乃木坂46はオワコンなのか⑤
失いたくないから
〜過去と現在と未来〜
overture
「乃木坂」という言葉は文脈により「実際的な意味」と「象徴的な意味」のどちらかで使用される。
前回の記事で書いたように、乃木坂という言葉を象徴的な意味で使用した場合、何故「乃木坂はオワコンである」という結論に行き着くのか、また乃木坂がこの先どのような道を歩んでいくべきなのかを考察していきたい。
女性アイドルはその特性上、物語性が重要視される。
アイドルは自身の苦楽を曝け出し、ファンは彼女たちの成長する姿を見守りながら共に歴史を刻んで行く。アイドルはファンがいなければ成り立たない。
アイドルという偶像の物語はアイドル自身とファンによって紡がれる共同作業である。
第3回で書いたように2015年まで乃木坂46という物語の主人公は生駒里奈であった。
これについては第3回を見て欲しい。
連続する一期生の卒業以降、グループ全体の物語を描けていないことが現在の乃木坂46が抱える最大の問題である。
乃木坂第1章の物語性
2011年8月21日に乃木坂46が誕生して以来、この物語の主人公は一貫して生駒里奈であった。
乃木坂=生駒の物語であった乃木坂第一章の物語は2015年に完結する。
第1章で特異だったのは主人公以外の非常に存在感の大きい登場人物たちが物語を濃厚で豊潤なものにした点だ。
白石麻衣や西野七瀬、生田絵梨花という圧倒的エースやヒロイン、強力な個性が存在し、どのメンバーにフォーカスを当てても深いストーリー性が担保されていた。
乃木坂という物語に登場するメンバーの誰を主人公に据えたとしてもそれだけで魅力的な作品を創れるほど強力なメンバーが揃っていたのである。主人公は生駒里奈であったが人気なのは白石麻衣や西野七瀬、橋本奈々未、生田絵梨花でありそれぞれが抜群の存在感を放ち重要な役割を担っていた。
2015年に乃木坂46第1章が完結すると、彼女たちはそれぞれが個人の物語を紡ぎ始める。
「夢を叶えてから人はどう生きるか?何を失ってもその答えを知りたいよ」
(Against/乃木坂46)
結成から坂を上り続け「乃木坂らしさ」を探し求めた2015年、紅白初出場という夢を叶えた乃木坂46。
第一線でグループを支え続けてきたメンバーはそれぞれ新たな答えを探し始めた。メンバー共通のグループの夢から個人の夢へとそれぞれが独自の別の道を歩み始めることになる。
橋本奈々未は自身の目標を達成しグループを卒業、芸能界からも引退し一般人に戻ることを決断した。
「居心地の良さ甘えていたら何も奇跡は起きない」
これは生駒里奈の出した答えだ。
乃木坂工事中でバナナマンに語っていた「本物になりたい」この言葉が全てであろう。
白石麻衣は年齢やグループでの立場から、初期から卒業が噂され続けたメンバーであったが戦友たちの卒業を見届け続け、自分は暫く乃木坂に残り次世代との架け橋になることに決めた。
生田絵梨花の出した答えは他のメンバーとは一線を画す特質的なものであった。
グループに属しながら個人の夢を叶える道を選択したのである。
この決断により生田はグループに在籍しながら卒業生と同様の道を歩き始め、実質的にグループから卒業する理由を失った。生田がファンの予想よりも長く乃木坂に在籍しているのはこの為だ。この決断は彼女のスペックの高さに裏打ちされてこそのものである。
このようにして乃木坂第1章を築き上げた1期生たちはそれぞれに卒業後の個人の物語を歩み始めた。
一時代を築いた演者がいなくなり箱だけが残った乃木坂46という物語は空中分解を始めることになる。
乃木坂ブランド
乃木坂という言葉が象徴的意味で使用される場合、そこに内包される多くの象徴的イメージ、付加価値の礎を築いたのは過去の乃木坂46である。
清楚、おしとやか、ルックスレベルの高さ、AKBとの方向性の差など
一般的な乃木坂のイメージや象徴的事象、所謂「乃木坂らしさ」は全て過去の乃木坂が作り上げたものだ。
3期生や4期生などの次世代メンバーは既に用意され完成された舞台に登場しその中で飛躍をすることは出来ても、そもそもの舞台自体を創り上げることは出来ない。この状況では当然、常に過去のオリジナルと比較されてしまう。そしてオリジナルを知っている大抵のファンは今も良いけどやっぱり昔の方が良かったなという結論に至ってしまう。悪い言い方をすれば先代が作り上げたものを模倣しているだけなのだからオリジナルを知っている人がそちら側に傾倒するのはある意味当然のことだ。これが懐古厨の正体である。
しかし、非常に難しいことだがグループのイメージというような象徴的で具体性のないものであれば、オリジナルを超えるものを新たに生み出すことも不可能ではない。
もっと厄介なのは、歴史や楽曲といった具体的事象に対しては、次世代メンバーは先人の創り上げたプラットフォームの中で戦っていくしかないという事実である。
乃木坂46が乃木坂46である以上、デビュー時のメンバー、「ぐるぐるカーテン」がデビュー曲であること、「君の名は希望」で紅白初出場を果たしたことなど絶対に揺るがない事実が存在する。
ライブで披露する楽曲には絶対にオリジナルメンバーが存在し、今後次世代メンバーがそれらを披露する時、それら全ては常にオリジナルと比較されてしまうのである。
