな??
それは、同じ立場には、なかなかなり切れない、、、。
地元人との、崖、壁、超えられない運命の違い、限界、、、
半導体特性でいうところのスレッショルド、
江崎先生が言うところのトンネル現象が、あるのだと思います。
(すみません、つい、工学部卒の癖が出ました!)

私が転勤していた、九州でも同じようなものでした。
田舎って、結局そこに住み続けている長男、ないしは訳有って後継ぎをしている人がいて、維持されてきていると思います。
守る人がいるから、そうじゃない人は、飛び出すことができる。
グローバルな社会で、世界で活躍できる。

家を守る人がいるからこそ、田舎を離れて生きていくことができる人がいるのだと、自分毎(自身の問題)として実感しています。

札幌・仙台・東京・名古屋・大阪・広島・博多などの大都会で成功した人も、その実情は、何代かさかのぼるとルーツは田舎に行きつくと思います。
元々東京の人だって、江戸という規模の大きな田舎の出です。

明治の元勲も、連合艦隊の司令長官も、軍令部も、大企業の社長も。

世界に羽ばたく人たちを支えている、圧倒的多数の物言わぬ人たちの営みがあります。しかし、この仕組み(システム)は、今、崩壊しつつあります。一つの現象を、世間では「限界集落」と呼びます。
あるいは「少子高齢化」であったりします。

私は、下級氏族の田舎人でありながら、
世界(アジアとアメリカに転勤して、、)で仕事をさせて頂きました。
でも、それが出来たのは、家を守る人がいたからです。
私の場合、妻でした。
最初に書いたような、田舎の仕事を一つ一つ、一生懸命やってくれました。

頭が上がりません。
感謝しかありません。
そして、今は、恩返しをしなければと考えています。

ということで、60ハリアーでの夫婦車中泊、、、、に繋がりました。

最後までお読みいただき感謝します(長文、お許しください)。




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