先人たちが作り上げた価値観や枠組みの中で戦っていては必ず過去と比較され過去に押し潰されてしまう。オリジナルを越えようとするならば新たな価値観を築き上げオリジナルとは違う方向性で高みを目指すしか方法がない。しかし乃木坂というグループである以上、絶対に崩すことの出来ない歴史や価値観が存在するため、完璧に違う方向性で高みを目指すことは事実上不可能である。というより、もはやそれは欅や日向といった別グループを作ることと全く同義なことだ。
つまり先人たちが築き上げ定着させた乃木坂ブランドの中でオリジナルを超えることは非常に難しいにも関わらず、結局そうするしか方法がないというジレンマが発生する。
さらに付け加えるならば長年築いてきた乃木坂ブランドの根本的部分を壊して作り替えることを望んでいる人はほとんどいないという事実も存在する。
ここから乃木坂がオワコンであるという結論に行き着くことになる。
以下にメンバーの卒業についての考察をまとめたので是非読んでみて欲しい。
主人公不在の乃木坂46
このジレンマをこの先の乃木坂46はどのように解決していくべきか。
第一に物語性が重要視されるアイドル世界の中で、第1章以降明確に描けていない乃木坂46という物語の続きを描く必要がある。
生駒里奈という圧倒的な主人公、西野七瀬や橋本奈々未、白石麻衣といった圧倒的エースを失った今、まず乃木坂という一つの物語に登場する新たな役者を立てることが急務である。
現状、新たな主人公に一番近いのは齋藤飛鳥だろう。
10thまでは選抜とアンダーを行き来する所謂ボーダーラインであったが、それ以降は選抜常連、福神常連、センターと順調にトップまで上り詰めた。結成初期からの乃木坂を知る一期生でありながら一期最年少メンバーであり、後輩と比較して年齢が離れすぎていることもない。彼女自身の性格やアンダーからのし上がってきたという経歴から物語性も十分に担保されている。
また、大園桃子も主人公になる特性を十分に兼ね備えている。
大園桃子には他者が欲っしたとしても決して手に入れることが出来ない唯一無二の天賦の才が備わっている。圧倒的な個性と魅力、そしてライブでセンターに立った時の圧倒的なセンターオーラには生駒里奈の後継者として乃木坂の主人公に座るにふさわしい風格があるように思える。
しかし、未だにどのメンバーも個人の物語をグループ全体の物語にまで昇華することは出来ていない。
そもそも現在の乃木坂は坂を登りきり頂点にまで達してしまった為、グループとしての明確な目標が存在しない。この状況ではメンバーそれぞれの方向性が散失しグループ全体のまとまりが希薄化してしまう。現状の乃木坂はグループ全体としての物語が非常に描きにくい状況に置かれている。
焦点を3期生や4期生単体に当てると、憧れの先輩やもっとグループの為にという明確な目標が存在する為、期別のまとまりが生じそこにストーリー性も生まれる。しかしそのそれぞれのストーリーをグループ全体のものへと昇華するまでには至っていない。
合格したての素人が成長していく姿を見守るという、本来、「乃木坂ってどこ?」が担っていた役割を3期性に対しては「nogibingo」が、4期性に対しては「乃木坂どこへ」や「乃木坂スキッツ」が担っていることなどはこの一例である。
既に「乃木坂工事中」はグループ全体の物語性を担保出来る番組ではなくなってしまったのである。
8th~9thあたりで新しくアンダーライブが始まり、選抜とアンダーの間に溝が生じグループ全体の方向性を散失していたあの頃と被る部分も多いかもしれない。
懐古の打破
過去の乃木坂を知らない人であれば、そもそも現在との比較対象がないのだから純粋に「今」の乃木坂を楽しむことが可能だろう。
しかし、ある程度深みに達したファンならば当然過去の映像や情報を追い乃木坂の過去を知ることになる。過去を知った状態で現在を見ることは比較が生まれることと同義である。
当然ながら、入口が4期生の人と1stシングルの人とではオリジナルへの傾倒の度合いが異なる。
先人たちが創り上げた過去のオリジナルを体験している人にとっては現在の乃木坂は乃木坂という冠をつけただけの全く別のアイドルグループのように映るであろうが、4期生から乃木坂に入った人からすれば今が乃木坂の全盛期であろう。
例えば、ライブでの白石麻衣の煽りから始まるガールズルールを何年間も現場で体験してきたファンと後から映像で見ただけのファンでは、ガールズルールのセンターに白石麻衣が立つことの重要性の認識に大きな差があるに違いない。
つまり、過去との比較の問題は結局ファンそれぞれの受け止め方の問題に帰結する。
しかし程度の差こそあれファンは誰しも乃木坂の過去を知っている。そして現在と過去を比較してしまうだろう。
しかし時は流れ物語は新たなページへと進んでいく。結局はその変化を割り切って受け入れていくしかないという結論に至る。
ライブなどでのOGのサプライズ出演はこの過去と現在の境界を曖昧にしてしまうのでなるべくなら行わない方が良い。行うにしてもあくまでサプライズ演出的にその場限りのこととして終わらせるべきである。
乃木坂46が乃木坂46である以上、現在の乃木坂が過去の乃木坂から逃れることは出来ない。
しかし過去も現在も乃木坂46という同一グループである以上、過去に囚われていては過去を超越することは非常に困難である。
これからの乃木坂にはゼロから乃木坂を築き上げた一期生と同等以上の困難が待ち受けているのかもしれない。
しかし相次ぐ一期生の卒業に3期生や4期生も非常に頼もしくなってきた。これからの乃木坂46に期待していきたい。
「Don’t give up! Good luck now! 名もなき若者よ 夢ならここにある」
(乃木坂の詩/乃木坂46)